大好きな彼女番外編
大久保 翔平
― 1 ―






 2004年3月1日。
 俺は飲み屋をオープンさせた。

 子供の頃から自分の店を持つのが夢だった。
 何の店という細かいビジョンはなかったけれど。

 でも昔、祖父が通っていた飲み屋の雰囲気が好きだったし、俺も親父も酒好きだという簡単な理由から飲み屋に決めた。
 開店日には家族や親戚も祝いに来てくれて座敷はドンチャン騒ぎだったが、何だか懐かしい感じがした。

 モデルを始めてからは家族とも関わる事が少なくなっていたし、家族親戚達に囲まれるのもおそらく小学生の時以来だ。

 幼児期から祖父の晩酌に付き合わされていたため酔っ払いの扱いも慣れたもの。
 結構天職なのではないか? などと思っていたりする。

 モデルという仕事が嫌いなわけではない。
 でも、兼業なんて器用な真似は出来ないと思った。
 いい加減な気持ちではどちらも成功しない。
 そう思った俺は2月末でモデルを辞めた。

 モデルなんていつまでも出来る仕事ではないという事くらい分かっていたし、人気のあるうちに身を引いたほうがいいような気もしていた。
 仕事が来なくなって辞めていくモデルを何人も見てきたからかもしれない。
 モデルで成功するのはたった一握りだ。

「祥平、よく考えて欲しい。店は他の人に任せてもう暫くやってみてもらえないだろうか?」

 一握りの成功者である俺を、社長はそう言って引き止めようとした。

「他の奴に任せるくらいなら店なんか開く意味がない。俺は店に出て客の反応も見たいし接客だってやりたい」

 俺にとっては当然の事だ。
 それが自分の店を持つ事だと思っている。
 人任せにするくらいなら持たないほうがいい。

 諦めきれない奴等が時々店にやって来て俺を業界に呼び戻そうとしているが、俺にはもうやる気などなかった。

「やりたい事があるって凄く羨ましいよ」

 モデル仲間で俺よりも10歳年下の望月 海
(もちづき かい)が俺を見てそう言った。

 海は1人っ子の俺にとっては弟のような存在だ。
 素直で可愛い子犬のような奴。
 ついつい構いたくなってしまう。

 でも、最近は何か悩んでるように見えて少し気になっていた。
 だからメールを送ってみた。

『3月1日新橋駅前に店をオープンさせた。暇があったら遊びに来い。愚痴くらい聞いてやる』

 返事は来なかった。





 オープンから半月過ぎた頃ふと気が付いた。
 いつも同じメンバーで飲みに来る5人組の存在に。

 女1人に男4人。
 男達は毎回女を口説くような言葉を恥ずかしげもなく吐いている。
 女は日常茶飯事なのか聞き流して笑っていた。

「いつも来て下さってますね」

 ある日、俺は5人組に声を掛けてみた。

「あ、店長さんですよね。モデルさんみたいだって噂で聞いてたんですよ」

 女が俺を見上げて微笑んだ。

「2月まで実際にやってたんですよ。店をオープンさせるので辞めたんです」

 女はなるほどと納得したように頷いた。

 どうせ“勿体ない、なんで辞めたんですか?”などと訊いてくるのだろう。

「そうなんですか……モデルを辞めてまでオープンさせたって事は、お店を持つのが夢だったんですね」

 え?
 予測しなかった切り返し。

「えぇ……子供の頃からの夢だったんです」

 少々戸惑いながら俺は答えた。

「素敵……夢の実現ってなかなか出来る事じゃないですよね。おめでとうございます」

 女は厭味でも何でもなく……本当に嬉しそうにそう言った。

「ありがとうございます」

 何だか調子が狂う……。

 俺が微笑み返すと彼女はビールジョッキを掲げた。

「店長さんの叶った夢に乾杯!」
「「「「乾杯!」」」」

 仲間の男4人もジョッキを掲げて微笑む。

「俺、ここの内装凄く好きですよ。店長さんの趣味ですか?」

 男の1人が俺に尋ねた。

「えぇ、自分の趣味です。自分がリラックスできる空間を作りたかったんですよ」

 なんでこんな話してんだ?

「私も凄く落ち着きます。きっと他の方々もそうなんでしょうね、皆さんも笑顔ですもん」

 女が周囲を見渡しながら微笑む。

 飲み屋ってのは基本的に馬鹿騒ぎしてる奴ばっかだろ。
 泣きながらとか暗い雰囲気の客を見るのは稀だと思う。

「俺達は彩ちゃんが笑顔なら美味しい酒が飲めるけどね」

 男達は再び彼女を口説くような言葉を吐き始めた。
 俺は軽くお辞儀をしてその場を立ち去った。

 変わった女、というのが第一印象だった。





 翌日、海から電話が来た。

「もしもし、海?」
『うん、今近くにいるんだけど……行っても平気?』
「近くって? 店の近く?」
『うん、今新橋駅』
「マジで?! 今すぐ迎えに行く! 絶対気付かれんなよ!」

 1人でいるのか?
 マネージャーも一緒なのか?

 俺は店を飛び出した。

 最近テレビでの仕事も多く、海の顔はかなり世間に知られている。
 気付かれれば大騒ぎになるだろう。

 去年、抱かれたい男ランキングで1位を取ってたっけ……。

 海はすぐに分かった。
 やはり目立つのだ。
 早く店に連れて行かないとバレてしまう。

「久しぶりだな」
「うん」

 予想を裏切らず元気がない。

「何かあったのか?」
「……あったようななかったような……」
「何だよそれ?」

 俺は笑いながら1歩先を歩く。

 海に会うのは2ヶ月くらいぶりだが、若干痩せたような気がする。

「裏からな。お前目立つから」

 スタッフの出入りする裏口から海を招き入れる。
 スタッフも突然現れた海に驚きを隠せない。

「頼むから騒がないでくれよ」

 俺はそう言ってから隔離している座敷に海を連れて行った。

「オープンして間もないんじゃなかったの?」

 海は店内をマジックミラーの壁越しに眺めながら尋ねてきた。

「半月」
「凄いね」
「そりゃ、こんなイケメン店長がいるんだから黙ってたって寄って来るさ」

 軽く冗談を言って座敷の段差に腰掛けた。
 どうしてもその場を離れられなかった。
 そのくらい海の表情は暗かったのだ。

「何かあったんじゃないのか?」
「う〜ん……最近よく分からないんだよね……本当の俺ってどこにいんのかなって、さ」

 海自身も上手く説明できないらしい。

「相当病んでんなお前……」

 俺は苦笑した。

「仕事終わるの早かったらここに来いよ、愚痴くらい聞いてやる」
「ありがと」

 少しだけ見せた海の笑顔は俺を不安にさせるだけだった。





 その後、海は月に1回くらいのペースでやって来るようになった。
 特に仕事の事を愚痴るわけでもなく、何となく座敷に座って飲食して帰って行く。

 あいつは本当に大丈夫なのか?

 海の背中を見送るたびに不安になっていた。

「こんばんは」

 明るい声がした。
 いつもの5人組だ。

「いらっしゃい」

 この5人組は毎週月・水・金に来る事が最近は分かるようになった。
 時間も大体7時頃。

「いつもの席にご案内して」

 俺はカウンターの中から従業員に声を掛けた。
 従業員もこの5人組の顔は覚えている。

 当然かもしれない。
 基本的にシフトは定着している。
 余程の事がなければ大きな変更もしない。
 つまり、彼女達の来る日の従業員もほとんど同じ。
 毎回見る常連客の顔くらい記憶しているだろう。

「え、でも……他のお客さんに申し訳ないです。待ちますから……」

 女……彩ちゃんは申し訳ないという顔で辞退しようとする。

「彩ちゃん、そこ予約席だから」

 俺は5人組の傍に向かい、半ば強制的に5人を座らせた。

「あの……」

 彩ちゃんが申し訳なさそうに俺を見上げる。

「常連さんの特権でしょ」

 彼女に微笑むと4人の殺気を含んだ眼が俺に向けられた。
 どうやらこの4人は彼女に本気のようだ。

「毎週月・水・金は8時まではこの席空けておくので、来ないなら電話を下さい」

 俺は5人にマッチを手渡した。

「店長も彩ちゃん狙いですか?」
「伊集院君、そんなわけないじゃないっ。店長さん、気にしないで下さいね」

 1人の男が疑うように俺を睨んでいる。
 彩ちゃんはそれを見て大きな溜め息を漏らした。

 彼女も大変だな……。

「これも商売ですよ。人数変更も連絡下さいね。特に多い場合」
「いつもすみません」

 彩ちゃんは俺を見上げて苦笑した。
 若いのにしっかりした子だ。

 最近、俺は彼女の存在がこの店を和ませているような気がした。

「おや、彩ちゃん。飲み会か?」

 他のテーブルのオヤジが今日も彼女に声を掛けた。

「はい、会社の仲間と反省会です」

 彼女は笑顔で答える。
 最近彼女が他のテーブルの客に声を掛けられている姿をよく見掛けるのだ。
 会社関係のようだが、彼女の顔の広さに驚かされる。

 一体何の仕事をしてるんだろう?
 何かの営業かな……?

 彩ちゃんが来ると知った客が頻繁に従業員に尋ねてくるようになった。

「今日は彩ちゃんは来ないのか?」

 それで理解できる俺達もスゴイと思うが……。

 彼女達が何曜日に来るのか知っていても他の客には教えないように通達している。

「さぁ……どうなんでしょう? お客様の予定は私共には分かりませんので……」

 従業員はマニュアル通りに答える。
 それを見ながら俺も小さく頷く。
 いくら知っているからといってもお客の情報を勝手に教えるわけにはいかない。
 当然の事だ。

 この店はお客様に楽しい時間を提供する場所。

 海にも楽しんでもらえるといいのだが……。
 俺は誰もいない座敷を眺めながら小さな溜め息を吐いた。






      

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