有名人な彼
第10話






 私は酔っ払った澄香をタクシーで送り届けてマンションに帰って来た。

「ただいま」
「お帰り」

 部屋の中には珈琲の香りが充満していた。

「ご苦労様」

 男が珈琲の入ったカップを私に差し出す。

「ありがと」

 思わず素直に礼を言ってしまった……。

「いい友達だね」

 男が私に微笑む。

「そうね」

 それ以外の言葉が見つからない。
 いい友達と言われると素直に嬉しい。
 澄香は親友だから。

「俺を見ても写メも撮らなかったし、サインも強請
(ねだ)らなかった」
「そうね。でも、澄香はあんたのファンだから後日こっそり頼まれるとは思う」

 私はクスクスと笑った。
 澄香が興奮して忘れただけだとは言わない方がいいだろう。

「彩さんも楽しそうだった」
「あんたも楽しそうだったじゃない」
「楽しかったよ。澄香さんに会えたし、彩さんの話たくさん聞けたし」

 私はカップに口に運びながら恥ずかしくて視線を逸らした。
 テーブルの上は綺麗に片付いていた。

「片付けて……くれたの?」
「彩さん彼女送って行ったからその間にね」
「ありがと……」

 やってくれた事なかったのに……調子狂うなぁ。
 この男……もしかして酔うとこうなるのかしら……?

「もしかして酔ってる?」
「全然。俺酔わないみたい」

 男は私の顔をじっと見つめていた。

「そんなにじっと見ないで、凄く恥ずかしいんだけど?」
「3週間も会えないんだもん、今夜はずっと見てたい」
「駄目、寝なさい。あ、その前にお風呂入ってきなさいよ?」

 私は男の視線から逃げるようにキッチンに入った。
 洗い物もなくなっている。
 男が洗ってくれたらしい。

「彩さん、訊いてもいい?」
「何……?」

 私は振り向かないで問い返した。
 男が傍に歩み寄ってくる。

「少しは……俺の事好きになってくれた?」

 はい……?

 男の手が私の横髪をそっと掻き上げる。
 シンクにカップを置くと、男が私の両肩を掴んだ。

「な……何?」

 驚いている間に冷蔵庫に身体を押し付けられた。

「俺の勢いに負けてるだけ? 俺の事嫌い?」

 何でそうなるの……?

「俺は愛してるよ、彩さんを愛してる」

 男は真剣な眼をしていた。

 “愛してる”なんて言葉、初めて言われた……。
 腰抜かしそう……。

「彩さんは……? 俺、不安なんだ。俺の勢いに流されてるだけみたいで……名前も呼んでくれないし、素っ気ないし……俺、嫌われてるの?」

 確かに……目の前で名前を呼んだ事はない。
 呼ばないと決めている。
 素っ気無いのも分かっている。
 だけど、今更どうする事も出来ない。

「答えて彩さん、俺……迷惑?」

 今にも泣きそうな声だった。

「そんな事……ない……」

 好きよ……。
 その言葉を口にするのを私は躊躇った。

「流されてるわけじゃ、ない……」

 そう言った瞬間男に抱きすくめられた。

「彩さん……俺が素の望月 海になれるのは柴田さん以外では彩さんだけなんだよ?」

 柴田さんもそう言ってたっけ……。
 この男は澄香に躊躇いもなく会ったのだ。
 多分、私が彼氏だと紹介しても笑顔で挨拶したに違いない。

 私はこの男を信じてみようと思った。
 多分……この男は私に嘘は吐かない。
 確証なんて何もないけれど……そんな気がした。

 私を抱きしめる腕に力が篭る。

「彩さん、愛してる……俺を見てよ……」

 震える小さな声で男が言った。

 もう駄目だ……しっかりと捕らえられてしまっている……。
 もう逃げる事なんて出来ない……。





 男が海外ロケに出た翌週の週末、澄香に呼び出された私は池袋のハンズ前に立っていた。

「彩」

 澄香が私の後頭部を何かで叩いた。

「海君載ってるから買って来た」

 差し出されたのは丸められた雑誌だった。
 写真込みで4ページというのが多いのか少ないのか私には分からないけれど。

 私達は近くの喫茶店に入って珈琲を飲みながら雑誌を捲った。
 雑誌記者との対談だった。

 記者: 女性を見る際に最初にどこを見ますか?
 望月: 空気……ですかね?

 記者: 空気?
 望月: 女性の周囲の空気です。女性自身はあまり見てないかも。

 記者: 空気を見てどう思うんですか?
 望月: 人に好かれるタイプだとかそうじゃないとか?
 
 記者: 人に好かれる方
(かた)がお好きなんですか?
 望月: そうですね、意図的じゃなくて……自然と人を集めちゃうような人が好きです。

 記者: じゃあ、好みの女性は?
 望月: 優しくて、甘えさせてくれて、周囲を楽しませてくれて、男女問わず好かれてる人ですかね。

 記者: 意外ですね、甘えるんですか?
 望月: 俺、甘えますよ。相手が引いちゃうくらい。(笑)

 記者: 想像出来ないです。
 望月: 俺だって人間ですからね、素の望月 海で休みたいじゃないですか。そんな時に何も訊かないで甘えさせてくれる人って素敵だなって思います。

 記者: 綺麗な人と可愛い人ってどっちがお好きですか?
 望月: 外見は気にしません。重要なのは中身ですから……勿論、心
(ハート)って意味ですよ?(笑)

 記者: 年上が好きとか年下が好きとかってありますか?
 望月: 特にないです。年齢なんて気にした事ありませんから。

 記者: 気にした事ないんですか?
 望月: ないですね。生きてる女性全員が対象です。

 記者: ストライクゾーン広いですね。
 望月: そうでもないですよ。男女問わず好かれる人って少ないですから。

 記者: 女性の好きな仕草は?
 望月: 仕草だけで惹かれる事はないですけど、好きな人だったらどんな仕草も愛おしいと思いますよ。

 記者: 好きな女性と行きたい場所なんてありますか?
 望月: 特にないです。好きな女性と一緒ならどこだって最高の場所じゃないですか?

 記者: どこでも?
 望月: えぇ、近所のラーメン屋さんも高級レストランと同じ位素敵な場所に思えますよ。好きな女性といるってそのくらい幸せな事なんだと思いますけど?

 記者: 女性を好きになったら御自身は変わります?
 望月: 貪欲になりますね。小さな事にも嫉妬しますし……元々大きくないけど、それ以上に器の小さな男になります。(笑)

 等など、恋愛に関するインタビューだった。

「愛されてるねぇ、彩。普通に素で話してんじゃん……って言うか思いっきり公の場で告ってる」

 澄香の攻撃力の強いデコピンが私の額に飛んできた。
 軽く星が飛ぶ。

「気のせいよ」

 私は真っ赤な顔を俯いて隠した。

「でも……これ読んで納得できる人間いないだろうね、イメージ違い過ぎ」
「いても困るわよ」

 納得できる人物は男が甘える人物だけだもの。

 男が私以外に甘える……?
 そんなの……嫌。
 うわっ……今更だけど、私って心狭っ……!

「まだ帰って来ないんでしょ?」
「3週間って言ってたけど……延びそうだって」

 私は男の写真を眺めながら呟いた。

「そっか……帰って来たらまた遊びに行ってもいい?」
「駄目って言っても来るでしょ?」
「まぁね」

 澄香には結局、引越しの話をする事は出来なかった。
 誰かの意見ではなくて、私が……私自身が決めなければいけない事だと思ったから。
 きちんと考えて答えを出して、男に伝えてから話そう。

 そう思ったのだ。





 会えない間、私はただ男の事だけを考えていた。

 3週間は長い。
 1週間も過ぎると寂しくなっていた。
 ただあの男が来ないだけなのに。
 そんなに会っていないのに……来ない事がこんなに落ち着かないとは思わなかった。

 出会って2ヶ月足らず。
 なのに、こんなに惹かれている。

 一緒に住むって本気?
 知り合って間もないじゃない。
 こんな何の取り柄もないつまらない女に本気で言ってるの?

 8つも年上のおばさんよ?
 来月には31になるのよ?
 自分でも分かっているくらい重症な天邪鬼なのよ?
 傍にはもっと美人で年齢も近い、素敵な女の子達がたくさんいるじゃない……。
 何で私……?

 いくら考えても答えなど見つからない。
 知っているのはあいつだけ……。

 なんで俳優なんだろう?
 どうして俳優なのだろう?
 お蔭で嘘か本当かも分からない。
 信じていいのかも分からない。
 でも……信じたい。

 私はあの男が好き。
 それだけは否定できない事実なのだ。





 男が帰国したのは約4週間後。
 男が海外ロケに出てから捲ったカレンダーも半分以上が過ぎ去っていた。

 飲んでいる最中にメールが来たので、私は怪しまれない程度で帰って来た。
 男は鍵を持ったままだから勝手に入れるけれど、部屋で待っていたかった。
 少しでも早く……会いたかった。

「ただいま、彩さん」

 玄関を開けた男の肌は、陽に焼けて男らしさを倍増させていた。
 心なしか心拍数が上がる。

「随分焼けたのね」
「脱ぐと情けないんだよ、ブリーフ焼けで」

 男の言葉を素直に想像して私は噴き出した。

「笑わないでよ……」

 男が拗ねたように私を見下ろす。

「お帰り」

 多分、私はこの男に初めて“お帰り”と言う言葉を発しただろう。
 気付いてないだろうけれど。

 帰国したその足でここに帰って来てくれた事が嬉しかった。
 何だかんだ言っても、会えない時間が長くて、不安で……寂しかった。
 やっぱり夢だったのではないかと何度も考えた。
 そんな事、口が裂けたても言わないけれど。

 久々に男に抱きしめられて心が満たされていくのを感じた。

 あぁ……こんなに惚れちゃったんだなぁ。

 今更ながらそう思った。

 お風呂に入った後、久しぶりに一緒に食事をしてビールを飲んで同じベッドに潜り込む。

「彩さんの体温を感じさせて」

 やっぱそれって……させろって事よね?
 毎回毎回よく考えてくるなぁ……。
 こういう事にだけ頭を使っているのかしら?

「彩さん、俺の事だけ考えて……?」

 男の唇が優しく私に触れる。

 この1ヶ月あんたの事ばかり考えてたわよ。
 あんたの事しか考えてなかったわよ。

 口に出さずに心の中で呟く。

 悔しいくらいあんたに惚れちゃってる。
 これでからかわれただけなんて事になったら、間違いなく男性不審に陥るわ。

 私達は1度身体を重ねた後、会えなかった1ヶ月間の話をした。

「そういえば……考えてくれた?」
「何を?」

 わざと気付かないフリをしてみる。

「引越しの話」

 分かっているけれど……。

 悩み続けた1ヶ月。

 いつまでも逃げてちゃ駄目……。
 私は自分にそう言い聞かせて覚悟を決めた。

「……まだ、嫌」

 意外そうな表情で男は腕の中の私に視線を移す。

「1年経っても私を想ってくれてたら……その時は一緒に住む」

 私の言葉に男は破顔一笑した。

「なんだ……そんな事か。じゃ、来年の今日は引っ越し決定だね」

 男は自信満々だ。
 どうしてそんなに自信があるのよ?
 気持ちなんていつ離れていくか分からないじゃない。

「俺は彩さんしか見えないから。彩さんが俺の気持ちを試したいなら試せばいい。それで彩さんの不安がなくなるならいくらでも試されるよ」

 男の声は優しく、私は小さく頷いた。

「俺には彩さんしかいない。傍に居るのは彩さんじゃなきゃ駄目なんだ。誰にも代われない、彩さんが待てって言うなら5年だって10年だって待つよ」

 10年も待たせたら私40越えちゃうし……。
 目立った長所も特技も自慢もない私は生もの同然。
 10年経ったら……綺麗で生き生きした人達とは違って、平々凡々な私の賞味期限は確実に切れている。

「2年半も彩さんだけを見てきたんだから今更焦ったりしないよ」
「に……2年半……?!」
「そうだよ、言わなかったっけ?」

 聞いてない。
 柴田さんだって1〜2年と言っていた気がする。

「2年半の間ずっと彩さんだけを見てたよ」

 そのわりに週刊誌を賑わせていた気がするんだけど……気のせいかしら?

「彩さんだけをずっと愛してる」

 男が私を抱きしめる。

「私も……海が好きよ」

 私は海の腕の中で小さく告げた。
 静かな部屋の中にはその声を遮るものなどなくて。
 だから、しっかり聞き取れたらしい。

 海は身体を硬直させた。

「い……今、海って言った? す……好きって言った?!」

 薄明かりの中でも分かるほどに海は真っ赤な顔をしていた。
 何故かオイル不足のロボットのように動きがぎこちない。

「言った」

 真っ赤な顔で動揺する海を見ながら私は暫く笑った。

 特別な日だから少しだけ素直になろうと思った。
 今日、6月22日は海の23回目の誕生日なのだ。

 澄香がそう言っていた。

「すっごく嬉しいんだけど……寝不足にしていい?」
「嫌」
「せっかく海って呼んでくれたのに」
「どういう理屈よ?」
「好きって言ってくれたのに?」

 うっ……。

「現実だって感じさせて?」

 誕生日おめでとう……大好きよ。
 海に抱かれながら私は心の中で呟いた。
 絶対に口には出さないけれど。

 素直になれない今の私にはこれが精一杯。
 これからの1年は、私が海を知っていく時間。

 大久保さんにも訊いてみよう、知らない海を。
 勿論、柴田さんにも。

 来年の今頃はきっと……もっと海を好きになってる。
 そんな気がする。





 そして私達は何度も愛し合い、寝不足な朝を迎える。
 同じように訪れる朝……なのに気持ちを伝えた今朝は、世界が少しだけ違って見えた。






― Fin ―





      
2007年10月10日



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