有名人な彼
その後の2人
第9話






 正月にバレンタインデーにホワイトデー。
 1月から3月までのカップルの主なイベントだ。

 しかし、私達には無関係。
 渡しそびれたチョコレートは既に私の胃袋の中で消化済み。

 勿論用意していたなどとは言わなかった。
 私という女はそんな奴だ。

 そして……私達は出会って3度目の春を迎えた。





 海は海外ロケに出掛けていて2週間は帰って来ない。

 私は引き出しを開けて封筒を取り出した。
 海曰く“契約書”だ。
 私はそれを初めて封筒から出して広げた。
 海の欄は既に記入されている。

「意外に綺麗な字書くのね……。って、え? 本名は海斗なの?! ……今知ったわ」

 私は書類を見て驚いた。

 ずっと本名だと思っていたのに違ったからだ。
 たった1文字足りないだけだけれど、芸名だったなんて知らなかった。
 何も言ってくれないのだから知らなくて当然かもしれないけれど。

「本名くらいちゃんと教えろっての、馬鹿海……」

 海の詳細プロフィールは公開されていない。
 所属事務所のサイトで公開されているのは芸名と生年月日くらいだ。
 その他には出演したドラマや映画、モデルとして載った雑誌名などが年表のように並んでいる程度。
 同じ事務所の他のタレントさんやアーティストさんもその程度の情報しか開示されていない。
 他の芸能事務所と比べても遥に情報量が少ないのだ。

 海の字を見るのも初めて。
 曲がる事なく綺麗に並んだ漢字。
 読みやすい文字。
 数字も読み間違う事もない。

 まだまだ知らない海がいる。
 それが私を不安にさせるけれど。
 それを知る事が出来るのは、きっと私だけ。
 そう思うことで不安を誤魔化す。

 もうすぐ、コレを預かってから1年になる。
 私はボールペンの蓋を外して慎重に書き込んでいった。
 渡すのは海の誕生日だと決めているけれど、こうやって何日も来ない日があるとは限らない。

 記入し終わった私はその“契約書”をじっと見つめた。

 これを提出する日が本当に来るのだろうか?
 そんな不安は常にある。

 いつ捨てられてしまうのだろう、いつ帰って来なくなるのだろう……海と出会って2年、その不安を抱かない日はない。
 それでも海の“愛してるよ”という言葉だけを信じるしかなかった。
 信じたかった。

 ふと、証人の欄が空欄な事に気付く。

 ……やっぱり親よね。
 冗談じゃなく、ショック死しないかしら……?

 私は新たな不安を抱きながら“契約書”をそっと畳んで封筒に入れた。





 そして海から部屋の鍵を貰った1年後……。
 私は海に“契約書”を渡した。

 それは結婚を承諾するという事だ。
 重々分かっている。

 海は封筒を受け取ると私を抱きしめた。

「彩さんズルイよ……俺の誕生日って知っててやってるでしょ? 俺……彩さんの誕生日何もしてあげてないよ?」
「気付かなかったわ……誕生日だったの?」

 さすがに気が付いちゃったか……。
 でも……海だって自分の誕生日だなんて言わなかった。
 本名だって教えてくれなかった。
 だから、私も気付かないフリを貫いただけよ。

「嘘吐き」

 海の腕に力が篭る。

「彩さん、愛してるよ」

 海の手が私の頬を撫でて優しいキスの雨を降らせる。

「彩さんの両親にもご挨拶行かなきゃね」

 唇を離した海がそう言って微笑んだ。

「心臓止まらなきゃいいけど……」

 両親は素直に現実を受け止めてくれるかしら?
 いや、それよりも本当に心臓が止まらない事を願おう……。





 海はオフの日、両親に挨拶に行くと言った。
 私は海の予定を聞いてから両親に電話をして都合をつけてもらった。

『そろそろ見合いとか考えなきゃってお父さんとも話してたのよぉ』

 母は嬉しそうに言う。

 そうよね……さすがにもう33になるし、心配になっているだろうとは思ってたけれど……。

『どんな人なの?』

 訊かれるとは思ったけれど……。

「……驚くような奴」
『はい?』
「年は25」
『今……いくつって言った……?』

 これだけで驚かれるのでは先が言えない……。

「25」
『……』

 返ってくる言葉もない。

「取り敢えずお父さんとお母さんだけに会って欲しいから、宇宙
(そら)は呼ばないでよ?」

 私はそれだけ言って電話を切った。

 宇宙は私の4つ下の弟。
 海よりも年上……。
 26歳で結婚して今は2児の父だ。

 どんな顔されるんだろ……?
 気を失わなきゃいいけど……。





 7月2日の朝。
 海の休みに合わせて前以て休暇を願い出ていた。
 海に言われた通り2日間の有給も貰った。
 多分、初日はうちの実家で翌日は海の実家に行くのだろう。

 私と海は柴田さんの運転で実家に向かった。
 恥ずかしいけれど私の指には海から貰った指輪が嵌っている。
 海の前で嵌めているのは初めてだろう。
 それでも、嘘ではないという証拠に嵌めておいた方がいいと思ったのだ。

 我が家の父は公務員、母は専業主婦という至って普通の家庭。

「ただいまぁ」

 午前9時。
 実家に辿り着き、玄関を開けると母が飛んで来た。

「あら、お相手の方は?」
「まだ車の中だけど……」
「車庫に入れちゃって……って運転してる人、女の人じゃない?」

 変な顔しないでよ……っていうか何考えてんのよ?

「事情があるのっ、いいから中で待ってて」

 私は柴田さんに車庫に入れるように言って、その場で2人を待った。

「お待たせ」

 柴田さんと海が車を降りて来た。
 海は立派なスーツを着てサングラスを掛けている。

 正直、見る人が見ればバレそうなものなのだが……。

 私達は足早に家に入り、靴を脱ぐ前に海はサングラスを外して胸元のポケットに差し込んだ。

「本当に私もご一緒してもいいのかしら……?」

 柴田さんは困惑気味に呟く。

「一生のお願いですから傍にいて下さい……」

 私は縋るように言って2人を居間に案内した。

 上座には父が胡坐を掻いて座っている。
 その隣にはお母さん。

「久しぶりお父さん」

 私の顔を見て父が優しく微笑む。

「元気そうだな」
「うん」
「いつまでもそんなところに立ってないで中に入ってもらいなさい」

 分かってるんだけど……。

「驚かないでね……?」

 父が怪訝そうな顔をした。
 私が海に視線を移すと、海は私の横に立って頭を下げた。

 さすがに両親も海の事を知っているようだ。
 完全に動きが停止した。

「あ……」

 連ドラが大好きな母は口を開けたまま私達を見上げている。

「初めまして望月 海です」

 自己紹介の必要もなさそうなんだけど……。

「俳優の……?」

 父が私の顔を見る。

 それ以外のどんな望月 海がいるんだろう?
 少なくとも、私はこんな顔でこんな名前の人物を他には知らない。

「そう……俳優の望月 海」
「驚くような奴って……」

 驚いてるじゃない。
 間違ってないでしょ?

「彩さん……どんな説明してんのさ?」
「連れて行くのが海だって電話で言えると思う?」

 海は困った顔をした。

「で、こちらの方は海のマネージャーの柴田さん」
「初めまして。柴田と申します。立場上1人には出来ませんので同行させて頂きました」

 柴田さんが深々と頭を下げると、両親も深々と頭を下げた。

「とっ……取り敢えず、座って下さい」

 楽しいくらいに両親が動揺している。
 一先ず心臓が止まらなくて良かった……。

「お前が連れて来たという事は……そういう事なんだろう……?」

 父は明言を避けた。
 当然かもしれない。

「はい、今日はお2人に僕と彩さんの結婚を認めて頂きたくて参りました」

 私の代わりに海が答える。
 そこにいるのはいつものお子様な海ではなかった。

「彩の年齢はご存知ですよね?」
「はい」
「それでも構わないんですか?」
「構わないんじゃないんです、年齢なんかどうでもいいんです。僕には彩さんしかいない、彩さんしか要らない、誰にも代われない大事な人なんです。たとえ彩さんが50歳でも僕は今日ここにいますよ」

 どのドラマの台詞? と訊きたくなるほど現実と受け入れにくい言葉。

 でも、両親の前で堂々とそう告げる海を見て泣きそうになった。
 少しだけ視界がぼやけて、私はゆっくりと呼吸をしなが視線を上に向けて涙を抑える。
 隣では海が封筒を内ポケットから取り出して父の前に差し出していた。

「僕と彩さんの欄は既に記入済みです。証人の欄にご署名頂けませんでしょうか?」

 父は海をじっと見つめていた。

「証人は2人だと知っているかい?」
「はい、片方は僕の親にお願いするつもりです」

 父はその言葉を聞いて微笑んだ。

「彩は気が強くて天邪鬼だけど、それも分かって仰ってるんですよね?」
「はい。僕はそういう部分もひっくるめて彼女を愛しています」

 父は海に微笑むと近くにあったペン立てからボールペンを引き抜き、黙って署名をした。
 やはり名前の欄を見て少し驚いた顔をしていたけれど。

「娘をお願いします」
「はい」

 署名を終えた父が海に封筒を返しながら微笑み、受け取った海は真っ直ぐに父を見据えて力強く答えた。

「僕の親との会食の場も用意するつもりですが……スケジュールの都合で暫く難しいので順序が違ってすみません。提出したい日が近いのでこちらを優先してしまって……あ、決して子供が出来たとかじゃないので安心して下さい」
「そうだね、順序は違う気がするけど……まぁ相手が君じゃ仕方ないだろうね。孫はゆっくり待たせてもらうよ」

 お父さんは苦笑したけれど、どこか安心したような顔をしていた。

「生涯忘れられない誕生日ね、彩?」

 母の言葉に私は小さく頷いた。

 そう……今日は私の誕生日。

 きっと海は知っていた。
 驚かないのがその証拠である。

「お誕生日おめでとう、彩さん」

 海はそう言って私の肩を抱いた。

「やっぱり分かってたんだ?」
「うん、俺の誕生日のお返し」

海は私の蟀谷
(こめかみ)に軽く口付ける。

「馬っ鹿じゃないの?」
「「彩っ」」

 照れ隠しに小さな声で言ったつもりだったけど、どうやら両親にも聞こえてしまったらしい……。
 両親は焦り、柴田さんと海は苦笑していた。






      
2007年12月25日

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