有名人な彼
その後の2人
第10話






 実家で昼食を摂った後、私達は海の実家に向かった。
 どうやら2日間の有給の使い方が予想と違うようだ。

「海の両親ってどんな人?」
「うちは父親だけだよ、母親はいないんだ。父親はね……一言で言えば変な人」

 海はそう言って笑った。

「大丈夫、変な人だから結婚に関しても何も言わないよ」

 違う意味で不安なんだけど……。

 緊張しながら海の実家に辿り着く。
 うちとは比べものにならないくらいに大きな家……いや、お屋敷だった。

「海の……実家……?」
「そ」

 門を潜って無駄に広い玄関前のスペースに柴田さんが車を停める。

「私はここで待機しておくわ」

 私は何故一緒に行かないのかと疑問に思ったけれど、柴田さんの言葉に海は小さく頷いた。
 いつもの事なのだろう。

「行こう、彩さん。緊張しなくても大丈夫だから」

 海は気にしていないようで、私の手を握って大きな屋敷の中に足を踏み入れた。
 緊張しなくて大丈夫、と言われて緊張が解けるならば苦労などしない。

「あら……お帰りなさい、海」
「ただいま」

 階段上から綺麗な女性が声を掛けてきた。
 私よりも年上そうだけど……誰だろう?
 母親はいないって言ったわよね……?

「お父様は書斎にいらっしゃるわ」

 お父様……?

「分かった」

 海は素っ気なく答えて奥の重々しい扉の前で立ち止まった。

「父さん、いるんでしょ?」
「……海か?」
「うん、入るよ」

 気のせいかこの声聞き覚えがあるんだけど……?

 扉を開けた海は、私の手を放して室内に入った。
 少し開いたままの扉の隙間から聞こえてくる2人の会話に耳を傾ける。

「芸能界に入ってから年に数回しか帰っても来ない不良息子が、家で待ってろなんて電話を遣すとはどういう風の吹き回しだ?」
「結婚しようと思ってさ」

 海は平然と答えた。

「ほぉ……そうか、子供でも出来たのか?」
「あんたと一緒にしないでよ。したいからするだけだよ」

 か……海、態度悪くない?

「相手の親御さんの承諾は?」
「誰に言ってんのさ? ここに来る前にちゃんと行って来たよ」
「で? 相手は連れて来たのか?」
「連れて来なきゃサインしてくれないでしょ?」
「よく分かったな」
「兄さん達の見てれば学習もするでしょ」
「それもそうだな」

 反応薄っ……。
 なんで息子が結婚するっていうのにそんなに無関心なわけ?
 驚きもしないなんて……こんなのばっかりなの?

「彩さん、入って」

 私は海に手を掴まれて室内に足を踏み入れた。

「……彩ちゃんか……?」

 その声に私は顔を上げた。
 見覚えのある顔……。

「望月社長……?」

 目の前にいたのは会社でお世話になっている望月建設の社長さんだった。
 望月社長は私を見て、それはもう誰が見ても明らかなくらい愉快そうに笑った。

「海の相手が彩ちゃんか? そりゃいい」

 私は眩暈を覚えた。
 確かに同じ苗字だけれど……まさか親子だとは思わなかった。
 だって望月社長は70を越えていらっしゃるはず……。

「海の相手が彩ちゃんなら文句のつけようもないな」
「そうでしょ?」

 そうでしょって……海は知ってたの?

「証人の欄にサインしてよ。都合のいい日に出しに行くからさ」

 望月社長は躊躇う事無くペンを奔らせる。

「息子をよろしく頼むよ、彩ちゃん」

 望月社長の言葉に私は深々と頭を下げた。
 驚きのあまり言葉が出てこなかったのだ。
 海だけでも充分に驚かされたけれど、まさか父親にまで驚かされるとは……。

「ゆっくりできるのか?」
「今日は無理。また今度ゆっくり来るよ。彩さんの両親との食事の場も設けるしさ。ありがとね」

 海はそう言って書類を受け取ると、私の手を掴んで書斎を出た。

「彩さん、大丈夫? 何かかなり動揺してるみたいだけど?」

 そりゃそうでしょ?

「海は知ってたの……?」
「彩さんから名刺貰った時に気付いた」

 何の話?

「うちの家族は皆父さんの会社で働いてるんだ。俺だけ異端児なんだよね。で、こっちに帰って来た時に家族がある会社の女の人の話を楽しそうにしてたんだ。会社の話なんか俺分かんないし興味もないからどうだってよかったんだけど……彩さんから名刺貰って、その時の女の人が彩さんだったんだって初めて知った」

 どんな話されてんだろ……?
 恐くて訊けない……。

「彩さん、念のため言っとくよ。俺は彩さんに惚れたんだよ。父さんとか会社とは無関係」

 そんな事分かってるわよ……。

「さっきの女の人は……?」
「さっきの……? あ、階段のとこで会った人か。あれは2番目の姉さん」

 はい……?
 姉さん……?
 私よりも年上じゃないの?

「海って……何人兄弟?」

 素朴な疑問。

「兄さんが5人と姉さんが3人、弟が1人と妹が2人。だから12人兄弟? 1番上の兄さんは今年53だし、上の3人とは腹違い」

 恐るべし望月社長……。

「ま、隠し子とかも含めると何人だか分からないけどね」

 サラッとそういう事言わないでよ……。

「だから変な人だって言ったでしょ?」

 意味違うし……。

「柴田さんも来る度に口説かれてるからとうとう家の中に入って来なくなっちゃったしね」

 海の言葉で柴田さんが中に入らなかった理由に納得できた。
 しかし…あの社長さんがそんなに軽い男性だとは思えない。
 人は見掛けによらないという事なんだろうか。

「あ、そういえば……常務の相川さんってお兄さん?」

 ふと思い出して海に尋ねた。

「あぁ……時子さんの……1番上の姉さんの旦那さんだよ。まぁ、兄妹の事兄さんとか姉さんとか呼んだ事なんかないけどね」

 まぁ、あれだけ年齢が離れてればね……。
 気持ちは分からなくもない。

「彩さん、俺は彩さん一筋だからね」
「分かってるわよ……」
「彩さん、愛してるよ」

 海はそう言って私に口付けた。





 8月20日。
 焼け付くような夏の日差し。
 地面からは陽炎。
 アイスなら1分も掛からないででドロドロに溶けてしまいそうな暑さ。

 私達は2人でタクシーに乗り込んで区役所に向かった。
 海がこの日休みを取っていたのだ。

「俺が彩さんを初めて店で見つけた日なんだ」

 海は嬉しそうにそう言った。

 よく覚えてるなぁ……。
 私は海と初めて会った日さえ覚えていないのに……。
 4月の金曜日という事だけは覚えているが、日にちは記憶していない。

 区役所の中に入り窓口に“契約書”と必要書類を差し出す。
 窓口にいたのは中年のおじさんだ。
 おじさんはこの男があの望月 海だとは気付かなかったようで、あっさりと“契約書”を受理した。

 若い人だったならば気付かれていたかもしれない。
 少しだけほっとした。

「おめでとうございます」

 社交辞令なのは分かっているけれど祝福の言葉が嬉しかった。
 私達は顔を見合わせて微笑んだ。

「お幸せに」

 差し出された“婚姻届受理証明書”を受け取って私達は役所を出た。
 その瞬間、私は密かに望月 彩になったのだ。

「柴田さんが待ってるから駐車場に行こう」

 海は私の手を引っ張って駐車場に向かう。
 柴田さんは用事があるとかで、今日は市役所で合流する事になっていたらしい。

 駐車場には既に柴田さんの姿があった。
 やっぱり乗って来たのはアル●ァード。
 念のために言っておくが、これは事務所名義の車である。
 決して海の車ではない。

 今更だけれど、私用に使ってもいいのか? と疑問に思う。
 稼ぎ頭だからなのかもしれないが、事務所は海に甘過ぎる気がしてならない。

「やっと出せたのね、おめでとう。海、頼まれてた物受け取ってきたわよ」

 頼まれてた物?

「ありがとう」

 海に促されて私が先に乗り、海は柴田さんと何やら話をしてから乗り込んだ。
 海は柴田さんも使い過ぎだと思う。
 そして柴田さんも甘やかし過ぎ。
 だからいつまで経っても海がオコサマなのではないかとさえ思ってしまう。

「彩さん、目を閉じて手出して」

 意味が分からない。

 だけど、取り敢えず言われるままに目を閉じて両手を差し出した。

「じゃ、ゆっくり10数えてね」

 私が数を数え始めると、海が私の左手をぎゅっと握った。

「何……?」
「目を開けちゃ駄目だよ。もう1回声出して1から数えてね」

 目なんか開けてないのに……。

「1……2……3……4……5……6……7……8……9……じゅ……」

 私が目を開けようとした瞬間唇を塞がれた。
 いくらカーテンで仕切られてるといってもマズイでしょ……?!

 深いキスを繰り返された私は、唇が離れると海を睨んだ。

「何考えてんのよ?」
「今日からよろしく、奥さん」

 海が微笑んだ。

 海の胸に拳を振り上げた瞬間私の目に見覚えのない物が飛び込んできた。
 左手薬指に見慣れない指輪。
 嵌められた感覚なかったのに……。

「な……に、これ?」
「結婚指輪だよ。俺のもほら」

 海が自分の左手を私の手に重ねると同じデザインの指輪が薬指に嵌っていた。

「仕事の時も肌身離さず持っておくからね。そのためにチェーンも買ったんだ」

 海はそう言って再び私に口付けた。

「愛してるよ、彩さん。彩さんは?」
「大っ嫌い」

 言えるわけないでしょ!

「恥ずかしがらないで教えてよぉ……」
「だから大っ嫌いだってば!」
「仕方ないなぁ……今夜ベッドの中で聞かせて?」

 爽やかな笑顔でそんな台詞を吐かないでっ!

「却下!」

 私は真っ赤な顔で答えた。
 俳優でなかったら間違いなく殴っている。

 柴田さんがいるのに平気でこんな事言えるんだもんなぁ……。
 やっぱり俳優は嫌い。
 羞恥心ってものを知らないし。
 誰の前でもサラッと恥ずかしい台詞を言えてしまうから。

「ま、いいや。彩さんは俺のものだもんね。望月 彩さん」

 海は役所で貰った“婚姻届受理証明書”を笑顔で広げて見せた。

 こんな奴だから私は一生勝てない気がするんだわ。

 私は左手を振り上げ、海が目を瞑った瞬間、頬にキスをした。

「あ……彩さん、い……今……」

 海が頬を押さえながら動揺している。
 うろたえている様子が可愛い……。

「ここで襲っていい……?」
「「駄目!!」」

 私の声に柴田さんの声が見事にハモった。

「意地悪……」

 柴田さんは運転しながら私達の会話を聞いていたようだ。
 私はおかしくて笑い出した。

「笑わないでよ、彩さん……」

 海の腕が私を引き寄せて唇を重ねた。
 優しくて深いキス。

 私は心の中で小さく呟く。

 海、愛してる。
 ずっと傍にいてね……。

「海、午前3時撮影開始だから0時には迎えに行くわよ。いつまでも彩さんに甘えてないでよね」
「えぇ〜っ新婚初夜だよ! 初夜! 
初夜、初夜、初夜っ! 何でそんな時間から撮影なのさ?!」

 初夜をそんなに強調しないで欲しい……。
 それ以前に今の生活環境からそんなもの関係ない気がするのだが……。

「仕方ないでしょ仕事なんだから」
「えぇ〜っ、俺具合悪くなってもいい?」

 おい……。

「駄目よ」

 当然でしょ……。

「寝坊してもいい?」

 コラコラ。

「却下」

 そりゃまた当然……。

「失踪してもいい?」
「今から連れ回すわよ?」

 いっそこのまま持って行って下さい……。
 あ、私はマンションで降ろして下さいね。

 でも、膨れっ面の海は可愛い。
 私って、もしかして嫁馬鹿……?

 私は右手の上に頬杖をつきながら2人の会話を聞いて小さな溜め息を吐く。
 会話に終わりが見えてこないからだ。

「頑張って、旦那様」

 私の言葉に海が大きく反応した。
 面白いくらい真っ赤な顔で。

「い……今……旦那様って言った……?」
「違った? 今日から旦那様なんじゃないの? 仕事をいい加減にする男は嫌いよ?」

 私は海の顔を見ながら微笑む。

「お……俺、頑張るからっ」

 海は私の手を握り締めて真っ赤な顔で力いっぱい答えた。

「「海って単純!」」

 私と柴田さんは耐え切れず声を出して笑い出した。

「暫くはこの手が使えそうね」

 運転席から柴田さんの楽しそうな独り言が聞こえた。
 今のは……聞かなかった事にしよう。





 素直で子供で我が儘な海。
 時々大人の男になる海。
 テレビの中の望月 海……。
 全部……全部愛してる。
 私からは離れたりしないからずっと一緒にいて……ずっと私だけを見ていてね。

 私は海の指に自分の指を絡めた。
 海は私の指先をキュッと握り返す。
 こんな小さな事が嬉しい。

 私は海の肩に凭れて瞳を閉じた。

「ずっと、ずっと愛してるよ彩さん」

 海が私の耳元で囁く。
 嬉しくて閉じた私の目から涙が零れた。
 そう、不安だからではない。
 幸せだから。

「彩さん? ど……どうしたの?」

 動揺する海の声。

「幸せだなぁって……思ったの」

 私の言葉に海はクスッと笑った。
 目を開けると優しく微笑む海の顔がある。
 これは夢ではない、幸せな現実……。

「もっともっと幸せになろうね、彩さん」

 海はそう言って唇で私の涙を拭った。





 そして……今日から“望月 彩”としての新しい生活が始まる―――――。






― Fin ―








2007年12月26日



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