大好きな彼女
― 1 ―






 3月半ば。
 珍しく仕事が早く終わったので、柴田さんに頼んで新橋駅で降ろしてもらった。

 まぁ、終わったといっても自由時間は数時間。
 深夜2時から再び撮影だ。

 取り敢えず帽子と伊達眼鏡で簡単な変装をして、俺はモデル時代の友人の店に向かっていた。

 最近飲み屋をオープンさせたと連絡が来たからだ。
 駅から近いと聞いたので駅前から電話をしてみる。

『もしもし、海か?』

 俺よりも10歳年上の大久保 祥平
(おおくぼ しょうへい)は兄貴みたいな存在だ。

「うん、今近くにいるんだけど……行っても平気?」
『近くって? 店の近くか?』
「うん。今、新橋駅」
『マジで?! 今すぐ迎えに行く! 絶対気付かれんなよ!』

 祥平はそう言って電話を切って、2分もしないうちにやって来た。

 しかし、モデルをやっていた祥平もかなり周囲の眼を惹く。
 長身の男が2人並んでいて目立たないはずがない。

 しかし、お構いなし。
 向けられる視線を無視して祥平はさっさと来た道を引き返していく。

「久しぶりだな」
「うん」
「何かあったのか?」
「……あったようななかったような……」
「何だよそれ?」

 祥平は笑いながら1歩先を歩く。

「裏からな。お前目立つから」

 祥平に案内され、スタッフが出入りする店の裏口から店内に足を踏み入れる。
 オープンして間もないのに店内は満席で待っている客までいた。

「オープンして間もないんじゃなかったの?」
「半月」
「凄いね」
「そりゃ、こんなイケメン店長がいるんだから黙ってたって寄って来るさ」

 相変わらず凄い自信家だ……。

 しかし、店内の客の半分はオヤジ。
 祥平目当てではないのは確実。
 そう思ったけれど、祥平は怒らせると恐いのでツッコミを入れるのはやめておいた。

 店内の隔離された座敷に通されて、その段差に腰掛けた祥平が困惑気味に尋ねてきた。

「何かあったんじゃないのか?」

 自分でもよく分からなかった。
 何をどう説明していいのかさえ分からない。

「う〜ん……最近よく分からないんだよね……本当の俺ってどこにいんのかなって、さ」
「相当病んでんなお前……」

 祥平は苦笑した。

「仕事終わるの早かったらここに来いよ、愚痴くらい聞いてやる」
「ありがと」

 祥平の言葉に俺は少しだけ救われた気がした。





 それから月に1回のペースで祥平の店に通った。
 行く前にはメールして座敷を空けてもらっていた。

 8月20日。
 店がオープンしてから半年になろうとしていた。

「お前丁度いい日に来たな。多分元気になれるぞ」

 顔を見るなり祥平が謎な台詞を吐いた。
 いつものように隔離された座敷に通された俺は、店内を眺めながらビールを口に運ぶ。
 すると、気になる席を見つけた。

「祥平……何であの席だけ空いてんのさ?」

 店内は満席状態で待ってる客もいるのに、座敷近くの6人掛けの席が1つぽっかりと空いている。

「あそこは常連さんの席……っていうかお前未成年じゃん。営業停止になるから止めてくれ、アルコール以外好きなの飲んでいいから」

 常連……?

「オープンして半年位だよね? ……って6月で成人(はたち)になったんだけど?」
「え? そうなの? まだ未成年だと思ってた……」

 祥平から見たら俺はいつまで経っても14のガキらしい。

「で? あそこなんで空いてんのさ?」
「あぁ、あそこの席は週3来てくれるお客の席。オープンからずっと指定席なんだ」

 どんだけ飲兵衛なのさ……?

「彼女が来るだけで店が明るくなる」
「女?」
「そ。もうそろそろ来るんじゃないかな?」

 祥平目当ての客なのかな?

「こんばんは」

 明るい女の声がした。

「いらっしゃい」
「うわぁ……今日も大盛況だ、結構待たなきゃ駄目ね」

 入って来たのは、申し訳ないけれど特に美人でもなく目立った特徴のない人だった。

 年齢は……同じくらいか若干上程度かな?

 綺麗な腰までの長く真っ直ぐな髪、大きなクリッとした目、フチなしの眼鏡。
 身長も体型も標準っぽいし、特に派手な顔でもないし、特別お洒落って感じでもない。

 男4人と女1人。
 合コンというわけではなさそうだけれど……特別美人というわけではない彼女を男達は一生懸命口説いている。

 ……なんでだろう?
 妙に彼女が気になる。

「大丈夫だよ、彩ちゃん達の席は確保してるから。そこ座って」

 祥平が座敷から顔を出して彼女に声を掛ける。

「え、でも……他のお客様に失礼ですから待ちますよ」

 彼女は申し訳なさそうに手を左右に小さく振った。

「いいから、いいから。店長の俺がいいって言ってんだからさ」

 表情のコロコロ変わる人だな……。

 俺はそう思いながら彼女を眺めて微笑んだ。

 この座敷の壁はマジックミラーになっているので、凝視してても向こうからは分からない。
 業界人専用の座敷らしい。

 確かに祥平は交友関係が広い。
 俺と違って外交的だから、モデル仲間だけではなく、歌手や俳優、演出家や映画監督にも顔が知られている。
 モデルを辞めた今でもモデルやドラマ出演の誘いが絶えないのも知っている。
 芸能人の友人も多いからきっとそういう人達が頻繁に来ているのだろう。
 この座敷はそんな人達のために作ったのだろう。

「可愛い子だろ?」

 祥平が襖を閉めて、マジックミラーの壁越しに彼女を眺めながら微笑んだ。
 
 不思議な女
(ひと)、というのが第一印象だった。

 彼女を見ていると何故だか穏やかな気持ちになったからだ。
 彼女の笑顔と笑い声がそうさせるのかもしれない。

「あの子が常連なの?」
「そ。月・水・金と、あのメンバーで来てくれてる。この間は上司も一緒だったな」
「会社仲間なんだ?」
「そうらしい」

 祥平は優しい眼差しで彼女を見ていた。

「由香さんにチクるよ?」

 そんな目で自分以外の人を見てるなんて知ったら由香さん怒るだろうな……。

「ばっ……そういうんじゃねぇよ!」

 由香さんはモデル仲間で祥平の彼女。
 長身でナイスバディですっごい美人。
 今も現役のモデルだ。
 この2人……多分もうじき結婚するのではないかと俺は思っている。

「彼女は……彩ちゃんは招き猫みたいなもんだよ」

 招き猫……?

「何さそれ?」
「彼女が来るようになってから彼女の知り合いとか結構来てくれてる。今日だって彼女に声掛けるオヤジ達がいるだろ?」

 フロアを見ると確かに違うテーブルの客と楽しそうに会話をしている。

 彩さん……か。

「あぁ……もう嫌になるな。会社辞めちゃおうかな俺……」

 同じテーブルに座った男が頭を垂れて情けなく呟く。
 彼女は呆れた顔をしていた。

「もう自信ないよ、部長にお前の代わりなんかいくらだっているって言われたし……」
「そんなのいないわよ」

 はっきりと彼女はそう言った。

「人ってジグソーパズルみたいなものじゃないかしら。パズルってピースごとに嵌る場所が決まってるでしょ? 他のもの嵌め込んでも完成しないじゃない。それと同じで今の伊集院君のいる場所は伊集院君だけのもので、他の誰も代わることなんて出来ないのよ」

 彼女の言葉に俺は驚いた。

 今の俺のいる場所は俺だけのもの……?
 誰にも代われない……?

 俺は彼女の言葉を自分の名前に置き換えて聴き入っていた。

「少なくても利益はあるし、伊集院君だから取れた仕事だと思うの。自信持っていいんじゃないかしら。他の人じゃ利益出せなかったと思うし」

 望月 海だから取れた仕事?
 他の人じゃ駄目だった?
 俺は必要とされているのか……?

「伊集院君は会社に必要な人なの、簡単に辞めるなんて言わないでよ」

 望月 海のいる場所は望月 海だけのもので、誰も代わることなんか出来ない―――――。
 必要な人なの、簡単に辞めるなんて言わないで―――――。

 彼女の言葉が頭の中で何度も繰り返し響く。
 モヤモヤした心の霧が少しずつ消えていくのを感じた。

 ありがとう、常連さん。
 貴女のお蔭で少しだけ心が軽くなったよ……。







      
2007年11月01日

背景画像 : a day in the life 様
MENUボタン : ウタノツバサ 様

inserted by FC2 system