大好きな彼女 続編
その後の2人
第3話






 その日は朝まで仕事だった。

 自分のマンションに帰った俺は、先日工事を終えたリビングの壁を眺めながら1人微笑んだ。
 いや、ニヤけたといった方が正しいのかもしれない。

 ついでにその業者に掃除も頼んで、繋がった隣の部屋を綺麗に掃除してもらった。
 使った事のない部屋は埃だけなので業者にとってもラクな仕事だったに違いない。

 もう1つの部屋は学生の弟と妹が相変わらず住んでいるけれど、特に干渉はしていない。
 よほどの緊急事態でもない限りこの部屋を訪れる事もない。
 この部屋に来た回数は片手で充分に足りる程度だろう。

 基本は放任。
 親でもない俺が弟や妹を縛り付けるのはおかしいと思うし。

「ねぇ、柴田さん。彩さんを連れて来てくれない?」
「は?」

 柴田さんは慣れた手つきで紅茶を淹れながらソファで寛ぐ俺を見た。

「今日何の日だ?」
「……海の誕生日?」
「そう、今日で彩さんが言ってた1年なんだ。やっと鍵を渡せる」

 柴田さんは顔を綻ばせる俺を呆れたような目で見て大きな溜め息を吐いた。

「社長の許可は?」
「柴田さんやってくれたんでしょ?」

 俺が微笑むと背中を向けた柴田さんの方から舌打ちが聞こえた。

「柴田さん大好き」
「彩さんの次に、でしょ?」
「勿論、1番だったら困るでしょ? 俺も猪俣さんに殺されちゃうしね」
「私からの誕生日プレゼントは彩さんを連れて来るだけでよさそうね」

 柴田さんはティーカップを俺に差し出しながら呆れたように微笑んだ。

「うん、っていうかそれが1番欲しい物だから最高に嬉しい」

 俺はアールグレイの馨りを嗅ぎながら微笑んだ。

「社長からのプレゼントは1週間後よ。引越しの手配は社長がしてくれたわ。下見も私が空いてる時間に立ち会ったから」

 俺って恵まれてるよなぁ……。

「あ、それと……これ出来上がったって連絡貰ったから取りに行ってきたわよ」

 澄香サンにサイズを教えてもらってから頼んだ指輪だ。

「ありがと。あ、そうだ。彩さんを迎えに行くついでに役所寄ってくれない?」
「何で?」
「婚姻届貰ってきてよ」

 柴田さんの動きが停止した。

「あんた……まさか孕ませた?」

 どうしてそうなるのさ?

「欲しいから貰って来てって言ってるだけだよ。残念だけど彩さんの妊娠の可能性はないよ」

 避妊しなかった事も何度かあったけれど運がいいのか悪いのか彼女は妊娠しなかった。

「残念なの?」

 柴田さんは苦笑しながら問い返す。

「残念だね、赤ちゃんでも出来れば確実に俺の物だったのにさ」
「そういう強行手段は嫌われるわよ?」

 だよね……。

「失敗してもいいように2枚あると嬉しいな」

 柴田さんは呆れて言葉も出なかったのか黙って部屋を出て行った。

 やっと渡せる……。

 俺はこの半年間持ち歩き続けた隣の部屋の鍵をジーンズのポケットから取り出して握りしめた。





 彩さんを待っている時間はとてつもなく長く感じる。

 俺は部屋の中を意味もなく歩き回っていた。
 何をしていても落ち着かない。

 そんな時、隣からドスンバタンと物音が聞こえた。
 隣といっても彼女の部屋ではない方だ。

 通常あんまり気にしないけれど、今日は妙に耳障りに感じる。
 俺が緊張しているからだろうか?

 俺は気を紛らわすためにも弟や妹の住んでいる部屋へと向かった。

 鍵は持っているので勝手に開けて部屋の中に入ると……家具を移動させている弟と妹の姿。

「何してんのさ?」
「お兄ちゃんこそ、どうしたの?」

 高1の双子の妹、巴
(ともえ)と円(まどか)が不思議そうに俺を見上げる。
 この2人は同じ顔、同じ身長、同じ体型をしている。
 まぁ、身長や体型が双子だから同じだという事はないと思うけれど、食べ物の好みも一緒なので自然とそうなってしまったのだろう。

 ちなみに今の服装も髪型も同じだ。
 身長は多分彩さんよりも少し低い程度。
 ポニーテールが良く似合うし、贔屓目で見なくとも可愛いはずだ。

 この2人を見分けらるのは俺とすぐ上の兄と弟くらいだろう。
 父や歳の離れた兄達は見分けがつかないらしい。
 いつだってセット呼び。
 今更だが、薄情な身内だ。

「煩いから何してんのかなって見に来たんだけど?」
「ごめんね〜大掃除してたんだ」

 この時期に大掃除??
 家庭訪問でもあるのか?
 高校時代にはそんなものなかった気が……。

 俺は首を傾げた。

「どうでもいいけど控えめにしてよね。煩いから」

 俺が不機嫌そうに見えたらしく、3人ががヒソヒソと話している。

「何さ?」
「いや、なんか兄ちゃん緊張してるみたいだなと思って」

 大学2年の上総
(かずさ)にイタイとこを突かれて俺は言葉に詰まった。

 上総の身長は172〜3と低いけれど、頭が良くしっかり者だ。
 いや、ちゃっかり者と言った方が正しいかもしれない。
 兄弟達の中で1番年齢が近くて1番仲がいいので俺の態度の変化には敏感だ。

「図星? なんで?」

 俺は傍にあったクッションを掴んでからかうような上総の顔に投げつけた。

「煩いな!」
「ほらな、やっぱ何かあるんだ」

 楽しそうに弟と妹達が顔を見合わせる。
 俺は首を掻きながら顔を顰めた。

「どうでもいいけど、あんま腹立つ事やったり言ったら追い出すから。ここ俺の名義だって忘れてないよね?」
「ひでぇ! 横暴だ! 職権乱用! 俺様! 最低!」

 弟の抗議に耳を塞ぎながら俺は部屋を出た。

 なんで弟や妹に遊ばれなきゃならないのさ?
 助けてあげたのは俺なのに……恩を仇で返すってこういう事を言うのかな……。

 俺は自分の部屋に戻って大きな溜め息を吐いた。
 リビングに入り、なおも落ち着かない俺は彩さんが使う事になるだろう部屋で彼女を待とうとクローゼットに向かった。
 彼女の部屋も同じようにクローゼットでこの扉を隠した。

 どうして柴田さんのようにぶち抜かなかったのか?

 彼女が嫌がるような気がしたのだ。
 澄香サンみたいな突然の来訪者がいるかもしれないし、そんな時彼女が困るかもしれない。
 俺は彼女に必要以上の迷惑は掛けたくなかった。

 俺の存在だってありがたいものではないと思うし……。
 なんて……そんなのは言い訳だ。
 ただ恐いだけ……。

 そんな事を考えながら境界線にある引き戸を開け彼女の部屋の続くクローゼットの扉を開けると、俯く俺の目の前に彼女の頭が現れた。

「うわっ! 彩さん、もう来てたの?!」

 まさかもう来ているとは思わなかった。
 俺が隣に行っている間に着いてたらしい。

「……え?」

 彼女は状況が理解できないらしく唖然としていた。

「玄関は別だけど部屋の中は海が我が儘言って繋げちゃったのよ」

 柴田さんが溜め息を吐きながら種明かし。

「どこでもドアみたいでしょ?」

 俺が微笑んでも、彼女はまだ違う世界にいるようだった。
 それ程に驚いたのだろう。

「柴田さん、珈琲淹れてぇ。喉渇いちゃった」

 取り敢えずあまり見られたくないので柴田さんを追い払う作戦。

「はいはい、まったく……我が儘なんだから」

 俺は柴田さんをキッチンに向かわせてあっさりと2人きりになる事に成功した。
 多分柴田さんも分かってたのだと思う。

 俺は足音が遠退くのを確認してから繋がった空間を遮断した。

「彩さん、去年の6月22日の事覚えてる?」

 彩さんは表情を変えなかった。
 驚かないという事は覚えていてくれたのかもしれない。

「あの日から今日で1年だよ」

 俺は彼女の手を掴んでその掌に部屋の鍵を乗せた。

「約束」

 そして優しく彩さんを抱き寄せて、耳元で囁いた。

「愛してるよ、彩さん」

 こんな簡単な言葉では足りないくらい愛してるよ……。

 俺は彩さんに微笑んでキスをした。





「海〜珈琲淹れたわよ!」

 柴田さんがいい雰囲気を簡単にぶち壊す。
 まぁいつもの事なんだけどさ……。

 彩さんの唇を堪能した俺は、彼女の身体を解放して指を絡めながら彼女の手を引き、俺の部屋に招待した。

「ここが海の部屋?」
「うん、そう」

 特に変わった物などないと思うんけれど、彩さんがキョロキョロと部屋を見回す。
 妙に恥ずかしいのはどうしてだろう?

「そんなにジロジロ見ないでよ……」

 彼女をソファに誘導して座らせ、視界を遮るように正面に立った。

「なんで? 見られちゃマズイ物でもあるわけ?」

 意外そうな顔で彼女が俺を見上げる。
 見られちゃいけない物なんてないけれど……。

「なんか恥ずかしいからマジマジと見ないで欲しいなって思っただけ……」
「あ、そ」

 それだけ?

 俺が困惑顔をしていると柴田さんが苦笑しながらトレイにカップ乗せて運んできた。

「減るもんじゃないんだからいいじゃない」

 そりゃ……減りはしないけどさ……。

 柴田さんはトレイからテーブルにカップを移して立ち上がるとキッチンにトレイを置いて玄関に向かった。

「柴田さん?」
「帰るわ。明日は午前10時に迎えに来るからちゃんと起きて用意して待ってなさいよ」

 柴田さんはいつも俺を子供扱いする。
 ちゃんと時間通りに起きられるのに。
 柴田さんに起こされたのは2〜3回だ。

 彩さんは柴田さんの言葉に呆れている。
 凄くカッコ悪いじゃん俺。

 柴田さんの意地悪……。
 絶対にワザとだよね。






      
2008年02月28日

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