大好きな彼女 続編
その後の2人
第13話






 俺が祥平の店で初めて彩さんを見つけたのは約5年前の8月20日。
 彩さんにぶつかったあの日は2年前の4月6日。
 こんな事を覚えている男など気味が悪いかもしれない。
 だけど、俺にとっては大事な日なのだ。

 記念日にするならば、どちらかの日に婚姻届を提出したいと思っていた。
 でも、俺は待ちきれなかった。
 来年の春までなんて。

 お互いの両親が認めてくれたのだから早く出してしまいたい。

 そう思ったら4月までなんて待てやしない。
 彩さんの気が変わる前に出したかったし。

「海?」

 フォールディングチェアに腕と足を組んで座っている俺に柴田さんが声を掛けてきた。
 顔を上げると柴田さんが不思議そうに見ている。

「何さ?」
「何か今日の海、妙にセクシーなんだけど……何かあった?」

 その言葉に俺は微笑んだ。

「もしそうなら……きっと柴田さんと一緒だよ」

 きっと彩さんの事を考えていたからだよ。
 それは、柴田さんが猪俣さんの話をする時と同じ。
 猪俣さんの話をする柴田さんは女の顔をして輝きを増す。
 もともと綺麗な人だけれど……もっと輝いて見える。

「意味分かんないんだけど?」

 柴田さんが顔を顰める。

「ここで出来る話じゃないよ」

 俺は台本で顔を隠しながら柴田さんに微笑んだ。

「聞かない方がいいのかしら?」
「別に? ずっと感じてた事だし今更な気はするけどね」

 柴田さんは益々分からないというような顔をして唸る。

「柴田さんも凄く綺麗だって事だよ」
「……あんたの要求は何?」

 ……何さ、それ?

「あんたがそういう事言う時は大体面倒な事考えてる時だわ。ここじゃ出来ない話だって言うし、間違いないわね」

 柴田さんはうんざりした顔で溜め息を吐く。

 どうしてそうなるのかな……。

 そう思ったものの、他のスタッフ達が傍にいたのでそれ以上話すのをやめた。





「で? 何だったのかしら?」

 控え室に入った途端に柴田さんが扉に寄り掛かって俺に尋ねてきた。

「何がさ?」
「さっきのよ、あんたが途中でやめた話」

 既にあの話から2時間は経過している。
 1度気になるとしつこいんだよね……柴田さんって。

「柴田さんって猪俣さんの話する時、凄く綺麗なんだよ。さっき柴田さん、セクシーって言ってくれたでしょ? あの時、彩さんの事考えてたんだ。男でも好きな人の事考えてると輝けるのかなぁって思っただけ。特に深い意味はなかったんだ」

 彩さんや猪俣さんの話なんかあんな所で出来るわけがない。
 ただ、それだけだ。

「……確かに、彩さんに出会った頃から海は凄くかっこよくなったわね。その分感情の起伏が激しくて幼稚化してきた感は否めないけど」

 一言多いし。

「柴田さん、20日休みにしてくれた?」
「調整済み。指輪も何とか間に合いそうよ」
「ありがと」
「どういたしまして」

 柴田さんの親戚にそういう店を営んでる人がいたらしい。
 俺が部屋でネットを使って指輪を探してる時に現れて、その辺の店で買うとバレるからと言って親戚にお願いしてくれたのだ。

 柴田さんと猪俣さんの結婚指輪もその親戚に頼んだらしい。
 猪俣さんは指に嵌める事なく携帯のストラップにしてるけれど。

「20日晴れるかなぁ……」
「干乾びる位の晴天でしょうよ」

 何を根拠に?

 俺は分からずに首を傾げた。





 8月20日。

 俺は清々しい朝を迎えた。
 腕の中では彩さんが気持ち良さそうに眠っている。

 とうとう望月 彩になるんだね……。

 俺は彩さんを見つめながら心の中で語り掛ける。

 恋人から妻に……。
 そう思うだけで顔がニヤける。

「朝から何ニヤけてんのよ?」

 気が付けば彼女が俺を呆れたような顔で見ていた。

「彩さんがこうしてずっと傍にいてくれると思うと顔に締まりがなくなっちゃうんだよ」

 俺は彩さんを引き寄せて唇を重ねた。

「んっ……駄目っ、役所行くんでしょっ……」

 そんな声出されたら逆効果なんだけど……と、思いつつ渋々彼女を解放。

「先にシャワー行って来るわね」
「うん、珈琲淹れとくよ」

 彩さんの背中を見送って、俺は下着とジャージを穿きリビングへと向かった。

 朝の珈琲を淹れるのはいつの間にか俺の担当。
 そして俺がシャワーに行ってる間に、彼女が珈琲を飲みながら朝食を準備する。
 オフの日のこんな朝に幸せを感じる。

 珈琲を淹れてテレビを点け、それを眺めていると彩さんがやって来た。

 入れ替わるように俺は浴室に向かう。
 既に用意されている下着と服。

「俺って幸せ者だなぁ……」

 いつものように1人呟く。

 これもまた、日常化したいつもの朝なのだ。





 外は焼け付くような暑さだった。

 柴田さんが言った通り、干乾びそうなくらいに暑い。
 多分あっという間に氷も解けて蒸発してしまうだろう。

 ボンネットの上で目玉焼きが出来るかもしれない、なんて思うくらいだ。
 まぁ大袈裟だけれど、そう言いたくなるくらい暑いという事。

 部屋の中はエアコンという文明の利器のお蔭で365日快適空間だけれど。
 最上階だから日中は多少効きが悪いけれど、普段は俺も彼女も仕事だし特に問題はない。

 朝食とその後の片付けを済ませて、彩さんと一緒にタクシーで区役所へと向かった。
 彩さんには我が儘を言って2日間休みを取ってもらった。

「ねぇ、なんで今日なの?」

 彩さんはどうして今日にしたのか分からなかったようだ。
 ま、当然かもしれない。

「俺が彩さんを初めて店で見つけた日なんだ」

 俺の言葉に彩さんは呆れたような顔をしている。
 女々しいとでも思われたのだろうか?

 役所に着いた俺達は真っ直ぐに窓口に向かう。
 幸い空
(す)いていて、すぐに受理してもらう事ができた。
 窓口にいたのは中年のおじさんだ。

 若い人じゃなくてよかった……。

多分彼女も同じ事を思ったのだろう。
 安堵したような顔をしている。

 帽子にサングラス、いつも着ないようなだらしない服。
 着心地は悪いけれど、どうして彩さんがこんな服を選んだのかは考える事もなく理解できた。

 窓口と向き合うように並んだ椅子には空席がありはするものの、結構な人が座っている。
 あんな所に座ったら目聡い人は気付くかもしれない。

 待っている間、俺は端の方で壁と向き合うようにして文庫本を読んでいるフリをした。

「望月様」

 名前が呼ばれて彩さんが俺の腕を叩く。

「おめでとうございます」

 窓口のおじさんが“婚姻届受理証明書”を差し出しながら微笑んだ。

「お幸せに」

 社交辞令だと分かっていても嬉しい。

「柴田さんが待ってるから駐車場に行こう」

 俺は彼女の手を引っ張って駐車場に向かった。
 柴田さんは今朝指輪を取りに行ってくれたのだ。

 駐車場には既に柴田さんの姿があった。
 いつものように車の前で待っている。

「やっと出せたのね、おめでとう。海、頼まれてた物受け取ってきたわよ」
「ありがとう」

 彼女を先に車に乗せて俺は柴田さんの差し出した小さな紙袋から箱を取り出した。
 箱を開けると真新しい結婚指輪が2つ並んで輝いている。
 指輪の内側には今日の日付とお互いの名前。

 俺のにはAya。
 彼女の指輪にはKai。

 ケースから大きい方の指輪を取って自分の指に嵌めたが、何だか照れくさい。
 小さな方の指輪を握りしめて、空になった箱を柴田さんに預けた。

 そして俺も柴田さんも何もなかったように車に乗り込んだ。

「彩さん、目を閉じて手出して」

 彩さんは不思議そうな顔をしたけれど文句をいう事もなく俺の言葉に従った。

「じゃ、ゆっくり10数えてね」

 そう言って彼女の手をぎゅっと握った。

「何……?」
「目を開けちゃ駄目だよ。もう1回声出して1から数えてね」

 ぎゅっと握ると、握られてる事が気になって指輪を嵌められる感覚を誤魔化せるのだ。
 イカサママジシャンのパクリなのだが。

「1……2……3……4……5……6……」

 彼女は気付く事なく数を数え続けている。
 成功だ。

「7……8……9……じゅ……」

 彼女が数え終わる寸前にその唇を塞いだ。
 入籍後初のキス。

 俺はゆっくり彼女の唇を味わう。

「何考えてんのよ?」

 唇を離すと、彩さんが真っ赤な顔で俺を睨み上げた。

「今日からよろしく、奥さん」

 照れ隠しなのか、彼女は手を振り上げた。

 しかし、その時嵌められた指輪に気が付いたようだ。
 驚きながら振り上げた手をゆっくりと自分に引き寄せる。

「な……に、これ?」
「結婚指輪だよ。俺のもほら」

 俺は左手を彼女の手に重ねた。

「仕事の時も肌身離さず持っておくからね。そのためにチェーンも買ったんだ」

 俺は再び彼女に口付けた。

「愛してるよ彩さん。彩さんは?」
「大っ嫌い」

 ……またですか。

「恥ずかしがらないで教えてよぉ……」
「だから大っ嫌いだってばっ!」

 今日くらい言ってくれてもいいのに……。

「仕方ないなぁ……今夜ベッドの中で聞かせて?」

 彩さんの顔が真っ赤になった。

「却下!」

 素直に言ってくれるなんて思っていないけれど。

「ま、いいや。彩さんは俺のものだもんね。望月 彩さん」

 俺は役所で貰った“婚姻届受理証明書”を広げて見せる。

 彼女が真っ赤な顔で左手を振り上げたので、俺は条件反射で目を瞑った。
 その直後、頬に柔らかな感触のものが触れた。

「あ……彩さん、い……今……」

 も……もしかして、彩さんの唇……だよね?

 そう思うと顔が熱を帯びていく。

「ここで襲っていい……?」

 今すぐ抱きたいっ!

「「駄目!!」」

 何故か柴田さんの声と彼女の声が見事にハモった。

「意地悪……」

 柴田さんは運転しながら会話を聞いていたようだ。
 彼女は何がおかしいのか笑い出した。

「笑わないでよ、彩さん……」

 彩さんの身体を引き寄せて唇を重ねる。

 もう離さないからね。

「海、午前3時撮影開始だから0時には迎えに行くから。いつまでも彩さんに甘えてないでよ?」

 彼女を抱き寄せて幸せに浸っていると、柴田さんの声が現実に引き戻す。

「えぇ〜っ新婚初夜だよ! 初夜! 
初夜、初夜、初夜っ! なんでそんな時間から撮影なのさ?!」

 彼女を開放して運転席のシートを掴んだ俺は柴田さんの頭上で抗議した。

 気を利かせてくれてもいいじゃん!
 結婚初夜って1度しかないのに。
 彩さんに2日も休みを取らせたのにっ!
 柴田さんの意地悪っ。

「仕方ないでしょ、仕事なんだから」
「えぇ〜っ、俺具合悪くなってもいい?」

 休みたい。

「駄目よ」
「寝坊してもいい?」

 せめて遅刻。

「却下」
「失踪してもいい?」

 そのまま一生休みなんてどうよ?

「今から連れ回すわよ?」

 ……それは勘弁。

 俺が膨れていると頬杖をついた彩さんが溜め息を吐いた。

「頑張って、旦那様」

 え?

「い……今……旦那様って言った……?」

 聞き間違いじゃない?

 顔が再び熱を帯びていく。

「違った? 今日から旦那様なんじゃないの? 仕事をいい加減にする男は嫌いよ?」

 彩さんが微笑みながらそう言った。

 旦那様……。
 俺は今日から彩さんの旦那。
 旦那といえば大黒柱だ。
 一家の主。

「お……俺、頑張るからっ」

 おもわず彼女の手を握り締めた。

 俺、旦那様なんだ……そうだよ頑張らなきゃ!
 一家の大黒柱じゃん、ってまだ2人だけどさ。
 これから家族が増えたりしたら彩さんは働けないわけだし……責任重大だ。

「「海って単純!」」

 彩さんと柴田さんは声を出して笑い出した。

 何がおかしいのさ?
 失礼だよ、2人とも。

 でも……。
 彩さんが笑っている。

 ずっと見たかった笑顔。
 俺はやっと彼女を笑顔にしてあげられた。

 それがとても嬉しかった。

 彼女が俺の指に自分の指を絡める。
 だから応えるように彼女の親指の先をキュッと握り返した。

 彼女が俺の肩に凭れて瞳を閉じる。
 その顔は凄く綺麗だった。

「ずっと、ずっと愛してるよ彩さん」

 彼女の耳元で囁くと閉じた目から涙が零れた。

「彩さん? ど……どうしたの?」

 お……俺何かマズイ事した? 言った?!

「幸せだなぁって……思ったの」

 幸せ……?
 そう思ってくれてるの?

 彼女の涙が溢れる目が開き、俺の視線とぶつかる。

「もっともっと幸せになろうね、彩さん」

 絶対に幸せになろう、2人で。

 俺は彼女の頬を伝う涙を唇で拭って微笑んだ。





 もっともっと幸せになろうね、彩さん。
 そのために俺も出来る限りの努力をするから。

 だから、いつまでも俺の隣で笑っていて。

 その笑顔を絶やさないで……。
 俺は愛しい女
(ひと)を抱きしめて、絶対幸せにしてみせると心に誓った。






 そして、今日から俺達は夫婦として新たな一歩を踏み出すんだ―――――。






― Fin ―







2008年03月08日




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