有名人な彼

読者様リクエストによる番外編
― 海君の憂さ晴らし ―




「海はなんで一部分だけ繋いだの? こうやって完全にくっ付けちゃおうとか考えなかったの?」

 柴田さんのお宅にお邪魔した際、猪俣さんの部屋と完全に繋がっているのを見て私は海に尋ねた。

「だって同じタイミングで2部屋の電気が点くって変でしょ? 取り敢えず週刊誌に追われる身だし、部屋の場所だってあの人達知ってるしさ」

 へぇ……部屋の場所まで知ってるのか……。
 ストーカーと大差ないかも…。

「それに、これ以上柴田さんに迷惑掛けられないし不安の種は作らないほうがいいと思うし。ね?」

 海はキッチンに立つ柴田さんに微笑み、私の手に触れた。

「あらぁ、海らしくない真面目な事言うじゃない。やっと私に感謝する気になった?」

 柴田さんは慣れた手つきで料理をしながら微笑む。

「いつだって感謝してるよ。俺のマネージャーは柴田さんじゃなきゃ務まらないし」

 長い付き合いだという事は聞いてるけれど、この2人の信頼関係は強固なものなんだと改めて感じた。

 そして思う。
 本当に、柴田さんだから海の面倒が見られるのだと。
 海を理解してくれている数少ない人……海が素直になれる数少ない人だから。

 私はそう思いながら2人を眺めていた。
 自然と笑みが漏れてしまうような気持ちで。

 しかし、正面にいる猪俣さんは険しい顔。
 不機嫌そうにも見える。

 誰を睨むでもないが、不愉快だとその顔は物語っている。
 本当に俳優なのだろうか? と疑いたくなるほどに感情を露にしているから驚きだ。

「あの……どうかなさいました?」

 海と柴田さんの会話を邪魔しないように小さな声で尋ねる。

「分かってるんだけど、面白くないよね。彩ちゃんはそう思わない?」

 何が?
 この人達って相手が頭の中を読めるとでも思っているのだろうか?

 毎度毎度躓く会話。
 スムーズに話が進む事の方が稀だ。

 私が首を傾げると猪俣さんは苦笑した。

「海君と美奈子の仲が良いのは構わないんだけど、以心伝心って言うか……お互いを理解し合ってるっていうのが面白くないんだ。彩ちゃんは気にした事ない?」

 猪俣さんの意外な言葉に私は考える間もなく首を振った。

「海と柴田さんの仲がいいのは分かりますけど、そのお蔭で仕事が円滑に出来てるんじゃないでしょうか? 柴田さんが海を理解してくれてるから今の私がいて、海も人気俳優になれたんじゃないかなって思うんです。もし、他の人だったら海はこんなに人気俳優になれなかったんじゃないかなって」

 猪俣さんは目をぱちくりとしながら私を見つめていたが、やがて不機嫌そうな顔に戻ってしまった。
 納得できなかったらしい。

「彩さんがそう思ってくれてる事が嬉しいわ」

 柴田さんがキッチンで微笑む。
 対照的な反応だ。

 素直に思った事を言っただけなのだ、私は。

 海のような我が儘な子のマネージメントは人一倍大変だと思う。
 それに、私の気持ちも分かってくれるから凄くありがたい。

「でも、異性だよ? 何があっても不思議じゃないじゃないか」

 猪俣さんが柴田さんに拗ねたような目を向ける。

 何があっても……というのは男女の仲の事だろう。
 海と柴田さんが……?

 想像できない。
 決して想像力が乏しいわけではない。
 この2人を疑った事はないし、そんな雰囲気もなければそんな関係にも見えない。
 イメージできるとしたら、やっぱり…………親子?

 柴田さんの反応が怖くて言葉には出せないけれど。

「まだ言ってるの? もう10年よ? いい加減分かったら?」

 柴田さんは呆れている。
 随分前から言われているのだろう、また言ってる……的な反応。

「猪俣さんってさ、柴田さんが俺のマネージャーになった時からずっと同じ事言ってるんだよね」

 海が笑いながら私の耳元で囁く。
 小さな事にも嫉妬してしまうほど愛しているという事なのだろうが、この執着は海に匹敵……いや、海以上かもしれない。

 それでも、猪俣さんの愛を感じるので嫌な気持ちにはならないはずだ。
 多少窮屈な感じはするけれど。

 拗ねる猪俣さんを見ていると、伊集院君の話をする時に見る海の顔が重なった。

 似ているのだ、海と猪俣さんは。
 同じ事務所の先輩と後輩というだけではなく、密な交流をする2人は気付かないうちに似てしまったのかもしれない。
 それとも2人とも元々似た者同士だったのか。
 どちらでも構わない。
 目の前にいる猪俣さんが猪俣さんで、海が海ならば。

 それに、2人が似ているから柴田さんは海の扱いが上手いのかもしれない……などとも思う。
 そんな今更な事に今この瞬間気付いた私は相当鈍いのかもしれないけれど。

 海が私にくれる愛情表現。
 それを見る度に、感じる度に、聞く度に、幸せだと感じる。
 きっと柴田さんも同じだろう。

 だから、嫉妬してくれる事が嬉しいし、そうしてもらえる事で幸せを感じるのではないだろうか?
 少なくとも私は、嫉妬してくれるのは気持ちが私の方に向いているのだと感じるのでたくさんして欲しい。
 海が嫉妬してくれるような状況にもなりえないし、私自身絶対に口には出さないけれど。

 今の柴田さんを見ても、呆れているようだけれど口元は微かに上がっている。
 口には出さないけれど嬉しいのだろう。
 疚しい事がないから怒る事もないし何度言われても笑ったり呆れたりで流せる。
 いつまでも疑っていて欲しいとさえ思っているのではないだろうか?

 俳優を愛してしまった私達も似た者同士なのかもしれない。

「柴田さん、幸せ者ですね」

 見て感じるままの言葉を紡いだ。
 深い意味はなかったのだが、柴田さんは真っ赤な顔で私を睨んだ。
 柴田さんの反応が何となく自分自身の身に覚えがあって、余計な事を言ってしまったのかもしれないと口を噤んで肩を竦める。

「毎回思うんだけど、猪俣さんは何が不安なのさ? 俺には彩さんって愛する女性がいるのに、それだけじゃ信用できない?」

 まさか海の口からそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。
 私は隣の海の顔を見上げた。
 正面の猪俣さんもまた驚いた顔をしている。
 海の口から出るとは予想しない台詞だったのは確かだ。

 多分、柴田さんも同じ事を思ったのだろう。
 私と視線がぶつかった途端に噴き出した。

「何さ? 結構真面目な話をしてると思うんだけど?」

 海は不機嫌そうに柴田さんを睨む。

「海にそんな事言われるなんて達郎さんもまだまだね」

 大物俳優にそんな言葉を吐けるのは妻だからだろう。
 私も似たような事を思ったけれど、絶対に言葉には出せない。
 相手は世界で活躍する超有名ハリウッド俳優なのだから。

「付き合ってる頃の私の気持ちが分かって丁度いいんじゃない?」

 柴田さんは楽しそうにクスクスと笑う。
 やはり猪俣さんに嫉妬される事が嬉しいのだ。
 気持ちが自分に向いているのだとその都度密かに確認して安堵しているのかもしれない。

「彩さんは信じてくれるよね?」

 私の肩を抱き寄せ、海が顔を覗き込んできた。

「柴田さんとの関係は疑った事ないけど、他の女優さんとの関係は分からないわね」
「「あれはやらせだってっ」」

 何故か猪俣さんまで慌てている。
 何よりも、声が見事にハモっていた。
 本当によく似た2人だ。

 海にだけ言ったつもりだったのだが……何かあったのかもしれない。
 穏やかで和やかだった部屋の空気が途端に変化した。
 悪い方に。

「へぇ……」

 柴田さんの視線が恐い。
 暖房の掛かった部屋なのに寒気がするのはきっとこの部屋の雰囲気のせいだろう。
 まるで吹雪くの山中で遭難したような気分だ。
 フォローする言葉さえも見つけられない。

「海、何があったの?」

 私は声を抑えて海に尋ねた。

「ほら、猪俣さんって公には独身って事になってるでしょ? 最近年の差恋愛の映画を撮っててさ、共演者と食事に出掛けたのを週刊誌に撮られてるんだ。柴田さん聞いてなかったらしくてキレちゃってんだよね」

 夫婦喧嘩の内容は私達と同じらしい。
 大人だなぁなんて思っていたので、少々意外だ。

「やらせでホテルの同じ部屋に入って行くのかしら? 海だって彩さんと会ってからはそんな事したことないわよ?」

 ん?
 私と会ってからは?

「……海、あんた私と付き合う前はお持ち帰りしてたの?」
「え? なんで……?」

 明らかに動揺している。
 これは……お持ち帰り経験あり、とみた。

「今、柴田さんが私と会ってからはしてないって言ったんだけど? 聞き間違いじゃないわよね?」
「彩さんだって俺が初めてじゃないでしょ?」

 何ソレ……?

「俺だって恋愛くらいしてたよ」
「恋愛とお持ち帰りは違うと思うんだけど?」

 そのつまみ食いが許せないだけだ。

「そりゃ……彼女がいない時はそういう事も何回かあったけど……2〜3人だよ?」
「へぇ、数も数えられないわけ? 2人か3人かもはっきりしないのはどうして?」

 海が恨めしそうに柴田さんを睨んでいる。
 私には知られたくなかったのかもしれない。

 しかし、聞いてしまったのだ。
 聞かなかったふりなどできはしない。

「お持ち帰りと恋愛は同じだった?」
「え……いや、あの……」
「ノリで連れ帰ってそういう事して終わりでしょ? 違う?」
「違い……ま

「そういう男って最っ低」
「彩さんを見つけてからはずっと一筋だよ、誘われたってそんな気にもならなかったし。神様でも仏様でも閻魔様の前だろうと堂々と誓えるよ。心も下半身も裏切ったことないって」
「そんなの……分からないじゃない」

 いつだって不安なのだから。
 信じたくてもテレビでラブシーンを観る度に気持ちが揺らぐ。

「分からないなら分からせてあげるよ、ベッドで」
「っ?! あっ……あんた他人の家で何言ってんのよ?!」

 耳元で囁いた海に、私は拳を1発くれてやる。
 当然痣が出来ても問題ないだろう脇腹に。

 他人様の家で囁く台詞ではない。
 教育的指導である。
 若干乱暴かもしれないけれど。

 気が付けば猪俣さんと柴田さんの喧嘩は中断しているのか終わっているのか争っていない。
 それどころか、心底楽しそうに私達を見ている。

 もしかして最初からそのつもりで……?

「まぁ……部屋に帰ってからゆっくり話そう? 何でも正直に答えるからさ。ね?」

 2人の視線を浴びながら喧嘩するのは私も嫌なので大きく息を吐いてソファに身体を預けた。

「気にしないでやってていいのよ?」

 柴田さんが微笑む。

 誰のせいで気になったと思ってんのよ?!

「柴田さん、俺達で遊ぶのやめてよね」

 やっぱり遊ばれていたのか……。

「で? 猪俣さんは本当に部屋に入ったの? って事は……ご馳走になったの? 誰だっけ相手?」

 猪俣さんに顔を近付けて小声で話しているけれど私には丸聞こえ。
 柴田さんの顔色が変わったので彼女にも聞こえていたと思う。

「同じ部屋に入って何もないなんて……ね?」

 海は何故か笑顔。
 私はハラハラしているのに、やっぱり興味があったりして。
 答えて欲しいなぁなんて思いながら2人を見ていた。

「海君、それ本気で訊いてる?」
「勿論。俺なら一緒に部屋に入ったら絶対ご馳走になっちゃうし」

 私は海の二の腕を思いっきり抓った。

「痛〜っ! 何すんのさ?!」
「一緒に部屋に入ったら絶対にご馳走になっちゃうんだ?」

 海を睨んでちょっと考えた。

 ……私も一緒に部屋に入ってご馳走してしまった1人だ。
 まぁ、ご馳走なんて大層なものではないけれど。

「俺にはもう彩さんだけだよ。他の女見ても興奮しないし起たないし」

 平然と言うなぁっ!

 結局、すっごく妙な雰囲気の中での夕食になってしまった。





 夕飯を終えて片付けを手伝っている間、海と猪俣さんは談笑していた。
 さっきまでの話を忘れたかのように仕事の話や同僚
(俳優)の話、くだらない世間話を楽しんでいる。
 柴田さんも忘れたかのように隣で鼻歌を歌っている。

 気になってるのは私だけなのかしら?

「彩さん、望月さんって呼ばれるのには慣れた?」

 柴田さんが手を動かしながら尋ねてきた。

「苗字で呼ばれる事ってほとんどないんですよ、私。名前で呼ばれてるんで。……それにまだ五十嵐って根強いし」

 さすがに10年以上呼ばれ続けてるからなぁ……。
 客先に新しい名刺を渡しても五十嵐で掛かってくるし。

「ビジネスネームで五十嵐を名乗っててもいいかなぁなんて思ってるんですけどね」

 苗字くらいどうって事ないし。
 自分自身がまだ馴染めずにいるのだから他人がそう呼ぶにはまだまだ時間が掛かるだろう。
 五十嵐でも望月でも私だと分かればいいだけの話なのだ。

「ありがとう、彩さん。彩さんのお蔭で片付けが早く終わったわ」

 話しながらの後片付けはあっという間だった。

「こちらこそご馳走様でした」
「彩さん、そろそろ帰ろっか」

 海は立ち上がって私に微笑んだ。
 片づけが終わるのを待っていたのかもしれない。

「そうね」

 私の返事を聞いて猪俣さんも立ち上がる。

「あ。そういえばさっきの話答えてもらってないよ、猪俣さん?」
「何の話だっけ?」

 海の言葉に私だけではなく柴田さんや猪俣さんの視線が海に向けられた。

「一緒に部屋に入ってご馳走になったのかどうか」

 気になってたけど……今それを訊く?

「か……」
「私もちゃんと聞かせて頂きたいわね。どうなの?」

 さっきまでにこやかだった柴田さんはとんでもなく恐い顔に変わっていた。
 再び南極大陸並みの空気が漂う。

「同じ部屋に入ったのまでやらせだったのかしら? 今までそんな事なかったわよね?」
「何も……ないよ、本当に。俺は美奈子一筋だから」
「じゃあなんで同じ部屋に入ったの? 必要ないんじゃない?」

 柴田さんの尋問が始まった。

 仲裁すべきなんだろうな、やっぱり……。

 私が2人に1歩近付くと、海が私の腕を掴んだ。
 人差し指を口に当ててそっと玄関に向かう。

 このまま放置して帰るの?!
 あんまりにも無責任なんじゃ……?!

「靴持って」

 持ってって……履かせてもくれないの?!

 海は靴を持った左手の肘を使って器用に玄関の扉を開けた。

 私が共有廊下に出るとそっとその扉を閉める。
 まだ柴田さんの怒りを含んだ声は聞こえていた。

「さ、帰ろっか」

 おい……。

「このまま?」
「うん、このまま。あ、靴だけは履いてね?」

 いや、そうじゃなくて……。

「喧嘩放っておいていいの?」

 猪俣さんが何故同じ部屋に入って行ったのか、海は絶対分かっている。
 分かっていてわざと喧嘩の種を撒いたように見えたのだ。

「いいよ。明日オフだから」

 そうじゃなくてっ!

「あの2人はさ、あぁやって毎回喧嘩するの。俺はちょっとしたお手伝い」

 ……アレのどこが手伝い?
 離婚でもさせる気?

「ま、明日になれば分かるよ」

 海の言葉の意味はさっぱり分からなかった。





 翌朝、ゴミを捨てに集積所へ行くと柴田さんがいた。

「おはようございます」

 私の声に柴田さんは振り返って顔を赤らめた。

 何故
(なにゆえ)に……?

「おはよう彩さん。あの……海にありがとうって伝えておいてくれる?」

 ありがとう?

 私は昨日の喧嘩を思い出して首を傾げる。
 どう考えてもお礼を言われるような事ではない。

 ゴミ集積所にゴミ袋を置いて私とすれ違った柴田さんの首に……。

 ん?
 あ、腰擦ってる。
 え〜っと……仲直り、出来たのよ……ね?

 私は柴田さんの背中を眼で追いながら頭を掻いた。
 見てはいけないものを見たようで、落ち着かない。

 私はゴミを捨ててさっさと部屋に戻った。

「お帰り」
「海、変な事訊いてもいい? もしかして柴田さん達の仲直りって……」
「あぁ、キスマークか何か見えた? 毎回柴田さん腰痛そうだから今回はオフの前日に仕掛けたんだ」

 仕掛けたって……。

「いつもさ、俺ばっかからかわれて不公平だと思うわけさ。こういう憂さ晴らしもいいかなってたまに仕掛けるんだ。柴田さんの欲求不満解消にもなって一石二鳥でしょ? 腰痛でも機嫌いいしさ」

 猪俣さんも柴田さんも可哀想じゃ……。
 きっとそのうち同じような事で返される気がするのは深読みのし過ぎなのかしら?

「あっやさぁん♪ 俺にも彩さん食べさせて? 食後のデザート♪」

 昨日何度シたと思ってんのよ?!

「私まで腰痛にする気?」
「大丈夫、加減するから」

 何の加減よ?!

 とはいえ、何だかんだ言っても海に弱い私。
 結局、翌朝は腰痛でベッドから出る事は出来なかった。

 海の嘘吐き……。
 加減するって言ったくせに……。

「ごめんね、彩さん♪」

 海と柴田さんは肌の艶もよく、ご機嫌で仕事に出掛けて行った。

 どうやらツライのは私だけらしい……。
 海の……海の馬鹿野郎〜っ!!






― Fin ―
猪俣と柴田の仲直りって……そうなんだぁ……へぇ。
でも何で海君が知ってるのかな……??(6_6;)









2008年09月10日



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