チョコレート味のキス
(十人十色の恋愛事情)






「行ってきまぁす!」

 元気いっぱいに玄関を出て行くのは俺の息子の純。

 金曜日になると純は朝からご機嫌だ。
 土日が休みという事もあるが、それ以上に嬉しい事が待っているから当然かもしれない。

 俺は朝食の後片付けをして、洗濯機から濡れた洗濯物をベランダに干して掃除機を掛ける。
 これが純と二人で生活するようになった時からの朝。
 家事が一段落すると階下の店に降りて開店準備を始めるのだ。

「おっはよぉございまぁす」

 俺が階下に降りるとほぼ同時に店内に入って来たのは、ただ一人の従業員で恋人の有紀。

「おはよう、有紀」

 カウンター内の戸棚にいつもよりも少々大きめのバッグを押し込む彼女の脇に屈んでそっと挨拶のキスをする。

 この店は窓だらけで周囲から中が丸見えだ。
 以前ご近所さんに見られてかなり冷やかされたのでその辺の注意だけは怠らない。

 キス一つで真っ赤になる彼女は可愛らしい。

「さ、今日も頑張って働きますか」

 キス一つで元気になれる俺もかなり単純な奴だと思う。

 彼女は真っ赤な顔で俯いたままエプロンを身に着け、さっさとカウンターを出て行った。
 俺は、その背中を見送ってからエプロンを身に着け厨房へと向かう。

 これもまた、いつもの朝なのだ。



♪。・*♪。・*♪




 殺人的な忙しさのランチタイムが嵐のように去って、店はゆったりとした時間が流れ始める。
 三時から四時までの一時間は店を一時的に閉めて俺達のランチタイム。
 純が帰って来る時間帯でもあるのでこうして店を閉めるのだが……純が帰って来るまでは恋人とゆっくりと過ごせる貴重な時間でもある。

 他愛ない話をしながらカウンターに並んで俺の作った特別メニューを食べる。
 こんな時間が待っていると分かっているからこそ、殺人的な忙しさでも頑張れるのかもしれない。

 純がいるので俺達は二人きりになる時間などないに等しい。
 だからこそ貴重なのだ。

 俺の好きなクラッシックを聴きながら好きな仕事をして、好きな女性と共に過ごせて、最愛の息子をおかえりと迎えてあげられる今の生活は幸せとしか言いようがない。

 彼女と話をしていると、聞き慣れた鈴の音とパタパタとした足音が近付いてきた。

「あ」
「帰って来たな」

 彼女と顔を合わせて微笑んでいると、closeの札の掛かった店の扉が開いた。

「ただいまぁ!」
「「おかえり」」

 笑顔の純が店に入って来て、当然のように彼女の隣に座る。

「パパ、おやつは?」
「その前に手を洗う」
「はぁい」

 純はランドセルをカウンターに置いて手を洗いに向かおうとした。

「純、ランドセルは上に置いてきなさい」
「宿題あるんだもん」
「もうすぐ開店だから上でやりなさい」

 俺はカウンターの中に入って戸棚を開け、彼女のバッグを取り出した。

「これも持って行っていいから」

 純は彼女のバッグを見ると満面の笑みでそれを受け取って自宅へ続くドアを開けた。

「マスター……純君の扱い方上手過ぎ」
「取り敢えず父親だからね」

 頬杖を付いて呆れたような顔をした彼女に、触れるだけのキスをすると刺さるような視線を感じた。

「パパ……ズルイ」

 自宅に鞄を置きに行ったはずの息子が俺達を見ていた。
 いや、俺だけを睨んでいる。

「パパだけズルイ! 僕だって有紀ちゃん好きなのにっ!」

 泣きそうな顔で息子に怒鳴られ、俺は心底困った。

 どうしていいのか分からない。
 息子と親が同じ女性を取り合うなんて……想像した事のある親などいないだろう。
 俺も考えた事はなかった。
 ……今までは。

「純君、今日一緒にお風呂入ろっか?」

 彼女の言葉に純は喜び、俺は固まった。

「え? 本当?!」
「うん、私純君に嘘なんか言わないよ?」
「わぁい! やったぁ! パパは駄目だからね!」

 純は俺を睨みつけてから階段を上って行った。

 俺以上に純の扱いが上手いのは彼女だと思う……。

「有紀……」
「純君の機嫌直って良かったね」

 純の機嫌は直ったかもしれない。
 でも、俺の機嫌は悪くなった。

「俺も一緒に入りたいなぁ……」
「え?! 何言っちゃってんの?! 無理無理っ絶対に無理!」

 駄目もとで言ってみたが力いっぱい拒否された。

 今までに純とは何度か一緒に入浴している彼女だが、決して俺とは入ってくれない。
 さすがに面白くない。

 不機嫌な顔でいると、彼女は真っ赤な顔をしながら上目遣いで俺を見た。

「だって……恥ずかしいじゃん。純君は子供だけど、卓さんは……ね?」

 そんな可愛い顔で言われたらもう何も言い返せない。
 降参だ。

「有紀ちゃぁん」
「はぁい」

 純の声に彼女が答える。

「さっき学校で学おじさんがコレくれたんだ。一緒に食べよ?」

 持って来たのはチョコレート。

 バレンタインでも何でもない日に何故そんなものを持っていて何故純にあげたのか?
 何よりも教師が生徒にお菓子をやる事自体おかしい。
 常識的に。

「あ、チョコだぁ。美味しそう」

 彼女は嬉しそうに純を抱きしめている。
 微笑ましいと思うのはおそらく周囲だけ。
 俺の中ではどす黒いものが渦巻いている。

「有紀ちゃん、あ〜んして」
「あ〜ん?」

 彼女が口を開けた時、純は自分の銜えたチョコを彼女の口元に運んだ。

 おい、ちょっと待て息子よ。
 誰がそんな事を教えた?

「やった、有紀ちゃんとチューしちゃった♪ チョコレート味だ♪」

 ご機嫌な純とは対照的に嫉妬に狂いそうな俺、そして真っ赤になって固まる彼女。

「純……誰がそんな事お前に教えた?」
「ん? 学おじさん」

 学の奴……純に余計な事教えやがって……。
 店に来たらトマトてんこ盛りの料理を出してやる……。



♪。・*♪。・*♪




 純はおやつを食べるとサッカーボールを持って遊びに出掛けてしまった。
 店内には微妙な空気だけが残っている。

「え〜っと、あの……ほら、純君は子供だし、ね? それに、ちょっと触ったくらいだしキスとかそういうもんじゃないよ、うん」

 俺の機嫌が悪い事に気付いた彼女は彼女なりに俺の機嫌を直そうと必死らしい。

「子供だからって油断し過ぎる有紀も問題だと思う」

 俺ってどこまで情けない男に成り下がるんだろう……。

「だって……」

 彼女が口を開きかけた時だった。

「腹減ったぁ、何か食わせてぇ」

 諸悪の根源が店にやって来た。

「あ……れ? 何かマズイ時に俺来ちゃった?」

 俺の背後に漂うオーラに感付いたように学が顔を引き攣らせる。

「お前、純に何を吹き込んだ?」
「ん? ……あぁ、アレか」

 そう、ソレだ。

 学はポンと手を打って、暫し固まって顔を引き攣らせた。

「……もしかして?」

 純が実行するなんて思っていなかったのかもしれない。
 だからといって許す気はない。

「お兄様の愛情料理をたっぷり食わせてやるよ、待ってろ」
「有紀ちゃん……助けて」
「無理です」

 俺は学にトマト尽くしの料理を食わせて憂さ晴らしをした。
 更には夜、純が眠ってしまった後に大人の時間を堪能させてもらう事で機嫌を直したのだった。

 息子と同じ女性を好きになんてなるもんじゃない。
 今更だが……そう思わずにはいられない。

 子供とはいえ、息子も男。
 立派にライバルなのだ。

 俺が心穏やかに過ごせる日は一体いつになったらやって来るんだろう……。







― Fin ―
この似た者親子、まだまだライバル関係が続きそうです。


2009.11.11

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