いけ好かないヤツ
(有名人な彼)
俺はシスコンだ。
いきなりのカミングアウトだが、それは事実。
否定する気はない。
元々、昔から仲良し姉弟だ。
俺の嫁さんなんかは付き合っている当時から仲の良さに呆れていた。
そんな姉ちゃんが結婚した。
本来なら喜んで祝ってやるべきなんだろうが……とんでもない。
っつうか、ありえない。
今まで以上に心配する日々を送っている。
何故ならば、相手は一般人ではない。
毎日片手以上テレビに映るその男は俺よりも年下で。
確かに人気はあるし収入もそれなりにあるだろうとは思うけど。
奴が独身の頃、どれだけのスキャンダルを報じられてきたかを考えると心配せずにはいられない。
そして、俺は意味もなく向かってしまう。
姉ちゃんの住むマンションに。
もう入口やエレベーター前の警備員にも慣れた。
最初は胃に穴が開くかと思ったが、慣れればなんて事はない。
怪しい者じゃないし、後ろめたい事もないのだから。
「あんた暇人ねぇ」
俺の顔を見た姉ちゃんの第一声。
毎度、俺と姉ちゃんとの間にかなりの温度差を感じる瞬間だ。
「職場からそう遠くないし、姉ちゃんの顔見て帰ろうと思う優しい弟の気持ちが理解できないんですかね、貴女は?」
「優しさってのは人に押し付けるもんじゃないのよ、宇宙クン。お勉強になったかしら?」
姉ちゃんはそう言いつつも上機嫌で俺を部屋に通してくれる。
その室内にはやはり男を感じさせるものはない。
「まだ帰って来ないの?」
「地方ロケ行ってるけど、明日には帰って来るんじゃないかしら」
サラリーマンで例えるなら出張か?
相変わらず忙しそうな姉ちゃんの旦那は……人気俳優だ。
「相変わらず忙しそうだね」
「まぁ、忙しいほうがいいんじゃない? テレビに映ってなんぼの世界だし」
姉ちゃんは手際よくキッチンを動き回る。
「宇宙、ご飯食べていく?」
「え? あるの?」
「うん、まぁ……あるわよ?」
なんだ?
旦那がいないのに旦那の分まで作ったのか?
それとも俺が来る事予測してたのか?
姉ちゃん……可愛過ぎだぞ。
「何があるの?」
「ロールキャベツ」
「うぉっ! 食う食う!」
ロールキャベツは俺の好物だ。
毎週金曜日に現れる俺のために作ってくれたのかもしれない。
嫁さんは料理があまり上手じゃない。
もっと正直に言えば下手だ。
麻婆豆腐・カレー・シチュー・野菜炒め・焼き魚・韮玉・かたやきそば辺りを繰り返している。
ロールキャベツなんてもの作ってもらった事はないし、多分作れない。
作ったとしても食えるものではないだろう。
今日出てくるだろう焼き魚は中身が生の時もあるから要注意だし。
目の前に美味そうなロールキャベツが置かれる。
「あんた……犬みたいよ?」
「だってロールキャベツ正月以来だし」
「奥さんに作ってもらえばいいじゃない」
「あいつは料理音痴なんだよ、姉ちゃん教えてやって」
「無理」
姉ちゃんは顔を引き攣らせて即却下。
姉ちゃんと嫁さんの関係は……イマイチよろしくない。
姉ちゃんが結婚してから、だが。
嫁さんが姉ちゃんの旦那の大ファンで、初対面の時に興奮しまくったのが原因だ。
それ以来、姉ちゃんは嫁さんを避けている。
俺もその方がいいと思う。
お互いの家庭のために。
「料理上手な嫁が欲しかった……」
「子供2人も作っといて何を今更……」
「時間が戻るなら今の嫁は選ばない」
「最低」
姉さんの言葉が胸に突き刺さる。
嫁さんに嫌いと言われる以上に傷付く俺はやっぱりシスコンだ。
「姉ちゃんみたいな嫁が欲しい……」
姉ちゃんから茶碗を受け取った直後、悪寒が奔った。
「それは危険発想だねコスモ君」
「誰がコスモだ」
背後から突然現れた人物にもう驚く事はない。
この突然の登場も慣れたものだ。
「コスモ君と彩さんは血の繋がった姉弟でしょ?」
「自分の理想が姉だとマズイのか?」
「危険」
テレビでよく観る男は俺を冷たい眼で見下ろして通り過ぎていく。
「彩さんただいま」
「おかえり。明日じゃなかったの?」
「うん。明日の午前じゃ彩さんが澄香サンに拉致られるかもしれないから今朝纏めて撮って帰って来た。一発OK連発の俺を褒めて」
「俳優としてある意味当然じゃないの?」
甘える男に姉は素っ気なく言い放つ。
「あ、今日ロールキャベツ?」
「そ」
「やった♪」
この喜び様は……。
俺も好きだけど……やっぱりこの男のために作ってたのか。
そうと思うとちょっとショックだ。
「コスモ君、いつまでここにいんのさ? 今日はさっさと帰ってよね、久々の夫婦の時間を邪魔するのは弟のコスモ君でも許さないよ?」
この男が俺をコスモ君と呼ぶ時は機嫌が悪い。
それはこの家を訪ねているうちに気付いた。
「相変わらず姉ちゃん命だな」
「勿論。子供が生まれようと俺の1番は彩さん。子供であっても2番以下にしかなりえない」
「はいはいご馳走様」
「まだ食べてないじゃん」
「お前のノロケに対して言ってんだよ、馬鹿」
馬鹿という言葉にぴくんと反応した姉ちゃんの旦那は、冷笑を俺に投げながら姉ちゃんを抱き寄せた。
「彩さん、ただいまのキスは?」
「は? 人前で何言ってんのよ?」
「人前って弟じゃん」
そう言いながら奴は姉ちゃんに濃厚なキスをした。
何かの撮影か?
そう思いたくなるワンシーンだ。
相手は姉ちゃんだが。
「……馬鹿」
顔を赤らめる姉ちゃんは可愛い。
贔屓目ではなく男としてそう思う。
結婚式以降眼鏡をコンタクトに変えたのも影響しているかもしれない。
「コスモ君、さっさと食べて帰ってよ。いつまでも何してんのさ?」
コイツはぁ〜っ!!
「久々のロールキャベツをゆっくり堪能したい俺の気持ちは無視か?」
「無視に決まってるじゃん。ってかお邪魔虫」
「さむっ」
俺は嫌がらせのようにゆっくりゆっくりとロールキャベツを平らげた。
目の前に苛立つ俳優がいようと構わない。
俺がダラダラと食っている間に姉ちゃんは風呂に行ってしまった。
コイツと2人きりというのは正直……嫌だ。
「お前……」
「何さ?」
「あんまベタベタしてると姉ちゃんに捨てられるぞ。姉ちゃんそういうの嫌いだから」
「は?」
「まぁ、せいぜい捨てられんなよ」
「そっちこそ。シスコン過ぎて奥さんに捨てられるのは時間の問題じゃない?」
「今更。結婚前から嫁さんは知ってるし」
「寛大な奥さんだね、こんな危険思想の男と結婚するんだからさ」
姉ちゃんが席を外すといつもこんな会話ばかり。
姉ちゃんと嫁さんはうまくいかない。
嫌い合っているわけではないが、以前ほど好印象は抱けないようだ。
当然だが。
俺とこの男も同じ。
いや、違う。
最初から気に入らない。
お互いにそういう意味では気が合ってるのかもしれない。
コイツも俺を嫌ってるみたいだし。
二人きりの空間ではいつだってこんな言葉の応酬の繰り返し。
ぎゃあぎゃあと言い合っていると大きな咳払いが聞こえてきた。
「あんた達……小学生?」
姉ちゃんがリビングの入口に呆れた顔をして立っている。
コンタクトを外したらしく眼鏡を掛けていた。
「彩さんっ」
「姉ちゃんっ」
「「コイツ性格悪過ぎっ」」
「あんた達気が合ってるじゃない。絶対に仲良くなれるわよ」
「「無理!」」
姉ちゃんが楽しそうに笑い出す。
その笑顔を見ているうちに俺達の中の怒りのボルテージが下がっていくから不思議だ。
姉ちゃんの旦那が立ち上がってキッチンに向かう。
冷蔵庫を漁っていただろう奴が、突然姉ちゃんの手を掴んだ。
「彩さん、手どうしたの?」
手?
俺は2人をじっと見つめた。
「あぁ、大した事な……」
「大した事ないわけないでしょ」
何だ、なんだ?
何なんだ?
「コレ、煙草でしょ?」
煙草?
姉ちゃんは吸わないぞ。
「ホームで煙草吸いながら歩いてる人がいたのよ。で、その傍にベビーカーに乗った子がいて……大人の男性の手の位置が子供の顔の傍だったから危ないと思って手を出したらジュって……」
「はぁ?! 駅でだって今は吸えないでしょ?!」
「ホームに喫煙所ってのがあるのよ」
「だからって……っ!」
「平気よ、相手も謝ってくれたし軽い火傷だし」
「平気じゃないよ! どこのどいつさ?! 訴えてやる!」
「どうどうどう」
怒り狂う旦那の背中を姉ちゃんは苦笑しながら叩いている。
その宥め方はどうかと思うが。
「私もちゃんと言うべき事は言ったし、どこの誰かなんて知らないし知りたくもないしもう終わった事だし本当にいいの」
「よくない!」
「……私がいいって言ってんのよ、当事者の私が。あんたは見てもいなきゃ傍にもいなかった全くの無関係者。黙ってなさい」
「だって、彩さんの手だよ?! 世界一大事な人がこんな火傷して黙ってる男がいる?!」
「いて欲しいわね。そんな旦那が理想だわ」
姉ちゃんはズバッと言い放って旦那を黙らせた。
しかし、それも一瞬だけの事。
姉ちゃんの旦那はまだまだ言い足らないようだ。
「俺はね、彩さん。彩さんを愛してるから心配するんだよ? 今回は手だったから良かったかもしれないけど、これが夏じゃなくて冬だったら? 手じゃなくて服だったら? 火が広がって全身火傷とかになったらどうすんのさ? 全身火傷は死ぬ事もあるんだよ?」
姉ちゃんの旦那は真剣な顔をしていた。
「俺は彩さんに何かあったら生きていけないし、彩さんが危険な目に遭うと思ったら冷静でなんかいられない。小さな火傷だけど、俺にとっては大怪我と同じ。ルールを守らない奴等のせいで怪我したなんて許せる事じゃないでしょ。少なくとも俺は許せないし許さない」
「はいはいはいはい」
姉ちゃんは軽く流してるけど、凄い台詞だと思うのは俺だけなのか?
ちょっと怖いぞ、コイツ。
俺は嫁さんが同じように怪我したとしてもそんなに怒らない。
いや、多分全く怒らないだろう。
よくやった程度は言うかもしれない。
嫁さんの心配は……しないだろうな。
何よりも俺の友達や同僚、上司達が同じ台詞を吐いたら引くと思う。
それなのに、目の前の人物が言うと悔しいけどカッコ良くて。
言いたくはないが、そこまでの想いに感動さえ覚える。
目の前でなんとなく甘い空気を感じた俺は立ち上がって鞄を持った。
暖簾で遮られているのでキッチンは2人だけの空間。
その雰囲気を壊さないように、邪魔しないようにそっと部屋を出た。
「あ、こんばんは」
玄関を閉めて溜息を漏らした時、声を掛けられた。
2つ隣に住む奴の弟、上総君が玄関を開けてこちらを見ていたのだ。
鞄も持っているし、会社帰りなのだろう。
「どぉも」
「今日は帰るの早いですね」
「あぁ……あいつが帰ってきたから」
「え? 明日じゃ?」
兄貴のスケジュールを記憶しているコイツもかなり危険だと思う俺はおかしいんだろうか?
「さっき帰って来た」
「じゃあちょっと行ってみようかな」
「あぁ……やめといた方がいいかも」
「え?」
「多分1ラウンド開始」
俺と上総君の間に、なんとも形容しがたい空気が流れる。
「……じゃ」
俺は上総君の後ろを通過してエレベーターに向かった。
美味いロールキャベツをご馳走になったはずなのに胃がもたれてる。
きっと、あの男のせいだ。
いけ好かない姉ちゃんの旦那のせいだ。
やっぱり俺はあんな奴とは仲良くなれない。
きっと一生。
いや、生まれ変わったって無理だろう。
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