大好きな彼女 続編
その後の2人
第9話






「さて、どうなってるかしら?」

 撮影を終えて帰路に着いた車の中で柴田さんが呟いた。

 それってどういう意味さ? と、尋ねようとしたけれど柴田さんが質問を却下するように話し掛けてきた。

「彩さん効果絶大ね。海を動かすにはやっぱり彩さんじゃなきゃダメなのね。今日改めてそう思ったわ」

 多分猪俣さんも同じだよ。
 何となく分かっちゃったんだよね、俺。

 柴田さんは彩さんに似ている……年齢的に言ったら逆だけれど。
 猪俣さんは俺に似ているのだ、まぁこれも逆だけれど。

 だから、きっと猪俣さんを動かしてるのは柴田さん。
 本人は気付いていないけれど。

 そう思うと顔がニヤけた。

「何笑ってんのよ?」
「ううん、何でもない。やっぱ柴田さんがマネジャーで良かったなって思っただけだよ」

 顔を顰める柴田さんを眺めながら俺は自分の中の不安を誤魔化した。
 毎晩クローゼットが開くのか確認をしているけれど、開かない事で安心している自分がいる。

 クローゼットが開くと目の前には家具が何1つない空間が広がっていた……先日、そんな夢を見た。
 その日から寝るのが怖くなった。
 そして、開かないのはまだ住んでくれている証拠なのだ、と……寂しいけれど考えるようになった。
 そうでもしないと狂ってしまいそうだった。

「海、明日は笑顔で会えるといいわね」

 マンションのエレベーターを降りる際に、柴田さんはそう言った。
 柴田さんは協力してくれると言ったけれど、ずっと俺と一緒だったし特に何も変わった事はしていない。

 明日は笑って……?

 俺はいつものように部屋に入って荷物をソファに投げた。
 耳を澄ますけれど物音はしない。

 当然かもしれない。

 時計を見て苦笑が漏れる。
 もう既に日付は変わっていた。

 深夜3時か……。
 彼女はもう夢の中だろう。

 開かないだろうと思いながらクローゼットをそっと押してみる。

「……え?」

 昨日まで微動しかしなかったクローゼットは簡単に開いた。
 俺の部屋の明かりで彩さんの部屋の家具が確認できる。

 まさか……家具を置いたまま出て行っちゃった?

 緊張と不安が一気に膨らんでいく。
 知りたくないけれど、でも知りたくて……俺は彼女の寝室へと向かった。
 静かに扉を開くとベッドの上に膨らみがある。

 よかった……いてくれた。

 彼女を起こさないようにそっと近付いて、ベッド脇に膝を付く。

「彩さん……ごめんね、ごめん……ごめんなさい」

 彩さんの髪を指で梳きながら何度も謝った。
 たとえそれが自分の意思ではなくても……写真を撮らせるためだとしても、あの女といたのは事実だ。
 それで彩さんを傷付けてしまったのも事実。

「社長直々に言われて断れなかったんだ。……だからって彼女には指1本触れてないよ、女として見てないし……本当にただの共演者ってだけなんだ。……彩さんが誤解しても仕方ないよね、分かってるんだ。多分俺が逆の立場でも誤解しちゃうと思うし……。でも俺は彩さんしか見えない、避けられて当然だけど……でも辛かった。出て行っちゃったんじゃないかって毎日不安だった。……ごめんね。……それとクローゼットの前に置いてた物、退けてくれてありがと……」

 思ってる事を一気に吐き出したら涙が溢れてきた。

 目の前に彩さんがいてくれる事が嬉しい。
 ようやく彩さんに会えた。
 ようやく触れることが出来た……。

「愛してるよ彩さん」

 どうしても涙が抑えられなくて彼女の頬に軽くキスをして立ち上がった。
 彼女が目を覚ましてしまったら……どうしていいのか分からない。
 それ以上にこんな顔を見られたくない。
 恥ずかし過ぎる。

 さっさと部屋に戻ろう。
 家具を退けたのは、彼女が俺を許してくれたからだと思えたから。
 ……今はそれだけで充分だ。

「……海?」
「わっ……! 駄目! 今起きないで!」

 逃げるように背を向けたが、彼女の手が俺の服を掴んだ。
 逃亡失敗。

「……どうして逃げるのよ?」
「今の……俺の顔見られたくないから」
「見せたくない顔してるの?」
「……うん」
「じゃあ見せなさいよ」

 彩さんは思いっきり俺の服を引っ張った。
 寝起きとは思えない強い力で。

 予想以上の力のせいでバランスを崩し、俺は彩さんの上に倒れ込んだ。
 両腕を付いて何とか彼女の上に全体重を掛けずに済んだけれど、すっごく気まずい。

 俺は顔を隠すように彩さんを抱きしめた。
 今更かもしれないけれど。

「カッコ悪いから見ないでよ」

 多分彼女は、情けないこの顔を見てしまっただろう。

 大の男が情けないと思ったかもしれない。
 どうして泣いているのかも分からないだろう。
 ドン引きされたかもしれない。

「泣いてたの?」

 普通そんなにズバッと言わないんじゃない?

「どうしてそういう事言うかな……」
「なんで泣いてたの?」

 そこまで訊く?
 遠慮なし?

「……彩さんがいたから……かな」
「出て行ったほうが良かった?」
「駄目……絶対駄目。彩さんがいなくなったら俺狂っちゃうよ」

 冗談でもそんな事言わないで欲しい。

「ごめんね……あの記事の事、決まりがあって11月まで否定できないんだ。……でも俺には彩さんだけだから。……信じて?」

 彩さんはすぐには答えてくれなかった。

 まだ怒ってるの?

「……今回は信じてあげる」

 小さな声だったけれど、確かに聞こえた。

「愛してるよ彩さん」

俺は彩さんの存在を確かめるように強く抱きしめた。

「次はその日突然なんて認めないんだから」
「うん」
「断れない時だけって約束して」
「うん、約束する。俺には彩さんだけだよ」
「……もっと言って」

 彩さんは小さな声でそう言いながら俺の背中に手を回した。

「愛してるよ彩さん。……彩さん以外の女なんか要らない。だから俺から離れようなんて考えないでずっと傍にいてよ。俺には彩さんしかいないんだ」

 彼女から甘えるように言葉を催促されたのは初めてだった。

 彩さん……彩さんも俺と同じくらい想ってくれているの?
 そう思ってもいい?

 その晩、彩さんをただ抱きしめて眠った。

 彩さんが傍にいてくれる事を実感できただけで、俺の心は珍しく満たされていた。





 それからは何もなかったように今までと変わらない毎日が戻って来た。

 野々原サンとの交際報道は予想以上に盛り上がっている。
 たった2回しか会っていないというのにどこまで広がるんだ? と思うほど噂には尾鰭が付いていた。

 今日も、ありもしない目撃情報や、野々原側が流した交際を臭わせる発言がテレビから流れてくる。
 反論しないのをいい事に野々原側は好き勝手に喋っているのだ。
 彩さんは隣で1冊の週刊誌を捲りながら俺を見上げた。

「こういうのって嘘とかも書くのね」
「やらせと多少の嘘は書かれてるよね」

 合成写真とかはあんり使っていないと思うけれど。

「多少? じゃあこの路上での抱擁とキスは本当?」

 そんなわけないでしょ。

「彩さん、分かってて訊くのやめてよ」
「分からないから訊いてんのよ。この写真間違いなくあんたでしょ?」

 差し出された週刊誌の写真は間違いなく俺だ。
 数枚の写真が載せられている。
 その中の1枚は野々原サンと抱きあってキスをしている。

「うん、俺」

 確かに身に覚えもある。
 でも、それはドラマの中での話。
 つまりは仕事だ。

「どういう事?」

 殺気を含んだ眼が向けられる。
 ちょっと怖い。

「再来週のドラマ観たら分かるよ」

 だって、それはロケのワンシーンだから。

「何それ?」
「再来週の放送、絶対にビデオ録っといてよね。証拠だから」
「何の?」
「仕事だったって証拠だよ」

 俺は彼女の腕を引っ張って、胡坐を掻いた足の上に倒れ込んだ彩さんの唇を塞いだ。






      
2008年03月05日

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