大好きな彼女
― 3 ―






 柴田さんは月に何度かあの店に行ける様にスケジュールを調整してくれた。

 俺の我が儘だ。

 彼女の姿を見れるだけでいい。
 遠くからで構わない。
 気付いて欲しいとか、愛して欲しいなんて事は望まない……望めないから。

 今日も彼女は俺から見える定位置で笑っている。

「時間だぞ」

 祥平が俺を呼ぶ。

「もう?」
「あぁ、9時になる。酒飲んでないって事は仕事だろ? 彩ちゃんも珈琲飲んだら帰るだろうし」
「何で珈琲なんかあるのさ?」
「当然だろ? 車運転する人が飲める物を多く揃えておくのは大切な事なんだぞ」

 そんなもんなのかな……。

 俺は後ろ髪を引かれる思いで精算をして裏口から店を出た。
 最近は帰る時間を告げてから座敷に入る。

 彼女を見つめていると時間を忘れてしまうからだ。
 何度も柴田さんに怒られた。

 柴田さんは飲み屋の雰囲気が嫌いだといって絶対に店に入って来ない。
 ま、柴田さんがいない方が寛げるから俺的には助かるんだが……。

「最近は随分ご機嫌なのね」

 車に乗り込んだ俺に柴田さんが言った。

「柴田さんのお蔭だよ」

 俺はそう言って微笑んだ。

 嘘ではない。
 彼女を見つめるための時間を作ってくれる柴田さんには感謝している。

「会話した事もない子なんでしょ?」
「五十嵐 彩さんっていうんだ、祥平の店の常連さん。本当にそれしか知らないんだ。会話も何も彼女と目が合った事さえないよ」

 柴田さんが首を傾げるのも分かる。
 俺にも分からないのだ。
 なんでこんなに彼女が好きなのか。
 直接会ったわけでもない、会話した事もない……そんな女
(ひと)を好きになれるなんて今まで知らなかった。

 柴田さんが彼女を見るための時間を作ってくれるから俺はご機嫌でいられる。
 仕事だってちゃんとやろうと思える。
 今まで以上に本気で。

 彼女がテレビで俺を見てくれてるかもしれない。
 偽者だけれど……望月 海を好きになってくれるかもしれない。
 今は知らなくても俺の存在に気付いてくれるかもしれない。
 だから手を抜きたくなかった。

 俺という人間を彼女の記憶の中に留めて欲しい。

 その考えに至るまで随分な時間を要した。
 あの店で初めて彼女を見てから既に2年以上が経過していた。





「かぁい君、一緒にぃ、食事、行かなぁい?」

 共演者の出雲
(いずも) カナからの誘い。

「いや、用事あるし」

 人見知りの俺は出来る限り共演者と接触しないようにしている。
 愛嬌を振り撒く事も出来ないし、望月 海を演じるのが面倒臭いからだ。
 大御所の話し相手はするけれど、どうでもいい奴の相手なんかしても何の得もない。
 鬱陶しいだけだ。

「海、社長からも話が来てるのよ。番宣兼ねて撮られて来いって」

 柴田さんの声が背後から聞こえる。

「今日は嫌だよ」
「海」
「今日は絶対に行かない」

 あの店に彼女がいる。

 俺の手を掴んでスタジオの隅に移動すると柴田さんは真剣な眼で俺を見上げた。

「今日はあの店に行かせないわよ」

 柴田さんの声は冷たかった。

「なんで行けないのさ……?!」
「あそこは海にとって大事な場所でしょ?」
「大事な場所だよ」

 彼女を見れる唯一の場所なのだから。

「だったら、今日は出雲 カナと出掛けなさい。出雲側の手配でカメラマンはもう外にいるの。あの店まで追い掛けられたくないでしょ?」

 あの店を写真誌には撮られたくない。
 でも……。

「大事な人に会えなくなってもいいなら私は構わないけど?」
「ズルイよ柴田さん……俺が今日楽しみにしてたの知ってるくせに」
「だからこそ言ってるの、出雲 カナとは1回撮られるだけでいいのよ? 仕事だと思って諦めなさい」

 俺は拳を握り締めた。

「何でこんな事までしなきゃならないのさ……俺嫌だよ……」

 何でわざわざ写真誌に撮られなきゃならないのさ……?
 何でそこまでして宣伝しなきゃならないのさ……?
 好きでもない女と出掛けなきゃいけないのさ……?

「海……」

 柴田さんは困惑した顔をしていた。

「分かったよ……行けばいいんでしょ? 行くよ、どこに行けばいいのさ?」

 柴田さんのそんな顔を見たいわけではない。
 柴田さんは俺のために動いてくれている。
 いつも我が儘な俺に付き合ってくれている。

「出雲側と話して来るからここで待ってて」

 柴田さんはそう言って出雲 カナのマネージャーを呼び止めた。
 短い会話が交わされ柴田さんが戻って来る。

「アクアシティのイタリアンレストランだそうよ」

 お台場か……。
 見てくれと言わんばかりの場所だ。

「食事だけでいいんしょ?」
「後は2人に任せるわ。あちらもそうみたいだし」

 任されても任されなくても手なんか出さないよ。
 好みでもないし。
 出雲 カナは22歳。
 プロダクションの公開オーディションでグランプリを取って何年かタレントとして活動していた。

 今回は初のドラマ出演。
 売り込みたいのは分かる。
 しかし、俺の楽しみを奪ったのは許せない。

 俺は柴田さんの言葉には何も答えず、控え室に戻って暴れた。

 暫くしてやって来たスタイリストと柴田さんは、荒れた控え室に佇む俺を見て暫くの間呆然としていた。





 数時間後、俺は出雲 カナと指定された場所で食事をしていた。

「カナねぇ、本当ぉに、海君のぉ大ファンだったのぉ」

 自分の事“カナ”とか言わないでよ。

 ぶりっ子って、見ていると吐き気がしてくる。
 愛想笑いさえ出来ない。

「海君とぉ共演できてぇ、こうして食事できるのぉ、もぉ超嬉しくってぇ、撮影中もぉ、顔ニヤけまくっちゃってぇ〜」
「へぇ」

 それでNG出しまくってたの?
 大根のクセに……仕事に集中してよね。
 何よりもその疲れる話し方やめて欲しい。
 途中途中区切ったり語尾伸ばすのを聞いているだけでも腹が立ってくる。

「海君ってぇ大人びてるよねぇ〜」
「そう?」
「うん、超〜好みぃ」
「……」

 俺はあんたに興味なんかない。
 正直言ってしまえば嫌いだ、大が付くほどに。

「この後空いてるぅ?」

 空いてたら何さ?

「すぐ近くのホテルをねぇ? 実は取ってあるのぉ♪ 一緒に行かないかなぁ? なんて思ってたりしててぇ」
「行かないよ。あんたとは仕事で食事してるだけだから」

 俺は傍にあった飲み物に手を伸ばす。

「カナの事、嫌い?」
「別に。興味ない」

 この場ではっきり嫌いだと言えるなら言ってやりたい。
 しかし……共演者。
 撮影中の今はさすがに濁すしかない。

 あぁ、面倒臭い世界……。

「カナはぁ、海君にぃ、興味あるんだけどなぁ?」

 望月 海という名前にでしょ?

「俺、好きでもない女は抱かない主義なんだ。そういう相手なら他を当たって」

 出雲 カナは真っ赤な顔をして立ち上がった。

「海君ってテレビで見たまんまの冷たい男なのね」

 あ、やっとマトモな喋り方になった。
 やっぱり相当大きな猫被ってるんだなぁ……まぁ、アレが素だったら気色悪いけどね。

「そりゃどうも」

 そう思ってくれて構わない。

「帰る」
「お疲れ様」

 俺は彼女の背中を見送ることもせずに携帯を取り出した。

「柴田さん? 海だけど」
『そろそろ電話してくるんじゃないかって思ってたわ』

 相変わらず勘のいいマネージャーだ。

『駐車場にいるわ。領収書貰って来なさい』
「分かった」

 俺は立ち上がって会計を済ませて店を出た。

 周囲の目はこちらに向いている。
 さすがに気付かれてるらしい。
 だからといって慌てても逆効果。
 周囲がせっかく大人しいのにわざわざ騒がせる必要もない。

 俺はそのままその視線に気付かないフリをして駐車場に向かった。

「海」

 駐車場で柴田さんが手を上げた。
 俺の行動パターンはお見通しらしい。

「お疲れ様」

 車に乗り込んで俺は大きな溜め息を吐いた。

「ホテルに誘われたけど断ったんだ」
「そ」
「テレビ通り冷たい男って言われた」
「それでいいんじゃない?」

 柴田さんはそう言って微笑んだ。

 テレビの中の俺は本当の俺じゃないのに。
 彼女なら本当の俺を見てくれるかな……?

 俺はマンションに帰る車の中で短い時間眠った。





 週刊誌に俺と出雲 カナの記事が載った。

 再び追い掛けられる日々。
 俺は祥平の店に行く事も出来ない状態になっていた。

 柴田さんは多分予想していた。
 ドラマが放送される3ヶ月間はあの店に行けない、と。
 彼女に会うのは難しくなる、と。

 暫くは交際報道も否定するなと言われている。
 面倒臭い世界だ。
 そうやってセコい視聴率稼ぎをする。

 今回が初めてではない。
 今更だけれど正直うんざりだ。

「そんなに苛々しないでよ」
「柴田さんだって分かってた事でしょ?」

 俺があの店に行けなくなれば機嫌が悪くなるって事くらい。
 この2年半の間で分かってる筈だ。

「クランクアップまでの我慢よ」

 それでもまだ1ヶ月残ってる。
 長い1ヶ月になりそうだ……。





「お疲れ様でしたぁ! オールアップです!」

 やっと撮影が終了した。
 あの日から出雲 カナの顔を見る度に不機嫌になっていた俺は、乾杯だけを済ませてスタジオを出た。

 1人になりたかった。
 幸いにも打ち上げがあるお蔭でこの後の予定は何も入っていない。

「海」

 柴田さんが俺を呼ぶ。
 柴田さんともあの日から何だかギクシャクしている。

「明日は午前10時から映画の製作発表よ。朝7時には迎えに行くから」

 そんな事、わざわざ言わなくても分かっている。

「それまで自由にしてあげる」

 一瞬耳を疑った。

「柴田さん……?」

 今……なんて言った?

「我慢したご褒美よ」

 柴田さんは車のキーを俺の前にチラつかせる。

「いいの……?」
「駄目って言って欲しい?」
「嫌だ」
「じゃ、行くわよ」

 柴田さんは俺の鞄を持って車に向かった。
 ここ3日間は地方ロケだった。

「服は洗ってあるからちゃんとタンスに入れなさいよ?」

 彼女に会える……。

 俺の頭の中は彼女一色になっていた。
 今年に入ってから彼女を見る時間はなかった。

 彼女が店にいる時間に着く事はできるだろうか?

 それしか考えられなかった。

 祥平にメールをしようと携帯を開くと画面は真っ暗。
 どのボタンを押しても反応なし。
 つまりは電池切れ。

「あ……電源切れてる……」

 思わず呟いた。

「充電器ないの?」
「ないよ、そんなもの持って歩かないもん」

 今までこんな事なかったし……。

「コンビニで買って来たほうがいい?」
「いいよ、自分で買える」

 そこまで子供扱いしないでよ。

 俺は不貞腐れたように背凭れに身体を傾けて目を瞑った。





 目を覚ました時、車は渋滞した高速にいた。

「遅くなっちゃいそうね……」

 柴田さんが溜め息を漏らす。

 週末だから仕方がないだろう。
 そうでなくても首都高というのはいつも渋滞している。

 時々腕時計の時間を確認して、店に彼女がいる時間に辿り着けるかを気にしてくれているのが分かる。

「柴田さんのせいじゃないよ。遅くなってもいいから新橋で降ろして」

 彼女には会えないかもしれない。
 それでも祥平から彼女の話を聞けると思った。

 新橋の駅に着いたのは午後9時。
 おそらく彼女は帰ってしまっただろう。

「ちゃんとタクシーで帰るのよ?」
「分かってる。ありがとう柴田さん、旦那さんによろしくね」

 柴田さんに笑顔を向けたのも久しぶりだ。
 今日は旦那さんが帰って来てると言っていたので早く帰してあげたかった。

 ささやかな恩返しだ。

 着替えの入ったボストンバッグを持って新橋の駅前に降り立った俺は、先ず携帯の充電器を買おうと近くのコンビニへ向かった。

 携帯の充電器を探していると、高校生位の女の子が俺の顔を覗き込んできた。

「望月 海……?」

 突然名前を言われて肩が震えた。

 バレた……。

 俺は女に背を向けて何もなかったように店を出た。
 なのに……。

「ゆうちゃん! 望月 海だよ!」

 大きな声で女が俺の名を呼んだ。
 いや、叫んだ。

 当然周囲も気付く。
 コンビニなど来るべきではなかった。

 すぐに必要な物ではなかったのだ。
 先に祥平の店に行けばよかった……。
 すぐ買えると思っていたのが間違いだった。

 そう思いながら俺は走り出した。
 後方から凄い人数の女が追い掛けて来る。

 追っ手は増える一方。
 俺は逃げるしかなかった。

 祥平の店に逃げ込むにも追い掛けて来る女達を引き離さなければならない。

 俺はとにかく祥平の店周辺を走り回った。
 足の速さにも体力にも自信はある。
 逃げ回るだけならば苦ではない。

 しかし、この状況は正直困る。
 怪我人が出なければいいのだが……。

 女達からだいぶ離れたらしい。
 足音も声も小さくなっているように感じた。
 見慣れた景色が目の前に広がる。
 どうやら駅周辺まで戻って来られたらしい。

 翔平の店に行くならば今しかない。

 後ろを気にしながら曲がり角に差し掛かった瞬間、人とぶつかった。
 倒れそうになった女性を受け止めると、俺の心臓は刻む速度を異常なくらい速めた。

 俺の腕の中にいたのは……2年半もの間恋焦がれた彼女だったのだから―――――――。







      
2007年11月02日

背景画像 : NEO HIMEISM 様
MENUボタン : ウタノツバサ 様

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