雪の降る日は君とゆっくり

(みつけたもの)






 吐く息も白くなる季節。
 あの港町に通い始めて四度目の冬を迎えていた。

 カエの姉、多恵がこの世を去ってから五年。
 俺とカエが付き合い始めて三年。

 長いようであっという間に流れ去った時間。

 それは俺だけはなく周囲の心までも癒し、新たな未来へと足を向けさせてくれた。
 長さよりも濃度の濃い時間だったと思う。

 そして、今―――――。





 金曜日の仕事を終えるとそのまま俺は港町にやって来る。

 その日到着したのは十一時。
 既に閉店時間を過ぎていて暖簾は片付けられている。
 それでも仕込みをしているらしく店の明かりは点っていた。
 俺を優しく迎えてくれる明かりだ。

「航!」

 俺が車を駐車場に停めた直後、店からカエが飛び出してきた。

「お前なぁ……薄着で出て来んなよ、風邪ひくぞ」
「だって、車の音がしたから」
「出て来なくても車停めたら俺が店に行くっての」
「そぉだけどさぁ……」

 ちょっと拗ねたような顔で俺を見上げたカエは俺に抱きついて小さく笑った。

「店じゃこんな事出来ないじゃん」

 たった一週間ぶりだというのに大袈裟だ。

「寒いからさっさと入ろうぜ」

 一度カエを抱きしめてその体温を感じ、唇に軽くキスを落として歩き出す。

「こんばんは」
「おぉ、いらしゃい航君。夕飯は済ませたのかい?」
「いえ、仕事終わって真っ直ぐ来たんで」
「海鮮丼でいいのかな?」
「ありがとうございます」

 カウンター脇のレトロなストーブが身体を温めてくれる。
 外にいた時間は短かったが身体を冷やすには充分だったようだ。

 コートを脱ぐと、カエがそれを壁のフックに掛けて店の奥へと入っていく。

「毎週御苦労様」
「いえ、俺が来たくて来るんです、御苦労様っておかしいですよ」
「ははっ、そうだね」

 そう……俺が好きで来てるだけ。
 カエに会いたくて来ているだけ。
 ご苦労様なんて言われたくない。

「はい、お待ち」

 海鮮丼が俺の前に置かれる。

「コレ見たら急激に腹が減ってきた」

 割り箸を手にとって、合掌し箸を割ってどんぶりに差し込んだ。

「これはカエが漬けた漬物だ」

 小皿に盛られた漬物を見て俺は小さく微笑んだ。

「航君」
「はい?」
「君は結婚する気はないのかい?」

 突然の親父さんの言葉に俺は咳き込んだ。

「は……?!」
「いや、深い意味はないんだ。ただ、カエも君も考えそうな年頃だしそういう事を話し合ってるのかを知りたかったんだ」

 おやじさんにとってカエは娘のように可愛い姪。
 生まれて間もない頃から育ててきた娘同様の宝物。
 結婚してこの町を出て行く事を不安に思っているのかもしれない。

「考えてない事はないんですよ。ただ……カエはここにいるのが一番な気がして……俺がこうやって会いに来るのが当然で、この慣習を今更変えるのもなぁって思っちゃって」

 カエはここにいるから生き生きとしている気がする。
 俺の住んでいる街に連れ帰ってしまえば死んだ魚のようになってしまうんじゃないかと不安になる。
 それだったら生き生きしたカエを見るためにここにやって来る方がいい……と、いつも自己完結してしまうのだ。
 自己完結なのでカエにこんな話をした事もない。

 カエも気にしてるんだろうか?

「カエ……何か言ってますか?」
「いや、あの子は言わんよ」

 不安になっていたとしてもカエは言わないかもしれない。
 俺も、そんな気がした。

「ゆっくり話してみます」
「無理して話す事でもないさ。周囲がどう言おうと一番大事なのは二人の気持ちだから」

 おやじさんはトントンと拳で胸を軽く叩きながら微笑んだ。

「何の話してんの?」
「カエが漬けた漬物が美味いって話」

 俺は箸で摘まみ上げて口にそれを放り込んだ。

「絶妙」
「でしょう? 今回のは自信があるんだ」

 俺の隣に腰を下ろしたカエは頬杖を付いて顔を綻ばせる。

 おやじさんはそんな俺達を残して店の奥へと続く家へと入って行ってしまった。

「今日は一段と冷えるよな」
「雪が降るらしいよ」
「雪?」
「うん、だから寒くて当然かもね」
「積もるのか?」
「軽くでしょ、豪雪地帯じゃないんだから」

 車にチェーンなど積んでない。
 雪が積もったら帰れない。

 来てすぐから帰る心配をする俺もどうかと思うが。

「帰れないくらい積もっちゃえばいいのに……」

 カエは店の年季の入った木製の引き戸を眺めながら呟く。

「それもいいかもな」

 通行止めで帰れないなら休む理由にもなりそうだ。
 その分カエと過ごせるのだからそれでもいいと思える。

「嘘、積もらないよ。すぐに溶けちゃう程度なんだ、いつも」

 その顔がちょっと寂しそうに見えて、俺は左手でカエを抱き寄せた。

「そう言えば……おじさんが部屋用意してくれた」
「部屋?」
「うん、そう。航、いっつもここに泊るじゃん? で、夜になったら隣町に出掛けたりとかちょっとドライブしたりとかするじゃん?」
「まぁ、いつもその程度だよな」

 店の手伝いもあってなかなか連れ出せないので、閉店後にドライブというのがほとんど。
 オールナイトでやってる映画館やファミレスでダラダラと過ごす事もあるし、おかしな雰囲気になったらそのままホテルに向かう事もあるが。

 ずっとここで過ごすというのは稀だ。

「おじさんが二人でのんびり過ごせるようにって部屋を用意してくれたんだ」
「家賃いくら? 出すよ」
「いいよ、気にしないで」
「そういう問題じゃ……」
「いいの」

 何だか様子が違う。

「取り敢えず食べたら案内するよ」
「もうほとんど食ったけどな」
「じゃ、行こう」

 カエはいつの間にか座敷に頃がしていた上着を取って俺のコートに手を伸ばした。

「おじさん、いってきまぁす!」

 奥へと声を掛けて返事が返って来る前に店を出て行くカエ。
 俺はそれを追う形だ。

 コートのポケットに両手を突っ込んでカエの背中を見つめながら付いて行く。
 知らない人間が見たら変質者だと思われかねない。

 ま、最近じゃ俺の顔もかなり知られてるけど。

「ここだよ」

 振り返ったカエの背中には真新しい建物が立っている。
 どう見ても新築。
 この港町に不釣り合いなくらい今時設計だ。

「用意したって……建てたのか?」
「うん。最近大学の後輩とかも部屋探ししてて、ないなら建てちゃおうか、みたいなノリで」
「ノリで建てるなよ」
「家賃収入もあるし問題ないと思うけどなぁ。出資は私の名前だけの両親だけど」

 カエはオートロックを解除して一階の奥へと向かう。
 何よりも一階フロアにドアが一つなのが気になる。
 そこにしかない扉の鍵を開けて電気を点けるとアースカラーで纏められた空間が照らし出された。

「私の趣味だから気に入らなかったら言って? 妥協できる範囲で変えるから」
「なんか……木の暖か味を感じる部屋だな」
「でしょ? ほとんど池波さんが作ってくれた家具なんだ」
「器用だなあの人」
「だね」

 そこでぷっつりと会話が途切れた。

 俺は落ち着かなくて部屋の窓へと歩み寄ってカーテンを捲った。

 見えたのは手入れされた庭。

 窓を開けて傍にあったサンダルに足を突っ込む。
 近隣に高い建物がないので大パノラマで星空を眺める事が出来る。

「贅沢な天然プラネタリウムだな」
「だね」

 窓辺にしゃがみ込んだカエは膝を抱えるような格好で空を見上げた。

「あのさ、航」
「ん?」
「航はこの町に住む気はないんだよね?」
「いい町だと思うし住みたいとも思うんだけど……現実問題として俺に出来る仕事がない」

 それは致命的だ。
 ダラダラとひもをする気もないし。

「航は……私の事好き?」
「勿論。でなきゃ毎週会いに来ないって」

 振り返るとカエは寂しそうな顔で地面を眺めていた。

「私って……恋愛対象だけど結婚対象じゃない?」
「はぁ?」

 恋愛の延長線上に結婚ってのはあるものだと思う。
 カエの言っている意味が分からない俺は、カエの傍に歩み寄ってしゃがんだ。
 目線はカエの方が上になるので見上げる形だ。

「どうした? 何かあったのか?」

 カエは暗い顔をしたままだ。

「生理がさ……こなくて」
「え?」
「調べたら……陽性だった」

 何が陽性なのかは訊くまでもない。

 子供が出来るような事をしていたのも事実。
 しかし……驚いたのも確かだ。
 おやじさんに何となく結婚について訊かれた直後だったというのもあったと思う。

「病院は?」
「昨日……行って来た。けど、結婚もしてないし……産むか産まないかを決めなさいって言われたけど……その場で産むって言えなかった」
「なんで……」
「だって航はここに住まないじゃん、結婚って家族になるって事でしょ? 家族はやっぱり一緒に住みたいよ」

 カエの様子がおかしかったのはこのせいだったのか。

 俺はカエの顔を両手で挟んだ。

「俺達には俺達の形ってのがあるんだろ? 常識とかに囚われるなんてお前らしくないじゃないぞ、カエ。俺は確かにこの町に住もうとは思ってない。ここはあくまでも俺のサナトリウムだ。だけど、それと俺達の関係は全く別物。俺達は俺達の形で一緒に居ようと決めただろ? これからもそのスタイルでい続ける事は出来ないのか?」

 毎週俺がこの町にやって来る。
 それだけじゃ不満なのか?
 不安なのか?

「単身赴任ってのがあるだろ、それと同じだ」
「それって……」
「俺は、恋愛の延長線上に結婚ってのがあると思う。俺の中で結婚相手と言ったらお前以外浮かんでもこない」

 俺がこの町に住まないから結婚を望んでいないとでも思ったのかもしれない。
 子供が出来た事で不安だったのかもしれない。

「俺達なりの形で良かったら……結婚、しようか」

 カエの目から大粒の涙が零れ落ちる。
 俺が抱きしめるとカエは腕の中で静かに泣いた。

「早めに届け出さなきゃな」

 そう口にした途端、何故か口元が綻んだ。

 多分、俺は嬉しかったんだ。
 カエを自分のものに出来る事が。

 カエを俺の住む街に連れて行こうなんて気はない。
 おそらく俺が定年するまで一緒に住む事はない。

 それが俺達のスタイル。
 誰が何を言おうがこの生活を変える気なんて俺の中には微塵もない。

「週末だけここで過ごして、平日はおやじさんとこで世話になっとけ。その方が俺も安心だ」
「ん……」
「カエ、お前……おやじさんに妊娠の事話したのか?」
「んなわけないじゃん……航にしか言ってない」

 単なる偶然だったのか?

「なんで?」
「いや……お前が奥に行ってる間に、おやじさんから結婚について訊かれたから。もしかして話してたのかなって思っただけ」

 おやじさんとおかみさんはカエを愛している。
 本当の娘のように。

 だからこそ小さな変化を感じ取ったのかもしれない。

「悪阻は?」
「ドラマとかではよく見るからあるもんだと思ってたんだけど、全くない……眠いだけ」

 俺はカエを開放し、室内に戻るように促す。
 窓を全開にしているためここは寒いのだ。

 妊婦の身体を冷やすのは良くないと聞いた事がある。
 まぁ、妊婦だけでなく女性は身体を冷やさない方がいいという話だったが。

 サンダルを脱いで室内に足を踏み入れ、窓を閉めようと手を掛けた時、目の前にヒラリと何かが降って来た。

 見上げると……誰だ?
 ってか、何だこの集団は?

 ニヤけた集団が俺を見下ろしていた。
 正直不気味だ。

「カエ……知り合いか?」
「何?」

 カエは俺の傍に戻って来て、身体を乗り出すように上を見上げた。

「佳恵先輩、おめでとぉございまぁす!」

 声と共に大量に降って来た紙吹雪。

「あんた達、明日ちゃんと掃除に来なよっ!」

 真っ赤な顔で吠えるカエの顔はそれでもどこか嬉しそうで恥ずかしそうで。
 そんなカエを見ていれば俺の顔も緩んでくる。

 少しの間だけカエと上の階の集団とのやり取りを眺めていた。
 この集団もカエを好きなんだろう事は見ていて分かる。
 カエは同性にも好かれるような女なんだと改めて感じていた。

「ほら、入れよ。身体冷えるぞ」

 俺は苦笑しながら、からかわれ始めたカエを部屋の奥へと向かわせた。
 窓とカーテンを閉めるとあっという間に二人だけの空間が出来上がる。
 何だか不思議な気分だ。

「あれ……大学の後輩」
「先輩って言ってたもんな」
「悪い子達じゃないんだ」
「類は友を呼ぶっていうから」
「それってどういう意味?」
「カエの友達ならいい奴なんだろって事」

 小さな炬燵に足を突っ込んでると、カエがお茶を持って来た。
 ぴったりとくっ付いて座るカエの頭を撫でると、カエは小さく微笑みながら目を閉じた。

 キスの雨を降らせていると、カエが俺の肩をそっと押し離す。

「あ、妊婦は……駄目なんだっけ?」
「駄目って事は、ないと思うけど……ここじゃ嫌、かも」

 俯いて真っ赤な顔を隠しながら呟くカエを見て、愛おしさがこみ上げてくる。

「ベッド、どこ?」

 カエの指先が奥の部屋を示す。
 カエの手を握ってその部屋へと向かい、真っ暗な部屋のベッドへと倒れ込んだ。

 そのまま本能のままにカエを抱き、互いの身体を密着させて微睡む。
 身も心も満足した至福の時。

「あ」
「ん……?」
「外見てよ」

 カエの声に従うように窓の方を見ると、カーテンを閉め忘れた窓から白い綿のようなものがひらひらと舞い落ちている様子が見えた。

「雪だよ」
「だな」
「……積もればいいのに」

 俺の身体に上半身を乗せるような格好で外を眺めるカエが小さな声で呟いた。

「そうだな、車が出せないくらい積もってくれれば長くここにいられるもんな」
「うん」
「明日も雪が降ってたらここでゆっくり過ごそう」
「積もるように祈りながら?」
「そ、祈りながら」

 俺とカエは顔を合わせて小さく笑い、抱き合って眠りに就いた。







― Fin ―
え〜っと、結果オーライ?





2009.11.11
2010.02.02(事情があって一時撤去)
2010.02.16(再UP)

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