有名人な彼
その後の2人
第7話
週末、柴田さんの言っていた週刊誌が発売された。
あの日以降だんまりを続けていた理由が分かったらしく、伊集院君は出社した私の顔を見るなり溜め息を吐いた。
「おはよう彩ちゃん、ちょっといい?」
私も伊集院君も出社時間が早い。
まだほとんどの席が空いている。
社内を見渡しても片手ほどの社員しか来ていない。
廊下を進み、喫煙所と隣り合わせになった簡易休憩所に足を踏み入れる。
自販機でジュースを買った私達は、傍にある椅子に向き合って腰を下ろした。
「……何?」
訊かなくても話の内容など分かっていた。
「朝のニュース見たよ」
「……そう」
私はあの日以降テレビを点けていない。
だから、相手が誰なのか知らない……知りたくもなかった。
「あれってやらせじゃないの?」
「さぁ?」
「さぁって……聞いてるんじゃない?」
私は答えられなかった。
「……彩ちゃん、そんなに辛いなら別れたら?」
「そんな……!」
簡単に言わないでよ……!
伊集院君はやっと顔を上げた私を見て微笑んだ。
「そんなに好きなのになんで信じられないわけ?」
自分に自信がないからに決まってるじゃない……。
「信じられない相手といても同じ事を繰り返すだけじゃないかな? 信じられないまま一緒にいて、こんな記事が出る度にそんな顔で仕事されても困るよ」
伊集院君の言いたい事は嫌というほど分かっている。
「迷惑掛けてるって分かってるの……でも、自分でもどうしようもないの」
どうにかできるなら最初からそうするわよ……。
私だってこんな自分にうんざりしてるんだから。
海じゃないけど子供だわ。
頭では理解してるのに心が付いていかない、いけない……。
「彩ちゃん、あの男はそんなに器用じゃないよ」
伊集院君が私の肩を軽く叩く。
「あんなお子様に二股とか掛けられる甲斐性があるとは思えないな」
経験者は語るというやつだろう。
伊集院君は昔、二股三股当たり前だと言っていた気がする。
私は心の中で呟いて苦笑した。
「今日は飲もう、大久保さんも何か聞いてるんじゃない?」
「……うん」
「さぁ仕事、仕事。そんな顔してると部長が心配するよ。勿論俺もね」
「……そうね、ごめん」
私は自分に気合を入れるように両手で頬を2度叩いた。
「彩ちゃん……力入れ過ぎじゃない? 赤くなってるよ」
伊集院君は私を見て苦笑しながら指の背で私の頬に触れた。
海とはあの日から会っていない。
ソファも退けると約束したけれどそのまま放置していた。
毎晩、海が確認しているのは知ってるけれど退けられなかった。
私達は会社を出て、いつものように大久保さんの店に足を踏み入れた。
「いらっしゃい、彩ちゃん体調大丈夫?」
大久保さんが心配そうに私に尋ねてきた。
水曜日も飲む気になれずキャンセルしたのだ。
「あ、はい。すみません」
大久保さんは困惑したような顔をした。
「彩ちゃん、ちょっといいかな? 話がしたいんだけど」
大久保さんの言葉に伊集院君が私の背中をそっと押した。
「行っておいでよ」
私は座敷の前に立ち止まった大久保さんを見て動く事が出来なくなった。
そこに……海がいるかもしれないから。
「彩ちゃん大丈夫だよ、あいつはいないから」
私の気持ちを察してくれたらしい。
その言葉に落胆と安堵という対照的な感情を同時に抱く。
「失礼します……」
私は大久保さんに続いて座敷に上がり込んだ。
襖を閉めると大久保さんがテーブルの上に1冊の週刊誌を投げるように乗せた。
表紙に海の名前が大きく書かれている。
こんなもの見たくない……。
私は視線を逸らした。
「海が使い物にならないらしいよ」
大久保さんは私を見つめながらそう言った。
私のせい……?
違うでしょ?
「彩ちゃん、芸能界ってこういう事平気でやらせる世界なんだよ。今後も番宣でこんなのがたくさん載ると思う。都度疑うつもり?」
大久保さんは元々あの世界にいた人だ。
この人がやらせだと言うならばそうなのだろう。
でも……私には自信がない。
「海はずっとここから君を見てたよ2年以上も。座ってご覧、ここからは君達の席も君達の声もよく見えるし聞こえる。海はここで君を見つけて、君だけを見つめてきた。独りで……。手が届かない人だと思いながら見つめてきたんだ。その気持ちが少しでも分かるなら信じてやって欲しい。あいつは不器用だしガキだし不安要素は腐るほどあるかもしれない、でも……ズルイ奴じゃない」
私は指差された海の特等席に座って伊集院君達を見つめた。
2年半もここで私達を見てたの……?
何を考えながら?
どんな気持ちで?
私の目から涙が零れた。
「彩ちゃん……?」
「私……自信がないんです。海の周りには綺麗で優しい人がたくさんいる。そんな中にいて……ただ私が珍しいから一緒にいるだけなんじゃないかって。……週刊誌に撮られたからっていうんじゃなくて。……いつも……いつも、ずっと不安なんです」
私は言葉と共に溢れ出す涙を止める事が出来なかった。
「祥平……何、女泣かしてんのよ?」
襖を開けた人物が冷たい声を発した。
女性の声だ。
「由香……人聞きが悪いぞ、海の彼女だよ。週刊誌の事話してただけ」
大久保さんは苦笑しながら優しい声を彼女に返す。
顔を上げると個性的な服装の美女が険しい顔で立っていた。
由香……って大久保さんの奥様……?
「あぁ〜駄目じゃない、擦らないでよ。ちょっとお手拭き頂戴!」
由香さんと呼ばれた女性は従業員さんからお手拭きを受け取って私に差し出した。
「祥平、あっち行ってなさい。私が話するから」
異論を認めない物言いだ。
どうやら大久保さんは彼女に逆らえないらしい。
「彼女は一般の女性なんだからお手柔らかに頼むぞ」
大久保さんの言葉が妙に引っ掛かったのは私だけだろうか……?
「貴女が海君の彼女ねぇ……」
由香さんの言葉は冷たく感じた。
しかし、視線は見下すというよりも観察されている感じだ。
「付き合ってどれくらい?」
先ほどまで大久保さんが座っていた場所に由香さんが腰を下ろす。
「……1年とちょっとです」
「よくその間にこういう記事が出なかったわね」
由香さんが週刊誌を手にとって表紙を指で弾いた。
彼女の言葉に私は確かに……と思った。
柴田さんは海が嫌がっていたと言ってた気がするけれど……。
「海君ね……貴女の話する時凄く可愛いのよ、知ってる? 本当に子供みたいな顔して話すの。私達も驚いたわ……長い付き合いだけどあんな顔見た事なかったから。本当に貴女に惚れ込んでるんだって思った。……芸能界って華やかでしょ? だからってそれほど綺麗な世界じゃないのよ。人間だって同じ、テレビではいいけど私生活じゃ関わりたくない奴等ばっかりだわ。海は貴女の中身に惚れたのよ? 周りにどれだけ顔が綺麗な女がいたって今更海君の心は動きゃしないわ」
由香さんは週刊誌をテーブルに投げると立ち上がって私の隣にやって来た。
そして、私の顔を両手で挟んでじっと目を見つめてくる。
何だか落ち着かない。
本当に綺麗な人だ。
モデルだから綺麗なのは当然かもしれないけれど。
ただ綺麗なだけではない。
背筋がピンと伸びていて。
自信に満ち溢れていて。
強い眼をしている。
きちんと自分を持っている。
私の持っていないものを全て持っている彼女がとても眩しかった。
「貴女、綺麗な目をしてるのね」
由香さんは私の目を見て微笑んだ。
おそらく他に褒める場所がないからだろう。
「海君がこの業界にいる限り、これからもこういう事って避けて通れないわ。でも、貴女なら大丈夫よ。自信持てないならそれを海君に言いなさい。不満があったらぶつけなさい。海君は絶対に逃げたりしないから」
由香さんは私を優しく抱きしめた。
女性に優しく抱きしめられたのは初めてかもしれない。
ふざけたハグとは全く違う。
頼りない白く細い腕が私を安心させてくれる。
心を落ち着かせてくれる。
お母さんの腕の中のように。
「私達が味方でいてあげるから大丈夫よ」
由香さんは泣き続ける私の背中を優しく擦ってくれた。
その声はさっきまでの冷たさが消え、優しくて穏やかだった。
大久保さんや由香さん、柴田さんの言葉を信じよう。
自信なんてないけれど……自信なんて持てないけれど、私は海が好き―――――――。
そうよ、皆が言うように海は不器用だもの、二股なんて器用な真似出来るわけがない。
今度会ったら不満全部ぶつけてやるんだから。
そうよ、俳優なんだから仕方ないじゃない。
やらせだっていくらだってあるだろうし、その都度疑ってたら疲れちゃうわ。
こんなの今回だけで充分。
でも、その日突然なんて認めないんだから。
どうしても断れない時だけって約束してもらうんだから。
私だけだって、いっぱいいっぱい言わせてやるんだから。
そうじゃなきゃ許してあげないんだから……。
自分にそう言い聞かせた夜。
海が不在なのを確認してから私はソファを元の位置に戻した。
少しだけ心が軽くなった気がした。
深夜、物音がして目を覚ました。
「彩さん……ごめんね」
私が起きたと気付いていない海は私の髪に触れながら小さな声で何度も謝っていた。
「社長直々に言われて断れなかったんだ。……だからって彼女には指1本触れてないよ、女として見てないし……本当にただの共演者ってだけなんだ。……彩さんが誤解しても仕方ないよね、分かってるんだ。多分俺が逆の立場でも誤解しちゃうと思うし……。でも俺は彩さんしか見えない、避けられて当然だけど……でも辛かった。出て行っちゃったんじゃないかって毎日不安だった。……ごめんね。……それとクローゼットの前に置いてた物、退けてくれてありがと……」
海の声も手も震えていた。
「愛してるよ彩さん」
海の唇が私の頬に触れた時、私の頬を何かが濡らした。
「……海?」
「わっ……! 駄目っ今起きないで!」
海は何故か慌てて部屋を出て行こうとする。
私は咄嗟に腕を伸ばして海の服を掴んだ。
「……どうして逃げるのよ?」
「今の……俺の顔見られたくないから」
海は振り向く事なく小さな声で答える。
「見せたくない顔してるの?」
「……うん」
「じゃあ見せなさいよ」
私は掴んだ服を思いっきり引っ張った。
まさか引っ張られるとは思っていなかったのだろう。
海はバランスを失って私の上に倒れ込んできた。
その頬は濡れていた。
「カッコ悪いから見ないでよ」
海は私を抱きしめながらその顔を隠す。
けれど、見てしまった。
「泣いてたの?」
なんで?
「どうしてそういう事言うかな……」
「なんで泣いてたの?」
「……彩さんがいたから……かな」
「出て行ったほうが良かった?」
「駄目……絶対駄目。彩さんがいなくなったら俺狂っちゃうよ」
海の手に力が篭った。
まるで縋るように私を腕の中に閉じ込める。
「彩さん、ごめんね……あの記事、決まりがあって11月まで否定できないんだ。……でも、俺には彩さんだけだから。……信じて?」
海の泣き顔を見るなんて思わなかった。
そんなもの見せられてしまったら何も言えない。
たくさんたくさん文句を言おうと思っていたのに。
「……今回だけは信じてあげる」
あぁ……何でこんな言い方しか出来ないのかな私って。
「愛してるよ彩さん」
久しぶりに感じる海の体温が嬉しかった。
「次はその日突然なんて認めないんだから」
「うん」
「断れない時だけって約束して」
「うん、約束する。俺には彩さんだけだよ」
「……もっと言って」
「愛してるよ、彩さん……彩さん以外の女なんか要らない。だから俺から離れようなんて考えないでずっと傍にいてよ。俺には彩さんしかいないんだ」
その日、海は私をただ抱きしめたまま眠りに就いた。
求められるのもいいけれど、たまにはただ抱き合って眠るのも悪くない。
私は海の腕の中で久しぶりにぐっすりと眠った。
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