有名人な彼
その後の2人
第8話






 週刊誌が発売されてから2ヶ月以上が過ぎた。
 今放送中のドラマも残り数回。

 11月下旬の週末の朝、私はテレビを点けて1人で朝食を摂っていた。
 海は地方ロケに出掛けていて2日間会っていない。

 テレビでは芸能ニュースを笑顔で読み上げるキャスター。

『現在沖縄で撮影中の噂の望月 海さんを直撃しましたぁ!』

 ……え、噂?

 私の眼と耳はテレビに釘付けになった。
 たくさんの報道陣が海を取り囲んでいる。

『野々原沙織さんとは連絡取ってるんですか?』
『滞在してるホテルも一緒ですよね? オフの日は野々原さんとお出掛けになったんですか……?』

 野々原沙織……ドラマの共演者だったわよね?
 あぁ……あの時のか。

『いえ、彼女は単なる共演者ですから』

 海の冷たい声が一瞬にして興奮気味の報道陣を黙らせた。

『でも……何度かお食事されたんですよね?』
『えぇ、2回食事しましたよ。でも、連絡を取り合った事もないしこれからもありません』

 海はきっぱりとそう言い切ってカメラの前から消えた。
 唖然とする報道関係者だけが残されていて何だか笑える。

 あれ以降、海は番宣用の記事の話を細かく説明するようになった。
 いつ・何時に・誰と・どこで会うか・否定できるのはいつからかをきちんと話してくれる。
 そこまで細かく報告しなくても……と思うけれど、海なりの誠意なのだと感じたので黙って聞いている。

 この2ヶ月の間に既に2回撮られている。

 野々原 沙織と1回、あと映画で共演する女優さんで……名前何だっけ……?
 変な名前の人だった気がする。
 現在、三角関係なのではないかとテレビでは大騒ぎ。

 疑っているわけではないが、2度目の時は澄香に誘われるまま覗きに行ってしまった……。

 海は私には見せないような俳優の顔で食事をして、綺麗な女優さんのお誘いを一瞬の迷いもなく断っていた。
 そんな海の姿を見て、私は嬉しくてこっそり泣いた。
 海には内緒だけど。

 澄香にはからかわれたけれど、きっと私に教えてくれたのだと思う。
 “海君ほど一途な男はいないよ、あんなの見せられたらもう疑わないわよね?” と、あの日の別れ際に澄香が言った。

 もう大丈夫、疑ったりしない。

 私が頷くと澄香は満足げに帰っていった。

 相変わらず自信なんてないけれど、海は嘘を吐いたりしないと信じられる。
 私と柴田さんの前にいる時の、素の望月 海を信じる。
 海は演じるのは上手いけれど、嘘を吐くのは下手だと思うから。

 きっと今夜は“テレビ見た?”と電話が掛かってくるだろう。

 私は頬杖を付きながらテレビを見つめて微笑んだ。
 そんな私の指には、あの日以降“海のいない休日限定”で引っ越し祝いに貰った指輪が嵌っていた。





 12月。
 世間はクリスマス一色。
 なのに、私の部屋にはツリーもない。

 海は忙しいので必要ないだろう。
 それに、私はクリスチャンでもない。
 わざわざ空しくなるようなものを飾ろうとも思わない。
 イベントの日に一緒に過ごせるわけがないのだ。

 去年もそうだった。
 今年だけは……なんて甘い期待は出来ないだろう。

 少しだけクリスマスの話題で盛り上がる女の子達が羨ましい。
 そう思いながらテレビのクリスマス特集番組を眺める。
 今度澄香と行ってみようとレストランの名前と住所と電話番号とお勧めメニューをメモしながら。

 隣の部屋で物音が聞こえた。
 海が帰って来たようだ。

 私は立ち上がってキッチンへ向かう。

「ただいまぁ」

 海がクローゼットを開けてやって来た。

「おかえり」

 私はいつものように珈琲を淹れて海に差し出す。

「あ、ありがと……ねぇ彩さん、クリスマスツリー飾らない?」

 ……?

「そんなものないわよ?」
「買ってきたからさ」
「わざわざ?」
「世の中クリスマス一色だよ? 何で何も飾らないのさ?」
「意味ないから? 別にクリスチャンでもないし」

 どうせ海も私も仕事だし。
 平日と変わらない。

 私はカウンターの椅子に腰掛けて珈琲を口に運んだ。

「一緒に暮らし始めたんだよ? そのくらいやろうよ」

 一緒にって……厳密には隣同士なんだけど?

「クリスマスは仕事でしょ?」

 海は言葉に詰まった。

「一緒に飾り付けしたい。駄目……?」

 その捨て犬みたいな目はやめて……反則だわ。

「好きにすれば?」

 そう答えてはいるけれど、実は嬉しかったりして。

 海は自分の部屋に帰って、1m以上あるだろうツリーを持って再び現れた。

「随分大きいの買ったのね……片付けるの大変じゃない?」
「安かったんだ。このくらいのほうが存在感あるしね。片付ける事より飾る事考えようよ」

 海は飾りも大量に買い込んだらしく大きな紙袋には呆れるほどの飾りが入っていた。

「こんなに飾れないんじゃない?」
「飾れるだけ飾ろうよ。ほら、彩さんも一緒にやろう?」

 私達は夜中遅くまで騒ぎながら飾り付けをした。
 こんなに飾り付けを楽しんだのは初めてかもしれない。





 12月25日。
 クリスマスだ。

 私はいつも通り仕事をしていた。
 定時も過ぎて既に残業。
 当然かもしれないけれど、残業している人は少ない。

 今日は社内の空気がいつもと違った。
 絶対に残業しないぞ、というオーラをほとんどの人が醸し出していた。

 私は人助けで仕事を引き受けて現在に至る。
 もう少しで終わりそうだが……別にこの後の予定もないし急ぐ必要もない。

 パソコンのキーボードを叩いていると、机の引き出しの中で携帯が震え出した。
 定時を過ぎているので出ても問題はない。
 私は引き出しを開けて携帯を取り出す。

 掛けてきたのは……澄香だ。
 仕事中だし、ノロケ話だったらさっさと切ってやる。

「もしもし?」
『メリークリスマス! これから時間ない?』

 相変わらずテンションが高い。

「これから?」

 今日はクリスマスよ?

『うん、一緒に行きたい場所があるんだけど?』

 一緒に行きたい場所?

「彼氏さんは?」
『今日は仕事〜。でも昨日一緒に過ごしたから♪』

 あっそう……聞いた私が馬鹿でした。

「今まだ仕事中なんだけど……そうね、あと30分くらいで終わる、かな……?」
『じゃあ新橋駅で待ってるから』
「駅で?」
『うん、じゃあね!』

 またしても一方的に電話を切られた。

「友達?」

 伊集院君が目の前の席で頬杖をつきながら尋ねてきた。

「うん、人生の半分友達やってる子から。どこだかに付き合えって」

 私は苦笑した。

「残念だな……今日空いてるなら誘おうと思ったのに」
「澄香の方が早かったからね。大体、昨日一緒に過ごしたじゃない」

 昨日はいつものように5人で大久保さんの店に行って飲んでいた。
 クリスマス色に飾り付けされた店内で、カットされたクリスマスケーキまでサービスで頂いて、少しだけクリスマスを味わえた。

「あいつらと一緒じゃなくて彩ちゃんと2人で過ごしたかったな」
「残念でした」

 私は笑いながらパソコンのキーボードに指を奔らせる。
 そして澄香を待たせないように手早く20分で仕事を片付けて会社を飛び出した。

「彩!」

 澄香が大きく手を振っていた。
 澄香の横を通り過ぎる人達がその声に振り返る。
 親友の声はそれほどに大きいのだ。

「恥ずかしいからやめてってば……」

 私は苦笑しながら澄香の手を下ろす。

「今日は本屋さんに行きたいんだよね」

 そんなの1人で行けばいいじゃない。

「ま、理由
(わけ)は後で分かるから行こう、時間ないし」

 時間がないって何よ?

 私は訳が分からないまま澄香に腕を掴まれて電車に乗り込み、何故か新宿にやって来た。

「何でクリスマスにこんなトコに来なきゃならないわけ?」

 私はカップルで溢れかえる改札口で澄香に尋ねた。

「目的地は紀●國屋書店新宿本店よ」

 そこに行かなきゃ手に入らない本があるのかしら?
 確かに大きいし、その辺で売っていない本も見つかりそうだけれど。

 私は首を傾げながら澄香に付いて行く。

「あ、彩さん!」

 聞き覚えのある声。

「……柴田さん?」

 なんでここにいるの?

「良かった、遅いから心配してたのよ」

 心配?

「あ……あの、何……?」

 意味が分からない。

「井守さんありがとう、初めまして柴田です」
「あ、どうも。井守 澄香です」

 何、暢気に挨拶交わしちゃってるのよ?
 っていうか“ありがとう”って何?

「……何なの?」

 私は2人に尋ねた。
 答えるのはどちらでも構わない。

「今日海君の写真集の発売日で、サイン会やってるのよ。抽選で選ばれた500人だけなんだけどね」

 澄香が笑顔で答えると、柴田さんが写真集を私達に差し出した。
 そこには申し込んでもいないのに499と500の番号が印字された葉書が挟まっている。

「もう始まってるの。行ってらっしゃい」

 え……行ってらっしゃいって……?

「彩、行くよ!」

 私と澄香は係りの人に案内されて最後尾に並び、大人しく順番を待つ事になった。

 何でこんな事になっているのだろう?

「澄香……どういう事?」

 イマイチよく分からない。

「去年のクリスマスも一緒に過ごせなかったんでしょ?」

 そうだけど……芸能人だから仕方ないんじゃない?
 一緒に過ごそうなんて考えていなかったし。

「拗ねちゃったんだって」

 澄香が私の耳元で囁いた。
 誰が、とは言わない。
 言う必要もない。

 ……やっぱりガキだわ。

 私は溜め息を漏らす。

「それで機嫌を直してもらうために呼ばれたのね……」
「彩だって会いたかったんでしょ?」

 そりゃ、多少は……ね。

「メリークリスマスくらい言ってやるか……」
「言いたかったくせに」

 澄香は私の顔を見ながらクスクスと笑った。





 どれだけの人が並んでたのだろう?
 結構な待ち時間だ。
 バーゲンの入場制限以上に待たされている。

 私が来た頃には既に始まっていると言っていたけれど……かなりの人数が並んでいたのだろう。
 あ……500人って言ってたっけ。
 いい加減疲れているのではないだろうか……。

 やっと順番が来て目の前に立つと、海は聞かされていなかったようで素直に驚いていた。

「彩は海君の大ファンなの♪」

 澄香の言葉に海は苦笑した。

 その顔は何だか嬉しそうで。
 少し恥ずかしそうで。
 明らかにテレビで観る海ではなくて少しだけ焦る。

 だけど、私と澄香で最後なのだ。
 関係者と思われる人しかココにはいない。
 最後だからなのだろう、テレビカメラも一台だけ。
 それも持っている人は何故かスーツ姿。

 テレビ局の人ではないように感じた。
 テレビで観るマスコミの人達……特にカメラマンさんや機材を扱う人は普段着だった気がしたからだ。

「……メリークリスマス」

 私が写真集を差し出しながら告げると海は破顔した。

 あぁ……笑っちゃったよ。

 視界の片隅に映る柴田さんも手で顔を覆っている。
 やはりマズかったのだろう。

「メリークリスマス、彩さん」

 テレビカメラがあるけれど大丈夫……?
 普段は笑顔を見せない俳優だというのに。
 こんなに顔を綻ばせていたら、後々困るのではないだろうか。

 私は少しだけ心配になった。
 周囲のスタッフさんも驚きを隠せないでいる。

 しかし、顔を赤らめた海は……可愛かった。
 久々に見れた顔だ。

 ゆっくりとサインをした海は私に写真集を返して手を差し出してきた。

 あ、握手か……。

 気が付いた私も手を差し出して握手を交わす。

 ……初めて握手したかもしれない。
 それ以上の関係なのに何だか新鮮な気分だ。

 たまにはこうしてファンの人達に紛れてみるのも面白いかもしれない。
 柴田さん達は困ると思うけれど。

「クリスマスプレゼント代わりにハグしてやってくれません?」

 澄香の言葉に海は小さく頷いて私を抱きしめた。

「彩さん、来てくれてありがとう……愛してるよ」

 周囲に聞こえないくらいの小さな声で海が囁く。
 今までで1番短くて、1番嬉しいクリスマスだった。





「あぁいう場所で見ると海君って遠く感じちゃうわね」

 電車を待つホームで澄香が呟く。
 少々気落ちしたような声だったが、表情は全く違う。
 写真集を抱きしめてご満悦のようだ。
 タダで写真集とサインを貰えて嬉しさを抑えきれないといった感じだろうか。

「そう? カメラあるのに笑っちゃって、こっちは冷や冷やしたわよ」

 あんな映像が流れたら困るのではないだろうか。
 海は笑うのが苦手だと言っていたから……。

 そう思うと少しだけ会いに行った事を後悔して、大きな不安がこみ上げてくる。

「大丈夫、大丈夫。心配ないわよ」
「その余裕、どこから沸いてくるのよ?」
「用事も済んだ事だし、夕飯でも食べに行こうか?」
「まったく……訊いた私が馬鹿だったわ。そうね、今日は澄香に奢らなきゃいけないわね」

 不安はあるけれど、こんな素敵なクリスマスを演出してくれたし。

「やった♪ コース料理がいい!」
「シバくわよ?」

 大体今日みたいな日にそんな店に女2人で行ってどうするのよ?
 何よりも予約でいっぱいで入れないと思う。
 かなりの時間待たされるか断られるに決まっている。

「じゃあ飲みに行こうよ」
「はぁ?」

 嫌よ……澄香はお酒に弱いし。
 酔うとすぐに絡んでくるし……。

「ねぇ、いっつもどこで飲んでんの?」

 え?

「いつも行ってる店あるんでしょ? そこ行こうよ」

 大久保さんの店……?

「いや、昨日も行ってるし勘弁してよ」

 明日も多分行く事になるのだから……。

「新橋だったわよね♪」

 私は結局、大久保さんの店に引っ張られて行き、3日連続で顔を出す事になってしまった。
 大久保さんと澄香は妙に馬が合ったようであっという間に打ち解けていた。
 もしかしたら私よりも仲が良いのではないかと思うくらいだ。

 由香さんが見たら、きっと嫉妬するんだろうな……。

 私は2人を眺めながら苦笑した。





 そして数時間後――――――。
 私は泥酔した澄香をタクシーで送っていく破目になった。

 大久保さんにも相当絡んでいたし、明日改めて謝罪しよう。
 渋々とはいえ連れて行ったのは私なのだ。

 お節介で優しい親友は私の肩に頭を乗せて気持ちよさそうに眠っている。
 明日はきっと二日酔いだろう。

 でも……今日は柴田さんと澄香に感謝。

 素敵なクリスマスをありがとう。
 メリークリスマス……。






      
2007年12月24日

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