甘い空気

(After the rain)
※ PG12(ちょいと下品です。苦手な方は読まないでね)






 光の大学進学と共に俺は光の部屋に引っ越してきた。
 聖ルチアから近く、行きも帰りもラクで良い。
 通勤だけでいえば。

 家賃も親父さんに甘え、一文たりとも支払ってはいない。
 貧乏教師からすればありがたいの一言だ。
 金銭面では。

 しかし、今現在この部屋には俺一人だけ。
 この部屋の持ち主である光はいない。

 先日から木内の所に居候している。
 そのせいで友永先生の機嫌が悪いから困ったもんだ。

 事の発端は……アレだ。
 恋人同士が互いの気持ちを確かめ合う手段の一つで、俺が我慢し続けていた事。

 光が高校生で俺の教え子だったために我慢してきたが、卒業すれば関係ない。
 そう思っていたが、それ以前の問題が生じた。
 光はその行為が男の欲求を満たすだけのものだと認識していたのだ。

 引っ越しも終わり、落ち着いた頃に迫ってみたところ……逃げられて現在に至る。

 俺は大きな溜め息を漏らして天井を見上げた。

 木内から毎日のように定期連絡は入ってくるが、帰って来る気配はない。
 光が間違った認識をしている事を伝え、木内に教えるように頼んではみたがどうなったのかも分からない。
 おかしな教え方だけは勘弁して欲しいと思うが、木内に頼んだので不安は残る。

「参ったなぁ」

 換気扇の下で煙草を銜えながら零れるのは溜め息ばかり。

 それでも時間は過ぎていく。
 俺は今日も虚しく一人分の食事と弁当を作って聖ルチアに向かうのだった。





「三好先生」

 呼ばれて振り返るとにこやかだが不機嫌オーラを纏った友永先生が立っている。

「おはようございます、友永先生」
「おはようございます」

 友永先生の眼が喫煙所のある方向を示す。

 はいはい。

 俺は黙って友永先生の後ろを付いて行く。
 廊下ですれ違う生徒達が挨拶をして通り過ぎていく。
 無視して歩く俺とは対照的に笑顔で挨拶を返す友永先生。
 軽く尊敬の念を抱く。

 喫煙所に到着し、俺と友永先生は黙って煙草に火を点けた。

「どうですかね?」
「どうなんでしょうね?」

 会話になっていないような会話に再び漏れる溜め息。
 友永先生は項垂れる俺を見てクスクスと笑う。

 本当に、イイ性格をした教師だ。
 悪い意味で。

「ルチアも徐々に分かってきているようですよ。まゆりの方が疲れ気味ですが」
「そうですか」

 同じ学園生活を送っていたのに、何故そんなに違うのか。
 そう思うのは俺だけではないはずだ。

「ルチアは初等部時代、保健体育の授業を受けた事がないのだそうです」
「は?」
「ですから、おそらく父君が狙って休ませていたのではないかと」

 あのクソ親父……。

「ルチアの母君は長い事海外でお暮らしだったとか」
「みたいですね」
「ルチアは時折母君に会いに海外に行っていらっしゃったそうで、その時期も狙ったかのように母君の許にいらっしゃったようです」

 狙ったようにじゃなくて、それは確信犯だ。
 間違いない。

「子供は教会や神社にお願いに行くと授かると思っていらっしゃったので驚きましたよ、僕も」
「いや、俺も驚きましたよ。あの年齢で分かってない女がいるなんて思わなかったし」
「本当に身も心も清らかな女性ですね、ルチアは」

 感心できるのは他人事だからだ。
 それが我が身に降りかかれば感心するだけじゃ済まされない。
 清らかだなんて言葉で片付けられるはずもない。

「ま、今週中にはお帰りになると思いますよ」
「期待せずに待っときます」

 俺は苦笑しながら煙草の煙を吐き出した。





 ルチア会の作業を終えて帰路に就いたのは八時を回った頃。
 今日も一人だと思うと帰宅する足も重い。

 曲がり角を曲がりながらここであいつとぶつかったんだっけ、などと昔の事を思い出し顔を綻ばせる。

 あの時、あいつとぶつからなかったら俺は今どうしていただろう?
 野中と馬鹿をやってたんだろうか?

 最近会わない友人の顔を思い出しながら俺はポケットの中の煙草に手を伸ばした。

 しかし……マンションが見え、誰もいないはずの部屋に明かりが灯っている事に気付いた。
 俺の足も自然と速くなる。

 あの部屋に入れる人物は二人しかいない。
 合鍵を持っているのは俺だけ。

 親父さんでさえ持っていないのだから。

 エントランスのポストを覘く事もせずに部屋へと急ぐ。
 玄関の扉を開けると共に漂ってくる匂い。

 光の得意な筑前煮だろうか?
 何よりも、本当に帰って来たのか?

「光……?」
「遅かったな」

 台所から顔を出したのは久しぶりに見る顔。

「久しぶりだな」
「そう……だな」

 光は視線を彷徨わせながら小さく答え、台所に引っ込んでしまった。

「先生、おかえりなさぁい」

 光ではない子犬のような声が俺の耳に届く。

「げ、木内……」
「げ、って何ですか? 失礼ですよ私に」

 ソファで寛いでいるのは光の親友であり、友永先生の恋人でもある木内 まゆり。
 この数日間光が世話になった人物でもある。

「なんでお前がここにいるんだ、木内?」
「光を送って来たに決まってるじゃないですか」
「お前は一人で帰るのか?」
「友永先生が迎えに来るに決まってるじゃないですか」

 何でもかんでも決まってると言い切るな。

「啓太、珈琲」
「あぁ、サンキュ」

 上着をソファの背凭れに置き、ネクタイを緩めながらカウンターに向かう。
 台所にはやはり四人分としか言いようのない量の煮物。

「今日は四人で食事か」
「あぁ」
「手伝うか?」
「いや、結構だ」

 光は俺の目の前にカップを置き、レタスを裂き始める。
 俺はその様子を見ながらカップを口に運んだ。

「啓太」
「ん?」
「気が散る、向こうへ行け」
「顔を見るのが久しぶりなんだ、諦めろ」

 俺は光が動揺するくらいじっと見つめていた。

「先生、いい加減にしないとまた光逃げちゃいますよ」

 木内の呆れた声が背中に飛んでくる。
 さすがにそれは勘弁願いたい俺はおとなしくテレビの前へと移動した。





 友永先生がやって来て、四人での食事となった。
 四人で食事をするのは久しぶりだ。
 あの頃とは違い、友永先生と木内のアツアツぶりがパチンコ新装開店並みに大放出。
 それだけでも食欲減退である。
 俺と光は無言で箸を進め、黙って合掌して食事を終えた。

 腹を満たし、満足したらしい二人は早々に帰って行った。
 その様子に少々……いや、かなり羨ましさを感じたのは俺だけなんだろう。

 そして、俺と光だけの空間になったわけだが……気まずい。
 とにかく気まずいのだ。

 何を話していいのかさえも分からない。
 木内にちゃんと教えてもらったのか? などとは訊けないし、その話題には触れない方がいいような気もする。
 俺は食器を洗い、光がテーブルの上を片付ける。
 食器を洗い終え、俺はコーヒーメーカーをセットして煙草に火を点けた。

「啓太、吸い過ぎではないのか?」

 テーブルを拭きながら光が俺を睨んでいる。

「否定はしない。誰かさんが居なくなったせいで増えたんだけどな」

 頑張って本数を減らしていたのに、光が家出をして本数が戻っていたのは事実だ。
 今日も既に二箱目がなくなりそうな状態である。

「……すまん」
「いや、別に」

 き……気まずい。
 自分が吐いてしまった言葉を激しく後悔する。

「あのな、啓太。その、なんだ、だから、アレだ。……私に……時間をくれないか?」

 おい。
 それだけ溜めてそんな言葉しか出てこないのか、お前は?
 俺を何年待たせる気だ?

 呆れ顔の俺の傍にダスターを持った光がやって来た。

「今更急ごうとは思わんが、さすがに年単位で待つ気はないぞ」
「分かっている。ただ……その、まゆりの話があまりにも衝撃的で」
「お前、木内にどんな話を聞かされたんだ?」

 俺は困惑気味の光の様子に不安になって訊いてみた。

「動物の交尾の映像を見せられてだな……その後“あだるとびでお”というものをだな……」
「チョイ待て」
「なんだ?」
「んなもん見たのか?」
「あぁ、友永先生の私物らしいが、男性は皆持っているものなのだろう?」
「俺は持ってない。男全員が持ってるもんでもない」
「そうなのか?」

 友永先生、貴方はなんてものを持ってるんだ?!
 そんなもんレンタルにしとけよっ!
 木内も木内だ、何でそんなもん光に見せんだよっ!

 あいつに頼んだ俺が馬鹿だった……。

「しかしだな、その……アレは男の性の吐け口だとしか思っていなかったのだが、色々な意味のある行為だという事は理解した」
「あんなもん見てそれを理解したお前もかなり凄いと思うぞ」

 どんな内容の物を持っていたのかは分からない。

「しかしだな、目隠しや手足を拘束されるのは……」
「おい」
「なんだ?」

 なんだじゃないだろ。
 お前、一体どんなやつを見せられたんだ?

「俺はそんな趣味ないぞ」
「そうなのか?」
「友永先生の趣味かもしれんが俺は至ってノーマル」
「ノーマルの意味が分からん」

 真顔でそう言うから性質が悪いのだ。

「意味が分からないなら手取り足とり教えてやる」
「いや、それは……」

 俺は煙草の火を消し、光の手からダスターを奪ってシンクに落とした。
 光の顔が引き攣っている。

「木内の所で勉強もしてきた事だし、あとは応用だけだろ」
「ま……待てっ!」

 俺は光の肩を掴んだ。

 が。

「ってぇ!」
「待てと言ったではないかっ!」

 肩に置いたはずの手が光によって捻り上げられている。

 俺達が大人の関係になるにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
 俺はいつまで我慢しなければならないんだろうか?

 解放された腕を押さえながら蹲る俺が、我慢の日々がまだまだ続く事に対して涙目になったというのは説明するまでもないだろう。

 木内と友永先生のような極甘な関係など望んではいない。
 しかし、今はそれが羨ましいとさえ思える。

 俺達は一体いつまでこのままなんだろう……。





― Fin ―
甘い空気皆無(笑) 頑張れ啓太!


2009.12.12

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