吐きそうなほど甘い
(有名人な彼)






「じゃあお願いねぇ」

 俺の返事など待たずにカミさんは気合を入れた服装で家を出て行った。

「パパあそぼ」
「パパあしょぼ」

 俺の足元には子供が2人。
 息子の(かい)(りく)だ。

 勿論長男の海の名前の由来は……あの男。
 姉ちゃんの旦那、望月 海である。

 カミさんはアイツの大ファンだ。
 今日も友人と2人で奴が主演した映画を観に出掛けていった。
 俺に子守を押し付けて。

 公開初日の今日は舞台挨拶があるのだそうだ。
 気合を入れてお洒落をしたところでカミさんの存在になど気付くはずがないのに。
 言いはしなかったけれど、無駄な努力である。

「パパ、おえかきしよ?」

 海がクレヨンとお絵かき帳を抱えてやってきた。

「お、何描くんだ?」
「パパ」
「陸もかくぅ」
「そうかそうか、イイ男に描けよ」
「「うん♪」」

 長男の海は調子がいい。
 まるで奴のように。
 次男も長男に似てきた。

 名前を呼ぶたびにあの男を思い出す。
 海という名前にしたのは失敗だったと今更ながら思ったりする。
 子供に芸能人の名前をつけるのは避けたほうがいい。
 万が一今後子供が出来たとしても絶対に俺は芸能人の名前など付けない。
 あの男に出会って、固く誓った。

 絵を描く子供の隣に腰を下ろし、テーブルの上のリモコンに手を伸ばす。
 真剣に描いている子供は俺の顔だと言いながら生き物とは思えない物体を描いているが気にはしない。

 テレビを点けると聞き覚えのある声が聞こえた。
 アイツだ。

『じゃあ、ここからはプライベートな事に迫ってみたいと思います。望月さんはご結婚なさったんですよね、おめでとうございます』
『ありがとうございます』
『今幸せですか?』
『新婚で幸せじゃなかったらマズくないですか?』

 望月 海。
 姉ちゃんの旦那だ。

『ご結婚されて何か変わりましたか?』
『変わりましたね』
『どんな風に?』
『随分周囲が見えるようになりました』

 嘘吐け、貴様は姉ちゃんしか見えてねぇじゃねぇか。
 判断基準が全部姉ちゃんじゃねぇか。

『彼女が周囲を凄く気遣うんですよ。自分よりも他人を大事にするんで、俺絡みでは迷惑掛けたくないなぁとか思ってたら周囲を気にするようになったんですよね。少しですけど』
『望月さんは本当に奥様が大事なんですねぇ』
『はい、彼女以上に大事なものはないですね』
『じゃあ、この質問は無駄かなぁ……』
『何ですか?』
『無人島に1つだけ持っていくとしたら何を持っていきますか? というのがあるんですけど……』
『奥さんですね』
『やっぱり……』

 司会者も軽く引き気味である。
 視聴者はドン引きだろう。
 聞いているだけで糖分過剰摂取になりそうだ。

『俺の基準は奥さんなんですよ。彼女がいるから仕事も頑張れるし、色々な事にチャレンジしてみようと思えるんです』
『望月さんの奥様はどんな方ですか?』
『俺を特別扱いしない人です。扱いは多分皆さんが想像出来ないくらい酷かったですね、最初は』

 テレビの中の望月 海が小さく笑った。
 俺が見ても分かるほどの笑みはレアだ。
 テレビの中ではマスクでもしているのかと思うほど表情がないのだから。
 司会者も驚いている。

『ど……どんな扱いだったんですか?』
『ん〜……抓る蹴るは1度や2度じゃないし、2度と来るなってメールしてきた事もあったし、彼女の部屋にただいまって帰ってもあんたの家はココじゃないとか言われたし……』
『……凄いですね』
『でも、役者じゃない俺になれるのはやっぱり彼女の前だけなんですよ。彼女のお蔭でオンとオフが切り替えられるようになったんです』

 俺の知らない結婚前の2人の関係。

 どんなにいけ好かなくとも、この男が姉ちゃんの分厚い壁を叩き壊した事は確かだ。

 身内以外の男とは必要最小限にしか関わらなかった姉ちゃん。
 自分の事を訊かれると話を逸らして絶対に語らなかった姉ちゃん。

 男を絶対に家の中に上げたりはしなかった。
 男という生き物を信用していなかった。
 例外は父ちゃんと俺だけだったと思う。

 しかし、この男はそんな姉ちゃんを変えたのだ。
 悔しいけれど、家族には出来ない。
 他人だから出来た事なのだ。

『望月さんといえば、結構女優さんとのラブシーンが多いですよね。奥様は何も言いませんか?』
『あぁ……機嫌は悪いですね。でも、そうやって不機嫌になってくれる事が嬉しいです。彼女はなかなか言葉にしてくれないので』
『望月さんは言って欲しい派ですか?』
『そりゃ……相手の気持ちは見えませんから、出来る限り聞きたいですよ。でも、まぁ彼女には求めませんけどね』
『何故ですか?』
『惚れた弱みです』

 俺から見てもこの男の方が姉ちゃんに惚れているというのは分かる。
 この男は本気で姉ちゃんに惚れ、本気で姉ちゃんを守りたいと思ったのだ。
 それだけは信じてやれる。

『赤ちゃんも生まれるんですよね?』
『そうですね、もう少しで会えそうです』
『男の子と女の子どちらがいいですか?』
『母子共に健康ならどっちでもいいです。実際に性別は訊いてないし生まれるまでのお楽しみですね』

 望月 海の結婚が公になると同時に姉ちゃんの妊娠を知らされた俺。
 姉ちゃんからの連絡はなかった。
 結婚してから連絡が少なくなったと思うのは気のせいではないだろう。
 相手がこの男だから……カミさんがコイツの大ファンだから、言えなかったのかもしれない。

 それでも、弟としてはテレビで知るよりも直接本人から聞きたかったと思うのは我儘なのだろうか?

『あ、もうそろそろお時間になりますね。では、最後に』
『どうぞ』
『結婚とは何でしょう?』
『守りたい人と人生を共に歩む事、ですかね』
『結婚はいいものですか? 僕は独身なんですけど、参考までに聞かせてください』
『家に帰ると愛する人がご飯を作って待っていてくれる、最高じゃないですか。俺は彼女と……違うな、彼女が俺なんかと結婚してくれて本当に幸せです。彼女にも幸せになってもらいたいですね、俺の傍で』

 迷いもなく言い切った望月 海は悔しいほど綺麗だった。

 “彼女と結婚できて”ではなく“彼女が俺と結婚してくれて”と言い直したところもだが、“俺の傍で幸せになって欲しい”なんて蕁麻疹が出そうなくらい極甘な台詞を躊躇わずに吐けるあの男をカッコいいとさえ思ってしまった。
 認めたくはないけれど。

「パパ、できた」
「陸もでちた」

 ……何だコレ?

 長男が自慢げに見せるソレは白い部分がほとんど見えなくなるほどに塗りつぶされている。
 何故か灰色で。

 俺はそんなに濁った人間なのか?

 次男の紙は真っ白だ。
 描き始めは灰色を使っていたはずなのに、いつの間にか海に奪われたようだ。

 仕方なく他のクレヨンで描いたのだろうが……何故白なんだ?
 俺の存在はそんなにも薄いのか?

 軽く息子達の絵にショックを受ける。

 まぁ、仕事で遅いしなかなか構ってやる時間がない事は認めよう。

 しかし、コレはないだろう。
 子ども達のささやかな嫌がらせなのか?

 俺はフラフラとキッチンへと向かい冷蔵庫の中から缶ビールを取り出した。

 付き合ってる頃が最高だったなぁ。
 結婚してから……いや、子どもが生まれてから俺は男として見られていない気がする。
 俺もカミさんを女として見ていないような……。

 お互い様か。

 付き合っている頃はお洒落をしていたカミさんも今ではジャージ姿。
 床に寝転んでお菓子をつまみ、トドのように床で昼寝。
 飯を作りながら服を捲って横っ腹を掻いている姿など見せられたら100年の愛があったとしても冷めるだろう。
 食欲も減退だ。
 今更だとは思うが、付き合っている頃とは雲泥の差。

 男は釣った魚に餌をやらない、と言うけれど。
 女も同じだと俺は思う。

 キッチンからお辞儀をするテレビの中の望月 海を見る。

「お前もいつかこうなるんだよ、馬ぁ鹿」

 俺は羨ましかったのかもしれない。
 望月 海が。

 堂々と幸せだと言い切れるアイツが。
 結婚はいいものだと言えるアイツが。





 数時間後に帰宅したカミさんが、新聞のテレビ欄を見てショックを受けていた。

「パパ! 昼間望月 海が出てる番組あったんじゃない!」
「あぁ、チラッと見た」
「なんで録画しとかないのよ!」
「知るかよ、んなもん自分でやれよ。俺はお前の小間使いじゃねぇ」

 新聞を握り締めてカミさんが怒りに身体を震わせる。
 たかがテレビ番組を見れなかっただけでここまで怒るカミさんの神経を疑ってしまう。

 何よりも今日出掛けたのは俺の都合ではない。
 カミさんが勝手に決めて実行した事。
 怒られる筋合いなどない。
 朝、新聞をチェックして録画予約をして出掛ければ済んだ事だ。

「気が利かない男って最低、なんでこんなのと結婚したのかしら私」
「知るか、馬ぁ鹿。子どもの世話しといたんだから文句言うな」
「あんたの子でしょ、世話するのは当然じゃない!」
「お前の子でもあるだろうが」
「だから毎日世話してるじゃない、たまに息抜きして何が悪いのよ?」
「お前らは俺が稼いだ金で生活してるだろうが」
「そんなの男として当然でしょ!」
「俺が働いてるんだから家の事は専業主婦のお前がやるのは当然じゃないのか?」
「私が望月 海好きなの知ってるくせに!」
「朝俺を叩き起こして勝手に出掛けたのはお前だろ。飯出来たら起こして、軽く寝るから」
「一生寝てろ馬鹿宇宙(そら)!」

 寝室に向かう俺の背中に何かが飛んできた。
 振り返って床を見ると、落ちているのはタオルや布巾ではなく雑巾。
 俺の扱いなんてこんなものだ。

 幸せだなんて言っていられるのも最初だけ。

 喧嘩の原因が望月 海なんて。
 俺は益々アイツが嫌いになりそうだ。

 いや、言い切れる。

 俺はあの男が大嫌いだ、と。
 一生好きにはなれない、と。






― Fin ―



(2010.05.05)

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