笑顔が見たいだけなのに
(GEM)






 クールなイメージが定着してしまったGEM。

 しかし実際は、笑う事を忘れてしまったんだなんて……誰も知らない。
 関係者以外は。
 嬉しいという感情さえも僕達は失ってしまった。

 心の籠らないありがとうや感謝という言葉だけを並べて、時間が許す限り狂ったように曲を書いて、歌って……。
 僕達は憧れていた世界にいるのに、その実感もなく時間だけが過ぎていく。
 僕達のこんな姿を一番楽しみにしていただろう女(ひと)は未だ目を覚まさない。

 今、こうしているだけでも時間は残酷に時を刻む。

 一体いつまではこうしていなきゃいけないのか。
 そんな事……誰にも分からない。

 もし、神とか仏なんてのがいるのなら教えて欲しい。
 どうしたら僕達が確かな一歩を踏み出せるのかを。
 どうしたら彼女の凍りついた心を融かしてあげられるのかを―――――。





 事件の起こったあの日が近付いてきたある日の午後。
 マンションを出ると目の前を歩く長い髪の女性を見つけた。

 見間違うはずがない。
 あれは舞ちゃんだ。

 いつもなら結城さんが一緒だが、珍しく午後からという事もあってなのか単身だ。

 僕は近付き過ぎない距離を保ったまま舞ちゃんの背中を見つめ、目的地へと向かった。
 僕の目的地と舞ちゃんの目的地は同じだ。

 事務所の建物内に入って、突き当たりの自動販売機に直行し、缶コーヒーを買う。
 舞ちゃんが一人になる時間を作るために。
 壁に沿うように並んだベンチに腰を下ろしプルトップを引く。

「珍しく早いな」

 そう言って現れたのは信也だ。

「夢見が悪くてね」
「……あの日が近いからか?」
「自分が……こんなにナイーブだとは思わなかったよ」

 僕が小さく嗤うと、信也は悲しい笑みを浮かべた。

「GEMの奴らは皆ナイーブだろ」
「しっかり自分まで入れてるし」

 僕と信也は視線を合わせる事なく噴き出した。

 ……下手糞な笑顔を張り付けるだけの心の籠らないただのポーズ。
 俺達は嗤えはしても心から笑えない。

 もうすぐ事件のあった日がやって来る。
 思い出したくなくても無理やり抉じ開けられてしまう記憶。

 その日が迫って来ると僕達の手は全くといっていいほど動かなくなった。
 声も出なくなってきた。
 そして……僕達は活動そのものを停止させた。

 あの頃のように……。





「舞ちゃん、一緒にご飯でもどう?」

 廊下で偶然見つけた舞ちゃんに声を掛ける。
 僕の言葉に対して舞ちゃんは手話で答えるのだ。

 彼女はあの事件で、声と色を失った。
 無理やり作る笑顔は見ている方まで胸を締め付けられ、自分の無力さを痛感させられる。

 何となくだけど舞ちゃんの表情を見れば何を言っているのか感じる事は出来る。
 今の手話は静斗から教わった単語で “ゴメン” “予定” の二つだけは読み取れた。
 おそらく、今日は予定があると言ったんだろう。

 予定というのは仕事。
 それ以外にはありえない。

 貴女は……そこまでしないと頭の中から麗ちゃんを追い出せないの?
 そこまでしないと立ってられないの?

「涼、行くぞ」

 静斗が僕達の会話を遮る。

「え、でも……」

 彼女と一緒にいてあげて欲しい。
 そう思ったのに……静斗はそれを拒否した。

 背中を向けて去っていく静斗を追い掛ける。

「静斗……」
「気持ちだけ受け取っとく」

 静斗はやっぱり僕の気持ちをちゃんと理解していた。

「……舞ちゃん、辛そうだよ?」
「俺らには……何もできねぇだろ」
「そうかな?」

 僕は足を止めて振り返った。
 そこには俯いてファイルを強く抱きしめる舞ちゃんがいた。

 涙を堪えているのかもしれない。

「舞ちゃんは……笑顔も涙も失くしちゃったんだね」
「失くしてねぇ……眠ってんだよ、声や色と一緒に。麗華と」

 麗ちゃんのためにそこまでしちゃうんだね、舞ちゃんは。
 二人の関係まで眠らせちゃうなんて。
 半身だから僕ら以上に辛いんだろうとは思う。

 でも、それじゃ舞ちゃんが壊れちゃうよ……。

 涙を流してもいい、ヒステリックになっても構わない。
 感情を表に出して欲しい。
 上っ面だけの飾りの感情なんて見たくない。

「あいつを本当に笑顔に出来るのは……麗華だけだ、多分。俺じゃ駄目なんだ……俺はあいつを苦しめる事しかできねぇ」

 静斗……多分、それは違うよ。
 舞ちゃんは、きっと静斗を待ってる。
 舞ちゃんの心の壁を叩き壊すのは麗ちゃんじゃなくて静斗だと僕は思うんだ。

「世の中、うまくいかねぇよな」
「上手くいってても気付かないだけかもよ? 僕達デビューしてるし、音楽で食ってるじゃん。ちゃんと」
「夢だったのにな……嬉しくねぇの、なんでだろ」
「それだけ強烈だったって事でしょ」

 何が、とは言わない。
 言えない。

「今……麗ちゃんが目を覚ましたらびっくりするだろうね」
「あ?」
「僕達が感情のない言葉吐いて何考えてるのか分かんない顔してるから」

 麗ちゃんのためにも、舞ちゃんのためにも、GEMのためにも……感情を取り戻さなきゃならない。

「笑う門には福来るって言うじゃん? 何となくだけど、僕達が笑ってれば麗ちゃんの目が覚めるような気がするんだ」

 麗ちゃんが目を覚ました時に自然な笑みを見せるためのリハビリ。
 そう思えば出来そうな気がする。

「んな……」
「僕は……皆の笑顔が見たい。あの頃みたいに馬鹿な事言い合いたい。好きな人にはやっぱり笑顔でいて欲しいよ」

 簡単なようで難しい。
 そんな事は分かってる。

 でも、誰かが始めなきゃ誰も始めない。
 あの時も信也が動いたから僕達は動けた。
 だから今回は僕が始めるんだ。

「僕達も心のリハビリを始める時期なんじゃないかな」

 皆の笑顔を見たい。
 ただそれだけなのに……それがとてつもなく難しい。

 僕達にはやらなきゃいけない事があるのに。
 麗ちゃんにいい曲を届ける事と舞ちゃんの緊張で強張った顔を和ませる事。
 こんなんじゃ二人の笑顔は取り戻せないよ。

「……だな」

 静斗が小さな声で答える。
 苦笑しながら。

「こんなんじゃ麗華に伝わらねぇよな……心にも脳にも何も届くはずねぇよな」

 静斗は長い髪を掻き上げて小さく嗤った。

「涼」
「ん?」
「久しぶりにぶっ倒れるまで飲まねぇ?」
「いいね。どうせ何も書けないんだし二人も呼んで飲み明かそうか」
「信也の奴、何箱も配達させるぞ絶対」
「ラクでいいじゃん」

 僕達が集まって飲むのは事件以来初めてだった。
 酒が入った僕達は音楽談義に花を咲かせあの頃に戻ったような時間を過ごした。

 自然に笑みが漏れた。

 まだまだ下手糞だけど、それでもいい。
 上辺だけの貼り付けた笑顔なんかじゃない。
 自然と笑みが漏れるのは本物の感情。
 及第点くらいは貰えるだろう。

 大好きな人達が笑顔を取り戻すまで……もうちょっと、あとちょっと―――――。





― Fin ―
結構頑張ってる涼君でした。


2009.12.12

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