大好きな彼女 続編
その後の2人
第5話
気が付くと薄暗い部屋の中にいた。
コンポの時計を見ると彼女が風呂に向かってから既に2時間以上が経過している。
彩さんはいつも俺を起こさない。
一緒にいる時間が大事だといくら言っても起こしてくれない。
彼女にとっては大した事ではないのかもしれない。
その程度なのかもしれない、俺の存在は。
俺は台本をテーブルに置いて彼女の眠る寝室へと向かった。
そっと覗くと、彼女は眠れないのか何度も寝返りを打っている。
その様子を見て声を掛けるのを躊躇った。
何を1人で悩んでるのさ?
彼女が俺に愚痴る事はない。
会社の事も人間関係の事も全く吐き出さない。
彼女は溜め込み過ぎるのではないか?
いつか身体を壊してしまうのではないだろうか?
俺はそれが心配だ。
信用されていないのかもしれないけれど……こうやって彼女が悩んでいる姿を見る事しか出来ないなんて、俺は切ないよ……苦しいよ。
俺には何もしてあげられないの?
彩さん……俺は何のために貴女の傍にいると思っているのさ?
彼女のそんな姿を見ているのは限界だった。
「寝れないの? 彩さん」
俺はそっと寝室に入って声を掛けた。
「こ……これから寝ようとしてたのよ」
「なんで嘘吐くのさ? 随分長い時間そうしてたじゃないか」
どうして言ってくれないのさ?
「彩さん、何があったのさ? 何か不安でもあるの?」
俺はベッドに腰掛けると彼女の頭をそっと撫でた。
彩さんのそんな姿見たくないよ。
何でも話してよ。
俺は頼りないかもしれないけれど、彩さんの中で溜まってしまったものをほんの少しでいい……吐き出して欲しいよ。
「何でも言ってよ。俺、彩さんを愛してるから……だから心配なんだ、1人で悩まないでよ」
彩さんはゆっくりと身体を起こして俺の首に腕を絡めた。
こんな事をされたのは初めてだ。
俺は彼女を抱きしめた。
「俺には彩さんだけだから……彩さんは俺の欲しいものを無意識にくれてるんだよ、だから俺にも手伝わせてよ……知ってた? 俺、ずっと彩さんの言葉に励まされてきたんだ。彩さんが俺に気付く前から」
ずっと彩さんの言葉が……笑顔が支えだった。
それなのに最近の彩さんは何だか疲れてて辛そうだ。
「1人で悩まないでよ……俺の傍で笑ってて欲しいのに……俺は何もしてあげられないの?」
俺は彼女を抱きしめる腕に力を込めてベッドに倒れ込んだ。
「彩さん……ずっと俺の傍で笑っててよ……」
愛しているのに……。
俺は彩さんに辛い思いしかさせられないの?
話せないならせめて俺の傍では忘れて欲しい。
俺は彩さんのパジャマの裾から手を滑り込ませた。
今は俺以外の事考えないで……俺だけを感じて……。
そして俺は彼女を抱いた。
こんな抱き方はしたくないけれど、俺の存在を分かって欲しかった。
その瞬間だけでも忘れて欲しかった。
明日になったら彩さんが笑ってくれますように……。
そう願いながら俺は彼女の細い身体を抱きしめた。
午前4時。
彩さんの携帯が鳴って、俺は時間になったのだと気付いた。
そして隣で眠る愛おしい人の顔が不機嫌に歪むと俺は目を瞑る。
スケジュールを聞けばその時間までには起きて行く準備をしていた俺だけれど。
彼女に起こして欲しいからと、一緒にいるとつい寝たフリをしてしまう。
電話をしてきたのは柴田さんだという事はディスプレイを見なくても分かる。
俺のせいで彩さんを起こす事になってしまうのは申し訳ないけれど、彩さんと別の部屋で寝るなんて嫌だ。
そして、彼女に起こして欲しいので決して自分からは行動を開始しない。
完全に甘えだ。
「海、柴田さん来てるわよ。起きなさい」
彩さんが俺の身体を揺さぶる。
俺は顰めっ面で彼女の腕を掴んだ。
「目覚ましのキスしてくれたら起きる……」
彼女をベッドに組み敷いて俺は無理やり唇を塞いだ。
「しっかり起きてるじゃない……馬鹿」
呆れながら言う彼女に微笑んで俺は再び長い深いキスをした。
唇を離すと彼女が苦笑していた。
「彩さん、愛してるよ」
彩さんと目覚めのキスを交わして俺はようやく起き上がり、衣服を身に着け寝室を出る。
自分の部屋のシャワーを浴び、柴田さんが用意した服に着替えて外に出る。
最近では珍しくもない光景だ。
「何浮かない顔してんのよ?」
柴田さんが駐車場に向かうエレベーターの中で俺を見上げた。
「彩さんの元気がないんだ、何か悩んでるみたいでさ。でも何も話してくれないんだ。……俺って何の役に立たないのかなって思ってさ……」
もともと俺の前であまり笑ってくれないけれど、今の彩さんを見ていると辛い。
「仕事忙しそうじゃない」
「うん、忙しいって言ってた」
「その仕事が落ち着くまで待っててあげなさいよ」
その仕事が落ち着くのはいつなのさ?
彼女は俺に仕事の話をする事はない。
仕事の話を訊いたところで、意味などさっぱり分からないと思う。
しかし、訊かなければ悩みの種さえ見つけてあげられない。
彼女が話してくれるのを待つよりも俺が訊けば早い気がする。
意味が分からなくても聞いているうちに、もしかしたら彼女が俺に愚痴ってくれるかもしれない。
ほんの少しそんな期待をしながら俺は車に乗り込んだ。
ある日、仕事を終えてマンションに帰って来るとフロアにいる警備員が俺に微笑んだ。
「お疲れ様です望月さん」
「ただいま」
彩さんが引っ越してきてから警備員がよく声を掛けてくれるようになった。
これも彩さん効果なのかもしれない。
「今日珍しく彩さんが定時退社してきたみたいですよ」
警備員の言葉に不安が過ぎる。
「へぇ……たまにはいいんじゃない?」
素っ気なく答えはしたものの、部屋に向かう足がスピードを上げる。
部屋に入った俺はバッグを放り投げて彼女の部屋に向かった。
無理していたから体調を崩したのかもしれない……。
そんな不安が過ぎる。
大きな音をたてないようにそっとクローゼットを開けて彼女の部屋のリビングに足を踏み入れる。
電気は煌々と点いていた。
彼女は……出勤着のスーツ姿のままソファで眠っている。
特に顔色は悪くない。
少々疲れているようには見えるけれど。
俺は彩さんの傍に歩み寄ってそっと額に手を当てる。
熱もない……。
ほっと安堵の息を漏らしその場にへたり込んだ。
「ねぇ彩さん……何でそんなに1人で頑張っちゃうのさ? 俺は彩さんに辛い顔をさせたくて一緒に住もうって言ったわけじゃないんだよ? 彩さんが笑ってくれるには俺は何をしたらいいのさ? 教えてよ彩さん……」
ぐっすりと眠ってる彩さんに俺の声なんか届くわけがないのに……。
俺はカウンターの上にあるコーヒーメーカーを見た。
スイッチの入っていないコーヒーメーカー。
「帰って来たら先ずスイッチ入れるのにね。……お疲れ様、彩さん」
俺は眠る彩さんを抱き上げて寝室へと向かった。
彼女は起きる気配もない。
今日は……今日だけはゆっくり眠らせてあげよう。
そう思った俺は彼女を抱きしめるようにして眠りに就いた。
目を覚ますと彩さんはまだ俺の腕の中で眠っていた。
夜中も起きなかった。
かなり疲れていたのだろう。
今日が休みでよかった。
こんなに疲れた彩さんを、柴田さんの電話で起こしたくなかったから……。
もし、仕事だったら以前のように1人で準備をしただろう。
そして、自分の部屋で柴田さんを待ったはずだ。
彼女をゆっくり休ませてあげたいから。
彼女に甘えるのはいい加減やめたほうがいいのかもしれない。
そんな気分になった朝だった。
俺は暫く彼女の寝顔をじっと眺めていた。
彩さん、今日は笑ってくれる?
彼女の長い髪をそっと耳に掛けて俺は心の中で彼女に問い掛ける。
彩さんが寝返りを打った。
俺に背中を向け、目を覚ましたようだ。
ガバッと勢いよく起き上がった彩さんは無意識にだろう、小さく呟いた。
「うっそ……爆睡?」
自分でもそこまで爆睡してるとは思っていなかったようだ。
「おはよう彩さん」
驚いたように振り返った彩さんは俺を見て顔を顰める。
そして、自分がベッドに寝てる事に気付いて呆然としていた。
「随分疲れてたみたいだね」
今朝の彩さんは何だか少しだけ元気な気がする。
「ここんとこ仕事で気を張り詰めてたからその反動かなぁ……」
彼女は溜め息混じりに呟く。
ちっとも話してくれないのが寂しいけれど。
「起こしてくれればよかったのに」
「疲れてる彩さんを起こすなんて出来ないでしょ」
あんなに疲れきった彩さんを起せるわけがない。
起こそうとも思わない。
彩さんが何故か微笑んだ。
作りものの笑顔ではない。
素直に漏れた……見たかった笑顔。
でも、その笑顔の意味が分からない。
「何さ?」
なんで笑うのさ?
「私と同じ事言ってると思って」
彩さんと同じ事?
俺は少し考えた。
……彩さんは俺が寝てしまったら起こさない。
もしかして、彩さんも起こさなかったんじゃなくて起こせなかったの?
そう思うと嬉しかった。
彼女も俺を想ってくれている、そんな気がした。
「そっか……彩さんもこんな気持ちだったんだね」
「何笑ってんのよ?」
「彩さん、愛してるよ」
俺は彼女の腕を掴んで組み敷くと、その顔が引き攣る。
本当、最近勘がいいよなぁ……。
「昨日は我慢するの大変だったんだよ? 今日がオフだったから我慢できたんだ」
俺はニッコリと笑って彼女の首筋に唇を這わす。
「ちょっ……海っ?!」
「駄ぁ目、放さないよ」
彩さん、愛してるよ♪
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