大好きな彼女 続編
その後の2人
第12話
相変わらず忙しい年末年始。
慌しく過ぎ去って気が付けば6月。
正月もバレンタインも部屋に帰る事さえ出来なかった。
イベントの日に休めるとは思っていないけれど、せめて家には帰りたかった。
そう思ったところで無駄なのは分かっているけれど。
6月22日。
俺の誕生日。
そんな事、彩さんは知らないと思っていた。
……でも違った。
彩さんは毎年密かにプレゼントをくれていたのだ。
俺が気付かなかっただけで。
それを教えてくれたのは……仕事を終えて帰って来た俺に差し出された1通の封筒。
彼女は何も言わずにその封筒を差し出した。
随分前に渡した婚姻届である。
俺に返すという事は記入したという事だ。
俺は嬉しくて彩さんを抱きしめた。
「彩さんズルイよ……俺の誕生日って知っててやってるでしょ? 俺……彩さんの誕生日何もしてあげてないよ?」
彩さんの誕生日は澄香サンから聞いて知っているけれど、彩さんはいつもそ知らぬ顔をしているから俺も知らないフリをしてきた。
彩さんは自分の年齢をすごく気にしてるから祝われるのが嫌なのかな? などと思ってたのだ。
「気付かなかったわ……誕生日だったの?」
彩さんは腕の中で微笑んだ。
「嘘吐き」
彼女を抱きしめる腕に力が篭る。
「彩さん、愛してるよ」
彼女の頬を撫でて顔中にキスを落とし、唇を味わう。
「彩さんの両親にもご挨拶行かなきゃね」
貴女の気が変わらないうちに。
「心臓止まらなきゃいいけど……」
彩さんは俺の腕の中でそう言って苦笑した。
今年こそは! と思って、彩さんの誕生日のスケジュールを柴田さんに空けてもらっていた。
彩さんの誕生日に2回目のプロポーズをしようなんて考えてたけれど……予定変更だ。
貴女の両親に会いに行く事にしよう。
勿論、誕生日だなんて知らないフリをして、ね。
7月2日。
彩さんの誕生日。
俺達は気だるい朝を迎えていた。
今日がオフな事もあって、ちょっとだけ張り切って彩さんに無理をさせてしまったのだ。
休みの柴田さんにお願いして彼女の実家まで乗せて行ってもらう事にした。
俺が何をするのかお見通しだったらしく、柴田さんは何も訊かずに運転手になってくれた。
柴田様々である。
彩さんは実家に到着するとさっさと車を降りて家の玄関を開けた。
彼女の家は特に大きくも小さくもない普通の一軒家。
俺達は彼女の指示待ちで車の中に待機している。
母親らしい女性が出てきて何やら会話を交わし、女性の視線がこちらに……柴田さんに向けられた。
変な顔をしているのはなんでだろう?
「そこに入れちゃって下さい」
戻って来た彼女は柴田さんにそう言って傍で待っていてくれた。
「お待たせ」
駐車場に車を停めると、柴田さんと一緒に車を降りて彩さんに微笑んだ。
バレると厄介なので足早に家に入らせてもらってサングラスを外す。
「本当にご一緒してもいいの……?」
さすがに柴田さんは困惑気味だ。
家族でもなければ親戚でもないのだから当然かもしれない。
俺からすれば最も身内に近い他人なのだが。
「お願いだからいて下さい〜っ」
珍しく彩さんは弱気だ。
そして少し開いた襖(ふすま)を開けて彼女は室内にいる人物に微笑んだ。
「久しぶりお父さん」
「元気そうだな」
「うん」
「いつまでもそんなところに立ってないで中に入ってもらいなさい」
途端に彩さんの顔が引き攣る。
なんでさ? ってツッコミを入れたくなる気持ちを抑えて黙って彼女を見下ろす。
「驚かない……でね……?」
彩さんの視線が俺に向けられたので彼女の横に立って頭を下げた。
「あ……」
彩さんの父親が固まった。
「初めまして望月海です」
「俳優の……?」
信じられないような顔をしている。
「そう……俳優の望月 海」
「驚くような奴って……」
彩さんの母親が俺を見上げたまま呟く。
「彩さん……どんな説明してんのさ?」
「連れて行くのが海だって電話で言えると思う?」
それは無理かもしれないけれど……もう少し他の言い方だってあるんじゃない?
「で、こちらの方は海のマネージャーの柴田さん」
「初めまして。柴田と申します。立場上1人には出来ませんので同行させて頂きました」
柴田さんが深々と頭を下げると、彩さんの両親も深々と頭を下げた。
「とっ……取り敢えず、座って下さい。お前が連れて来たという事は……そういう事なんだろう……?」
彩さんの父親は明言を避けながら、正面に並んで座った俺と彼女の顔を交互に見つめる。
「はい、今日はお2人に僕と彩さんの結婚を認めて頂きたくて参りました」
「彩の年齢はご存知ですよね?」
やっぱり、そこから入ってくるんだ……?
親子だねぇ。
「はい」
「それでも構わないんですか?」
「構わないんじゃないんです、年齢なんかどうでもいいんです。僕には彩さんしかいない、誰にも代われない大事な人なんです。たとえ彩さんが50歳でも僕は今日ここにいますよ」
大事なのは彩さんが彩さんである事。
年齢など関係ない。
俺は封筒を内ポケットから取り出し、彩さんの父親の前に差し出した。
「僕と彩さんの欄は既に記入済みです。証人の欄にご署名頂けませんでしょうか?」
一瞬その封筒に目を落としたが、彼女の父親は俺を探るようにじっと見つめてきた。
「証人は2人だと知っているかい?」
「はい、片方は僕の親にお願いするつもりです」
最初からそのつもりだった。
「彩は気が強くて天邪鬼だけど、それも分かって仰ってるんですよね?」
「はい。僕はそういう部分もひっくるめて彼女を愛しています」
彩さんの父親は近くにあったペン立てからボールペンを引き抜き、黙って署名をしてくれた。
「娘をお願いします」
そう言って、彼女の父親は署名を終えた用紙を封筒に入れてテーブルの上を滑らせ、俺に戻してきた。
「はい」
向けられた視線を正面から受け止めて力強く答える。
「僕の親との会食の場も用意したいんですが……。スケジュールの都合で暫く難しいので順序が違ってすみません。提出したい日が近いのでこちらを優先してしまって……。あ、決して子供が出来たとかじゃないので安心して下さい」
「そうだね、順序は違う気がするけど……まぁ相手が君じゃ仕方ないだろうね。孫はゆっくり待たせてもらうよ」
彩さんの父親は安心したようながっかりしたような顔で苦笑した。
「生涯忘れられない誕生日ね、彩?」
母親の言葉に彼女は小さく頷く。
「お誕生日おめでとう、彩さん」
彼女の肩をそっと抱くと、彩さんは俺を見上げた。
「やっぱり分かってたんだ?」
「うん、俺の誕生日のお返し」
彼女の蟀谷(こめかみ)に軽く口付けたけど……。
「馬っ鹿じゃないの?」
その一言で雰囲気ぶち壊し……。
「「彩っ」」
彩さんの両親が慌てている。
俺と柴田さんは毎度の事だと苦笑するだけだった。
やっぱり、どこにいても彩さんは彩さんなのだ。
彼女の実家で昼食を頂いてから俺の実家へと向かった。
彩さんは車の中で俺の親について訊いてきたけれど、何と答えていいのか分からない。
「うちは父親だけだよ、母親は居ないんだ。父親はね……一言で言えば変な人」
俺的にはぴったりの表現だったと思うけれど、彩さんは顔を顰めた。
他にどう説明すればいいのさ?
自分の親だけど出来るだけ関わりたくなくて避けてるとか、女好きで腹違いの兄弟達がいて今でも最低4人の愛人がいる、なんて言えるわけがない。
柴田さんは屋敷の玄関の前に車を停めた。
「私はここで待機しておくわ」
柴田さんの言葉に俺は頷いた。
いつもの事だ。
柴田さんのような美人は本当に危険なのだ。
父さんのストライクゾーンど真ん中。
本当に女好きで困った親なのだ、父さんは。
「行こう、彩さん。緊張しなくても大丈夫だから」
彼女の手を握って屋敷内に足を踏み入れた。
久しぶりの我が家。
だけど、懐かしいとか嬉しいなどの感情は湧いてこない。
「あら……お帰りなさい、海」
階段上から2番目の姉、真由子さんが声を掛けてきた。
「ただいま」
「お父様は書斎にいらっしゃるわ」
「分かった」
真由子さんは父さんの秘書をしている。
他の女性を付けるとすぐに手を出すので真由子さんが自ら名乗りを上げたらしい。
俺はそのまま彩さんの手を引いて父さんの書斎の前に立った。
「父さん、いるんでしょ?」
「……海か?」
だるそうな声が返ってきた。
「うん、入るよ」
彼女の手を放して書斎の扉を開ける。
「芸能界に入ってから年に数回しか帰っても来ない不良息子が、家で待ってろなんて電話を遣すとはどういう風の吹き回しだ?」
父さんは相変わらず面倒臭そうに口を開く。
俺と話す時はいつもそうだ。
大学も行かなかったし、会社にも入らなかったからってその態度はないんじゃないの?
その代わりCMとか破格で出てやってるのにさ。
「結婚しようと思ってさ」
父さんが顔を上げた。
「ほぉ……そうか、子供でも出来たのか?」
「あんたと一緒にしないでよ。したいからするだけだよ」
「相手の親御さんの承諾は?」
「誰に言ってんのさ? ここに来る前にちゃんと行って来たよ」
「で? 相手は連れて来たのか?」
「連れて来なきゃサインしてくれないでしょ?」
「よく分かったな」
「兄さん達の見てれば学習もするでしょ」
「それもそうだな」
父さんはクスクスと笑った。
相手を見て驚けっての。
「彩さん、入って」
俺は彼女の手を掴んで書斎に引き込んだ。
「……彩ちゃんか……?」
父さんは予想以上に驚いて椅子から少し腰を浮かせた。
「望月社長……?」
彩さんも相当驚いたようだ。
父さんは俺と彩さんを交互に見て噴き出して豪快に笑い出した。
笑い声を聞くのは久しぶりだ。
「海の相手が彩ちゃんか? そりゃいい、文句のつけようもないな」
「そうでしょ? 証人の欄にサインしてよ。都合のいい日に出しに行くからさ」
ポケットから封筒を取り出して机に投げると、父さんは躊躇う事なくペンを奔らせる。
「息子をよろしく頼むよ、彩ちゃん」
彩さんは言葉もなく深々と頭を下げた。
正直そこまで驚くとは思わなかった。
「ゆっくりできるのか?」
「今日は無理。また今度ゆっくり来るよ。彩さんのご両親との会食の場も用意するし。取り敢えずありがとね」
封筒を受け取ってから彩さんを連れて書斎を出た。
無駄に広い廊下に人の姿はなく、俺達の足音だけが響いている。
「彩さん、大丈夫? 何か、かなり動揺してるみたいだけど?」
「海は……知ってたの?」
「彩さんから名刺貰った時に気付いた。うちの家族は皆父さんの会社で働いてるんだ。俺だけ異端児なんだよね。で、こっちに帰って来た時に家族がある会社の女の人の話を楽しそうにしてたんだ。会社の話なんか俺分かんないし興味もないからどうだってよかったんだけど……彩さんから名刺貰って、その時の女の人が彩さんだったんだって初めて知った」
父さんが絶賛する女性に興味がなかったわけではないけれど、仕事絡みの事など全く分からなかった。
それに、五十嵐なんて人間はおそらくたくさんいるだろうし、彩さんの事だなんて考えた事もなかった。
でも、彩さんから貰った名刺の裏にあった主な取引先に望月建設の文字を見た時に確信したのだ。
彩さんの事だったのだ、と。
「彩さん、念のため言っとくよ。俺は彩さんに惚れたんだよ。父さんとか会社とは無関係」
言わなくても分かってくれるだろうけど。
「さっきの女の人は……?」
さっきの女の人、って……あ、真由子さん?
「2番目の姉さん」
彩さんが顔を顰めた。
まぁ、確かに真由子さんは現在45だし、俺の母親だと間違われる事が多い。
「海って……何人兄弟?」
「兄さんが5人と姉さんが3人、弟が1人と妹が2人。だから12人兄弟? 1番上の兄さんは今年53だし、上の3人とは腹違い」
ま、俺と同じ母親なのはすぐ上の兄さん、潤だけだけれど……今は言わない方がよさそうだ。
だって……今のの言葉だけで彩さんは言葉を失っていたから。
そういう事実は少しずつ話していこうと思ったんだ―――――。
マンションに帰った俺達は柴田さんと別れて彩さんの部屋で寛いでいた。
テレビを点けてまったりと珈琲を口に運ぶ。
俺の隣には彩さん。
「ねぇ、彩さん」
「ん?」
彼女の眼はこっちに向く事なくテレビを見つめている。
今の時間はワイドショーくらいしかやっていないようだ。
芸能人の誰かの熱愛発覚! とか言っているけれど、俺はそれが事実ではないと分かってるので感心するこ事も驚く事もない。
ま、興味もないし。
「今更だけど言ってもいいかな?」
「何を?」
もうお互いの親にサイン貰っちゃったけどさ……。
俺はテーブルにカップを置いて、彼女の手からもカップを抜き取った。
彩さんの部屋にはじめて上がった日以上の緊張。
「俺と結婚して下さい」
彩さんは驚いたように俺を見上げた。
まぁね、何の前触れもないから驚かれても当然なのだが。
「彩さん、返事は?」
彩さんの手が伸びてきて俺の首に絡まる。
「……仕方がないから貰われてあげる」
俺に抱きついた彼女の顔は見えないけど、その身体が小さく震えて俺の服にいくつもの染みを作っていた。
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