声を失った歌姫
(GEM)






「この声……」

 俺は社長室に流れている曲を聴いて固まった。

 まさか……。

 そう思うが、俺の身体は素直に反応してしまっている。
 震えが止まらない。

 しばらく聞いていないからといって忘れるわけがない。

「よく、分かったわね……舞華の声よ」

 社長の言葉に俺は拳をぎゅっと握り締めた。

「研究生に歌わせる曲の模範CDなの、いい声でしょう?」

 社長の言葉に俺は頷けなかった。

 確かにいい声だと思う。
 プロじゃないかと思うくらいの表現力。
 声の伸びもいい。
 どうしてプロにならないのか不思議なくらいの歌唱力。

 だけど、俺はそんなものよりも舞華の声に聴き入っていた。

「こんな声、だったんだよな……」

 もう聴けないかもしれないその声は、涙を誘うような歌を歌っている。

 舞華……。

「良かったら持って帰る? コピーだけど」

 社長の優しさなんだろうか?

 俺は小さく頷いた。
 社長が引き出しからCDを取り出して俺に差し出す。

 このために俺は呼ばれたんだろうか?
 ……そうに違いない。

 アルバムのように十四曲も入ったCD。

「貴方にあげるわ」
「ありがとう……ございます」

 俺はそれを受け取り、コートのポケットに突っ込んで社長室を出た。

 廊下の突き当たりに司の姿が見える。
 しきりに手を動かしているという事はその視線の先に舞華がいるんだろう。

 俺は……何もしてやれない。

 ポケットのCDを握り締めながら俺は階段に足を踏み出す。

 伝えたい事はたくさんある。

 だけど……舞華の声が出ない今、一方通行にしかならない。
 せめて俺がある程度手話ができるようにならなきゃ意味がない。

 目を覚まさない半身のために頑張る舞華。
 色も声も失ったのに、あいつは弱音も吐かずに頑張っている。

 舞華が俺と距離を取っているのも分かってる。
 麗華が目を覚ますまで自分自身の気持ちも眠らせてしまったに違いない。

 だから今はまだ駄目だ。
 俺が近付き過ぎればあいつは壊れてしまう。

 今の俺に出来る事。
 それは……。

 あいつの望む距離からあいつの望む事を叶える努力をする……それだけなのだ。

「あ、静斗。おかえり、社長何だって?」

 涼の声に俺は何も答えなかった。
 答えられなかった。

 無力な自分が情けなくて、悔しくて。
 声を出したら抑えているものが溢れてしまいそうだった。

「……練習、始めようか」

 表情から何かを察したらしい涼は、突っ込んで来る事なくマイクスタンドの前に立った。
 英二と信也も自分の持ち場に着く。

 俺はコートを脱いで近くのテーブルに載せた。

 カシャンと、軽い音が響き、床にCDが転がった。

「……何のCD?」

 羽田さんが落ちたCDを拾い上げ、目を見開く。

「Song by Aki……?」

 俺は奪うように羽田さんの手からCDを取り返した。

「おら、練習すんだろ! 湿気た面してんじゃねぇよっ!」

 誰も何も言わなかった。

 何も見なかったかのように練習が始まる。
 辛いものを誤魔化すように。

「見事にバラバラだな」

 一曲弾き終えたところで司の声が聞こえた。

「……何考えながらやってんのか知らんが、そんな曲を舞華に聴かせるな。こんなのただの雑音だ」
「……んだと?」
「雑音を舞華に聴かせるな、と言ったんだ。何か反論できるのか? 一番音を乱してた奴が」

 司の言葉に俺は何も言い返せない。
 自覚があるからだ。

 心配そうにこちらを見る舞華の眼から逃げるように俺は廊下に出た。

 いつまで続くんだ、こんな日が……。

「いい加減目覚ませよっ」

 壁を殴って小さな声で呟く。

 誰かが悪いわけじゃない。
 分かっている。

 だけど、口に出さなければもっと酷い言葉をあいつらの前に吐き出しそうだった。

「静斗……」
「あぁ……悪ぃ、一服したら戻る」

 涼は何も言わずに俺に手を差し出す。

「……んだよ?」
「付き合うよ、一本頂戴」
「ボーカルが吸っていいのかよ?」
「たまには気分転換」

 俺は苦笑しながら煙草を渡した。
 俺の銜えた煙草の先で火を点けて煙を吐く涼が渋い顔をする。

「さすがにクラクラするね」
「慣れねぇ事すんなよ」

 そうだ、辛さに耐えてるのは俺や舞華だけじゃない。
 GEMメンバーも社長も信也の母親だって辛いはずだ。

「なぁに一人だけ辛いとか思ってたんだろ、俺……」
「余裕ない時はそんなもんだよ」

 肩を並べながら一服した俺達は部屋に戻って視線で軽く謝り練習を再開させた。

 最愛の女の顔が少しだけ柔らかくなるのを視界の隅で確認しながら。
 いつか生歌を聴かせて欲しいと思いながら―――――。






― Fin ―


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