有名人な彼
第9話






 シャワーから出てくると男の声が聞こえた。

 楽しそうに話をしている。
 友達からでも電話が掛かってきてるのかもしれない。

 私がリビングに戻ると男の手には何故か私の携帯が握られていた。

「ちょっ……!」

 誰と話してんのよ?!

「あ、彩さんが来たから代わるね。彩さん、井守さんだって」

 井守 澄香
(いもり すみか)……?!

 それは人生の半分付き合っている友人の名。

「勝手に電話に出ないでよ! 何考えてんの?!」
「1回目は出なかったんだけど、2回目が鳴ったから急用かなと思って」
「だからって……!」
「早く出てあげなよ」

 差し出された携帯を受け取りながら私は男を睨み付けた。

「彩さん、怒ってる?」
「怒ってる」

 携帯電話を耳に当てると笑い声が聞こえた。

「……もしもし?」
『久しぶりぃ。あんた面白いのと付き合ってんのね』

 面白いって?

「何話してたのよ?」
『海君って言うんだねぇ』

 私
(ひと)の話を聞け!

『年下でしょ?』
「そうよ」

 8歳もね……。

『えらい猛烈アタックだったんだって?』

 はい?

『ずっと片想いしてて、偶然話す機会があったから勢いで家まで押しかけて襲っちゃいました、って言ってたよ?』

 私は男を睨んだ。

 芸能人だとはバレていないようだけど……男のくせにペラペラ喋ってんじゃないわよ!

「彩さん怒らないでよぉ……」

 男が私の腰に手を回してきた。
 唇が私の頭に優しく触れる。

『あははっ、なんか可愛い男じゃない。今度会わせなさいよ、彼は都合が合えばいいって言ってたよ?』
「はぁ?! ちょっとあんた勝手に会う約束したの?!」

 私を無視して勝手にそんな約束しないでよ!

 思わず2人に対して怒鳴ってしまった。

「だって彩さんの友達に会ってみたいから……駄目?」
「駄目っていうか……自分の立場分かってんの?!」
「彩さんの友達なら安心でしょ? それとも信用できないような友達?」

 そうじゃないけど……。

『何? あんたの彼氏ってそんなにヤバイ人なの?』
「ある種ヤバイ人種なのは否定しないわ……で? 用事って何だったの?」

 私はこれ以上訊かれない様に話題を変えた。

『今晩暇かなって思って電話したのよ』
「今晩? なんでよ?」
『私が暇だったから』

 そういう奴よねあんたって……。

 どうやら私は非常識な人間に好かれる体質らしい。
 よく考えると澄香も私に対しては全く遠慮がない。
 学生時代から振り回されっぱなしだ。

 私は溜め息を吐いた。

「今日帰るんでしょ?」

 男を見上げると首を傾げられた。

 なんでよ?
 仕事があるなら帰りなさいよ。
 今夜も昨日みたいに盛られたら私の身体が持たないし。

「なんで? 帰らないよ?」
「準備は?」
「柴田さんがやってくれるから」

 私は顔を顰めた。
 がっかりした事よりも、柴田さんに準備させるこの男に呆れたし腹が立ったのだ。

「あんたって本当にお子様ね。自分の用意くらい自分でしなさいよ」
「柴田さんがセンスないって言って服とか選ばせてくれないんだから仕方ないでしょ?」

 まったく……柴田さん甘やかし過ぎ……!

「彼女来るの?」

 嬉しそうに男が私を見下ろす。

『何? 行ってもいいの?』

 男の声が聞こえたらしく、電話の向こうからもご機嫌な声が返ってくる。

 確かにこの男を外には出せない。
 それに、この男は彼氏というわけでもないから会わせるのはちょっと考えてしまう。

「澄香……今日は……」
『酒買って行くから! 時間は未定、早いかもしれないし遅いかもしれない……って事でこれ以上エッチはしないでね!』
「だから今日は……っ!」
『じゃ、後でね!』

 一方的に電話を切られた。
 いつもの事だけれど。

「あんたが勝手な事言うから来る事になっちゃったじゃない!」
「駄目だった? 俺は知らない彩さんをもっと知りたいんだけど?」

 そ……その台詞はズルイと思う。
 私にはあんたを知る術はない。
 大久保さんに訊く勇気もない。

 私は大きな溜め息を吐いた。





 午後3時過ぎ、私達は遅い昼食を済ませて部屋で寛いでいた。

「彩さぁん、いい加減機嫌直してよぉ……」

 男は情けない声と顔を私に向けている。

「嫌」

 常識はないし遠慮はないし芸能人だし。

 私は男に背を向け、テレビを見つつ珈琲を飲んでいた。

「彩さん、ごめん。でも、俺もっと彩さんの事知りたいんだ」

 男が後ろから私を包み込む。
 同じシャンプーの香り。

「珈琲が零れるから放しなさい」
「嫌だ、彩さんが許してくれるまで放さない」

 だったらずっと許すのやめようかしら……。
 一瞬そんな事を考えた自分が情けない。

「あ、望月 海……」

 テレビ画面にクールな男の姿が映し出されていた。
 このCM、凄く好きだったりする。

 このCMは、男が女性に引っ叩かれるところから始まる。
 日めくりカレンダーが何枚も捲れ、落ち込んだ男と背中を震わせて泣いている女性の後姿が交互に映る。
 そして、この部屋では見せない仕事の顔をした男が、ビデオカメラを固定してその前に立ち、髪を整えたり咳払いして長い沈黙の後カメラ目線で一言 『愛してる』 と恥ずかしそうに言う。
 その映像を彼女に送って仲直り、というプチドラマのようなデジタルビデオカメラのCM。

 CM中の台詞は男の “愛してる” だけなのだ。
 相手女性の顔は1度も映らないし、声も出さない。
 その他の場面では切ないプロエの曲が流れるだけ。

「本物がここにいるんだけど?」
「こっちの方がいい」
「彩さんひどい……」

 男の唇が耳に触れた。

「あっ……」
「彩さん……好きだよ、本当に大好き。彩さんも俺だけを見て?」

 男が私の手からカップを抜き取りテーブルに置いた。
 そして後ろから私の顔を覗き込むようにキスをする。

「彩さん……」

 キスを繰り返しているうちに私は男に組み敷かれていた。

「彩さん、目の前の俺だけを見て……?」

 男が私の眼鏡を外した。

 眼鏡を外される前にみた男の目が寂しそうに見えた。
 何故なのかは分からないけれど。

 そして唇が、私の瞼や鼻先、頬から首筋、鎖骨へと滑るように触れる。

「もう……駄目っ……」

 流されそう……。

 流されてもいいかも……という雰囲気になってきた時、インターホンが鳴った。
 カメラに映っているのはおそらく澄香だろう。
 見えないけれど。

「放してっ……澄香が……」

 私は男の胸を押し離し、眼鏡を掛けてエントランスのロックを解除した。

「もう1時間位遅かったらよかったのに……」

 なにが?
 なんで?

 私は真っ赤な顔で男を睨み付けた。

「残念……」

 本当に残念そうな顔しないでよ……。

「あんた……本当に会うの?」
「うん、会いたい」

 確かに口の軽い子ではないし、信用は出来るけれど……。

「彩さん、好きだよ」

 なんでそんな話の逸らし方するの?

 男の指が私の髪を滑り、項に固定されると唇を重ねた。

「こんなに愛しいと思った女
(ひと)今までいなかった」

 男はいつになく真面目な顔でそう言って私の頬を撫でる。

 信じてしまいそうだ……。

「信じて……こんな気持ち、俺も初めてなんだ」

 男に抱きしめられ私は男の背中に手を回した。
 男の背中に手を回したのは……多分、ベッドの上以外では初めて。

「信じて? 俺には彩さんだけだから……彩さん大好きだよ」

 “彩さん大好きだよ” 

 男の言葉が魔法のように私の中で何度も繰り返される。

「ずっと俺の傍にいてよ」

 男はそう言って私の顔を見下した。
 玄関のインターホンが鳴った。
 私は慌てて男から身を離し、玄関に向う。

「あ、玄関から見えないところにいなさいよ?」
「ん、分かった」

 男から小さな溜め息が漏れたような気がした。

「やっほーっ」

 玄関を少し開けると、えらくテンションが高い親友が勢いよく扉を開け放つ。

「あんた元気ね……」

 見てるほうが疲れるくらい、無駄に元気がいい。

「元気よ? 可愛い彼氏に会えるんだもん、楽しみで楽しみで♪ 手土産も大量に持ってきたから♪」

 澄香はそう言って両手に持った買い物袋を持ち上げて見せ、さっさと靴を脱いで室内に入って行った。

 やっぱり常識が欠如してるのはあの男と柴田さんだけではなかった……澄香もだ。
 “お邪魔します” すらなかった。

 私は素早く玄関を閉めて施錠した。
 直後に起こる事が簡単に予測できるからである。

えぇぇえ?!

 当然の事だが澄香の叫び声が聞こえた。
 それと同時にガラガラと床に缶が転がる音が聞こえる。

 酒の入った袋を落としたわね。
 暫く飲めないじゃない。
 でも、玄関閉めてからで良かった……。

 私は大きな溜め息を吐いた。

「彩! こ……これっ望月 海?! どういう事?!」

 澄香は男を “これ” と表現した。
 相当パニクっているらしい。

「見ての通りよ、言ったでしょ? ある種ヤバイ人種だって」

 澄香は真っ赤な顔で男に釘付けになっている。
 澄香が俳優の望月 海が好きだというのは知っていたが、特殊な相手だけに変な相談も出来ないし、ついつい話しそびれていた。
 私達の関係も凄く曖昧だし、上手く説明出来ないからというのもある。

「挨拶しなさい、あんた会いたかったんでしょ?」

 私が男に視線を移すと、男はさわやかな笑顔を澄香に向けた。
 明らかに営業スマイル。
 と、いってもテレビで笑ってる姿などほとんど見ないけれど。

「初めまして、望月 海です」

 男は壁際のチェストに軽くお尻を乗せたようなポーズで会釈した。

 カッコつけちゃって……。

 澄香も1時間後には幻滅しているだろう。
 テレビとは全く違うこのオコサマな男に。

 澄香に近付くと、彼女の手が思いっきり私の背中をバシバシと叩いた。
 興奮度MAXらしい。

「い……痛いっ……!」

 痛みに顔を歪ませると男が私の手を引っ張って抱きしめた。

「彩さんを苛めないでくれません?」

 男は笑顔のまま澄香を諌
(いさ)める。

「あっ……ごっごめん! ちょっとっていうか、かなり動揺しちゃって……っ!」

 澄香が真っ赤な顔で手をブンブンと振ると空気が唸る。

 だから、ソレが凶器なんだってば……。

 元バレー部主将で、当時は全国大会にも出てたからそれなりに強かったのだろう。
 今でも母校のコーチやってるから馬鹿力は健在だし、スパイカーだっただけに叩かれると相当痛い。
 特に興奮している時は加減など忘れているのだから尚更だ。

「ちょっと……離して。動けないでしょ?」

 男は渋々と私を解放して床に腰を下ろした。

「澄香、あんたも挨拶位しなさいよ」

 私は澄香の傍に転がる酒を拾い集め、買い物袋に入れてキッチンに向かった。
 もう1つの袋には大量のおつまみ。

 どれだけ飲む気で来たのだろう……?

「い……井守澄香です。彩とは高校からの付き合いでもう15年友達やってます……」
「高校から? 15年も?」

 男の顔が俳優の仮面を外して子供のようなものに変化する。
 好奇心丸出しだ。

 私はそんな男の顔を見て苦笑した。

「高校生の彩さんってどんな感じだったの?」
「え? 彩は……今と大差ないかもね」
「じゃ、昔から人気者だったの?」
「人気者ねぇ……う〜ん、まぁそうかも。彩の周りにはいっつもたくさん人がいたからなぁ……」

 懐かしむように澄香が答える。
 私は2人の会話を聞きながら酒を冷蔵庫に入れ、つまみを皿に乗せていた。

「彩さんモテた?」
「何度か告白はされてたみたいだけど……どうかな……?」

 確かに微妙。
 澄香のほうがモテていたし。
 私と違って澄香は、スリムで長身でボーイッシュな容姿だけれど女らしいし素直さがある。
 男の人に素直に甘えられるのは羨ましい。

 私はつまみとビールをテーブルに運んで腰を下ろした。
 澄香は嬉しそうに男と会話を楽しんでいる。

 私の代わりにたくさんの質問をしてくれたので、知らなかった男の過去を少しだけ知る事が出来た。

 そういう意味では感謝だわ。





 気が付けば陽はどっぷりと暮れ、時計は午後9時を指していた。

「あんた明日仕事でしょ? さっさとお風呂行って寝なさい。肌荒れるわよ?」

 私は男に視線を移した。
 結構飲んでるのに男は素面と思えるほどに変化がない。

 一方澄香は……真っ赤な顔をして呂律も回っていない。
 かなり危険……。
 完全な酔っ払いである。

「澄香、あんたもそろそろ帰りなさい。また来ていいから」

 私が澄香の肩を叩くと彼女に睨まれた。
 酒癖の悪い女って最悪……。

「海よ? もちうきかいっ
(望月海)! なんれ(なんで)海があんらり惚れらのろ(あんたに惚れたのよ)?!」
「それ……私も疑問だし……」

 未だ理解できない。
 だから、私に訊かれても困る。
 何よりも私がソレを知りたい。

「彩さんだからだよ。つい何でも話しちゃうし、時々無性に会いたくなるし、見てるだけで安心しちゃう……彩さんの代わりなんて誰も出来ない。澄香さんだってそう思うでしょ?」

 男は穏やかな顔で私を見ていた。

「海君はぁ、彩にろっこんらろれ〜
(ぞっこんなのねぇ)
「そうだよ、俺の基準は全て彩さんだから」

 妙に大人びた男の顔に私は視線を逸らした。
 恥ずかしかった。

 そして……嬉しかった。






      
2007年10月09日

背景画像 : Abundant Shine 様
MENUボタン : ウタノツバサ 様
バナー : a day in the life 様

inserted by FC2 system