何もかも捨ててしまいたい
【未公開作品】






 記憶操作をされてここ最近の記憶が全く思い出せなかった青年は、エスコネルの塔にやって来ると同時に封印されていた記憶を取り戻した。
 おそらく彼の持つ特殊な力が封印を解いたのだろう。
 その証拠に、いつも付いて来る従者の記憶は戻っていない。

 あの女は今どこにいる?
 あの時、男は何と言った?

 彼の微かな記憶が間違っていないのなら、彼女がエルゼアースにいるのは確かだった。

 しかし、神殿に仕えるだけの女性にしてはクブイの生地が上質だったのが謎だ。
 おそらく、サナドゥエナ直属。
 側近中の側近だ。

 そう考えている彼の脳裏に嫌なものが過る。

 サナドゥエナも男だ。
 神と呼ばれている彼も……自分と同じ男なのだ。
 俺の記憶を操作してまであの女を連れ戻したのは……そのためなのか?
 あの女は……。

「王子?」

 従者が怪訝な顔で彼を見ている。
 塔を見上げながら考え込む彼を、記憶のない従者が不思議に思うのも仕方がない。

 しかし、青年は思い出してしまった。
 彼女と過ごした日々の記憶を。

 あの女をサナドゥエナから奪えば追われる身となるかもしれない。
 しかし、それでも構わないと思う自分に青年は少し驚く。

 彼女に出会って彼は初めて王位というものを意識した。
 女子供を養うための仕事として。
 安定した生活をさせるために。

 彼女がいたからこそ思えた事だった。
 彼女のために必要だと思っただけ。
 彼自身は好きな事をして過ごせればそれでよかったのだから。

 欲しいのはただ一つ。
 あの女さえいれば他は要らない。
 貴族でなくなればお目付けも必要ない。
 俺はやりたい事をしながら生活する事が出来る。
 自由になれるのだ。
 あの女が手に入らないのなら貴族などというブランドは邪魔でしかない。

「王子?」
「……何でもない」

 青年は一人馬に跨って来た道を引き返す。
 分岐点でエルゼアースへ続く道を選んで。

 従者は慌てる事もなくそれを見送った。
 付いて行かなかった時点で従者失格だが、彼は王から信頼の厚い甥でもある。
 おとなしく一人で城に戻り、王からの信頼と王子の奔放ぶりを利用して嘘八百を並べるだけ。

 毎度の事ながら、従者に恵まれない可哀想な第二王子であった。



◇・*・◇・*・◇




 どこにいる?
 お前に記憶はあるのか?
 今何をしている?

 答えの返ってこない問いを繰り返しながらどのくらい走ったのか。
 目の前にレンガ造りの建物が並び始める。

 神殿の麓の街並みも穏やかな空気も何も変わらない。
 彼女がいなくなった時でさえ、この街の穏やかさは変わらなかった。

 隠された存在……?
 もしそうなら、神殿に向かったところで会える可能性は頗る低い。

 走らせていた馬を歩かせながら考え込む。

「今日はセラ様だったんですか?」
「そうなんです、シールドが不安定になってサナドゥエナ様がお忙しいとか。セラフィナ様にお会いできるなんて思ってなかったので嬉しくて」
「羨ましいですわ、私も神殿参りしてこようかしら?」
「是非是非行ってらっしゃいませ、相変わらずお美しくていらっしゃいましたよ」

 穏やかな口調の女の声に青年は肩を震わせた。

 サナドゥエナが忙しくてセラフィナが……。
 セラフィナって誰だ?
 そんな存在、俺は知らない……。

「おい」

 青年は馬上から二人の女に声を掛けた。

「え? あ、王子……?」
「セラフィナとは誰だ?」
「え?」
「誰だと訊いてる、答えろ」

 目の前の女は身体を震わせている。
 彼の機嫌が悪いと悟ったのだろう。

「サナドゥエナ様の後継者と言われている……巫女様です」
「サナドゥエナの……後継者?」

 霞がかった記憶の中で聞いた台詞。
 間違いない。

 青年は確信した。
 そのセラフィナという者こそが自分の探している女だと。

 二人の女に礼を言う事も忘れ、彼は馬を走らせた。
 小高い丘の上にある神殿へ。

 あの女を手に入れられるなら、俺は何も望まない。
 全てを捨てても構わない。

 変わり者の王子が望んだただ一つのもの。

 それが叶うかどうかはサナドゥエナの気分次第、というのが可哀想な話であるが、青年は持っているもの全て、身分さえも捨てるつもりで神殿の敷地内へと入って行った。

 期待と不安を抱えながら―――――。






― Fin ―
ボツにした流れだったのでここに載せてみました。



2009.11.11

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