犬のような君に
(有名人な彼)






 私の親友は非凡な男と結婚した。
 その男は芸能人。
 テレビや雑誌でよく見掛ける人気者。
 出会ったのは偶然だったらしいけど、必然だったのかもしれない。

 親友は、近くで見ている私までも苦しくなってしまうくらいに気持ちを押し殺していた。
 彼を好きだという気持ちを認めようとしなかった。
 けど……彼の押しの方が遥かに勝っていたらしく、彼女は降参した。

 そこからは怒涛の2年間。
 一緒に住み始めたり入籍したりと私は驚かされっぱなしだ。

 相手は8つも年下。
 メディアというものに日々追い回されている、住む世界の違う人。
 CMやドラマ、映画に引っ張り凧で、テレビを点けていれば1日に両手では足りないくらい見てしまう。
 当然、知名度も高い。
 何年連続だか忘れたけど抱かれたい男第1位だし。
 多分、来年あたりで殿堂入りするだろうと私は思っている。

 親友もそんな男が自分に惚れているなんてありえないと思っただろう。
 接点も何もないのだから当然だ。
 住んでいる世界は違うし、共通の友人なんているはずもない。
 年齢だって離れてるし、私も親友も芸能界なんて世界には全く関連なしの一般企業に勤めてるし。
 ミーハーな私と違って、親友は芸能人を人間だと思っていない節があったし。

 でも、接点はあった。
 彼の友人で先輩の男性が経営している飲み屋だ。

 彼にとっては羽を休める大事な場所だったらしい。
 そして、親友はその店の常連客。

 そこで彼は親友を見つけ、親友の言葉に励まされたんだそうだ。
 何を言ったのかは親友も分からないと語っていたが、その謎な言葉で彼は親友に惚れてしまった。
 世の中って何が起こるのか分からない……この2人の関係を知って私はしみじみそう思う。





「海、お皿持ってきて」
「はいはぁい」

 幻の尻尾を激しく振りながら笑顔で皿を運ぶ男。
 テレビでは無表情で口数も少ないクールな男なのに。
 同一人物とは思えない豹変ぶりである。

 しかし、これが素の姿なんだと分かるのに時間は掛からなかった。

「海君、嬉しそうだねぇ」

 人気俳優が顎で使われているのを見るのは面白い。
 海君も使われる事を喜んでるし、嬉しそうに使われてる海君を見て親友も楽しそうだ。
 見てるだけで満腹だわ。

「 “嬉しそう” なんじゃなくて “嬉しい” んだよ。こうやって彩さんの傍でほんの少しでも役に立てるのが幸せなんだ。どんな小さな事でもさ」

 満面の笑みで恥ずかしげもなく極甘で歯の浮くような言葉を返してくるのは俳優だからなのだろうか?

「御馳走様」
「おかわりいかが?」
「甘味料過剰投与されたら糖尿病になりそう。今のだけでも充分に胸やけしてるし」
「またまたぁ」

 有名俳優とこんな会話をする日がくるなんて、誰が想像できるただろう?

 親友はキッチンで真っ赤な顔をしながら聞こえないふりを貫いている。

 本当、幸せそうでよかった。
 彩が、海君に出会えてよかった。
 相手が海君でよかった。
 彩をこんなに愛してくれる男でよかった。

「あ、結婚式の写真飾ってんだ?」

 和室の壁に掛けられた少々大きめの写真は2人の結婚式の際に撮られたもの。
 海君が彩に気付かれないようにセッティングしたささやかだけど最高の演出。

「私お風呂行ってくるわね」
「はいはぁい」

 キッチンを片付け、逃げるようにリビングを出て行く親友を海君は優しい眼で見送る。
 いつまで経ってもお熱くて羨ましい。

「本当、彩にべた惚れだね海君は」
「うん」

 即答かい。

「澄香サンも彼氏にべた惚れじゃん」
「まぁね」
「で?」
「ん?」
「いつになったら紹介してくれんのさ?」

 私は彼氏を紹介してない。
 彩にも、当然海君にも。
 理由は簡単だ。

 海君が芸能人だから。

 彩に彼氏を紹介するのは結婚が決まった時だと決めている。
 そのくらいの保証がなきゃ紹介なんてできはしない。
 口の軽い男だとは思わないけど、私自身利用されたくないし、彩を変な眼で見て欲しくないから。
 彩は……大事な親友だから。

「結婚するって決まった時でなきゃ彩には紹介しない。海君にもね」

 海君はちょっと驚いて口元を少しだけ持ち上げた。

「優しいね、澄香サン」
「海君ほどじゃないけどねぇ」

 海君はカウンターに凭れながら私を見て微笑んだ。

「そんな澄香サンが俺も彩さんも好きなんだよね」

 好きという言葉に心臓が飛び跳ねる。

 彼氏だってそう頻繁には言ってくれない言葉だから免疫不足なのは分かるけど……親友の旦那の言葉にときめくってどうよ?

 ごめん彩、許して。
 でも……反則なのよ、意表を突いた言葉とか笑顔とか。
 彩ならきっと分かってくれる……はず。
 大丈夫だとは思うけど、けど……黙っとこう。
 うん、それが1番だわ。

「澄香サンは彩さんを大事にしてくれるから俺も嬉しい」
「友達……親友ってのはそんなもんじゃない? 困ってたら手を差し伸べちゃうし、喜んでたら自分の事みたいに嬉しくなっちゃうし」

 彩だってそう。
 普段は結構遠慮ないけど、私が悲しんでいると励ましてくれるし、喜んでると一緒に喜んでくれる。
 飲みたい時は付き合ってくれる。
 ずっとそうだった。
 高校時代から。

 まぁ、お酒を飲み始めたのは成人してからだけど。

「俺って恵まれてないだけ?」
「かもね。でも、今は世界一幸せなんでしょ?」
「うん」

 呆れるくらい顔を綻ばせて海君は頷いた。
 即答だ。

 その迷いのない即答が私を喜ばせてくれていると目の前の人物は分かっているのだろうか?

 彩を第1に考えてくれて。
 彩のちょっとした変化にも気付いてくれる。
 それだけ想ってくれる男が彩の傍にいてくれる事が私は嬉しい。
 そして心強い。

 普段は人懐っこい犬みたいだけど。

「私も犬みたいな海君、結構好きよ?」
「犬みたいって……」
「彩の傍にいる時、海君に幻の尻尾が見えるんだよね」
「意味分かんないんだけど?」

 海君は眉間に皺を寄せながら小さく唸る。
 いじけてるようにも見える表情だ。
 情けない顔。
 こんな顔、テレビでは絶対に見られない。

「海君はそのままでいいんだよ、そのままの海君でいて頂戴な」

 クールで無口な芸能人の望月 海も好きだけど。
 今、目の前にいるオコサマで子犬のような望月 海も結構好きだったりする。

 勿論、親友とは違う感情の “好き” だけど。

 私は困惑気味の海君を眺めながら烏龍茶を口に運んだ。






― Fin ―



2010.01.06

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