有名人な彼

― 武村の脳内暴走番外編 ―
単純な宇宙(そら)
<前編>

(念のため。宇宙君は彩ちゃんの弟です)






 9月に入ってすぐの火曜日の事だった。
 昼休みに掛かって来た1本の電話。

『今月の第3土曜日なんだけど空いてない?』

 何の前触れもなく母さんが言った。

「え?」
『言い方を間違えたわ。第3土曜日絶対に空けなさい。家族全員正装して午後3時にうちに来る事、いいわね?』

 予定を空けろなんて言われたのは初めてだ。

 それも正装?
 何かあったのだろうか?

「なんで? 何かあった?」

 実家に帰るのに正装なんておかしいだろ。
 子供たちの誕生日でもないし、何かの記念日でもなければお祝いなんてのも思いつかない。

 ……もしかして、姉ちゃん?

「もしかして姉ちゃんに何かあった? 男が出来たとか?」

 まさか、なんて思いながら冗談交じりに尋ねると……。

『あら、知らなかったの? 彩から連絡するのかと思ったのに』

 え?!

「母さん、どういう事?!」

 母さんとは違う意味で驚く俺に母さんは更なる衝撃をくれた。

『彩ね、先月結婚したのよ』
「はぁ?!」

 俺は事務所にいる事も忘れて大声を出し、更には勢いよく立ち上がってしまった。
 背後で椅子が倒れた音が響く。

「母さん達はいつ知ったの? なんで俺に黙ってたわけ?!」
『だって彩が黙ってろって言うから……それに、お父さんもお母さんもその方がいいかも、なんて思っちゃったし』

 思っちゃったし、って何だよ?!
 なんで俺だけ除け者なんだよ?!

「もういい、姉ちゃんに直接訊くから」

 俺は母さんとの電話を切って、携帯の電話帳から姉ちゃんの携帯の番号を探し出し、発信ボタンを押した。

『もしもし、宇宙?』

 姉ちゃんの声が聞こえた。
 いつも通りの姉ちゃんだ。
 特に変わった様子はない。

「姉ちゃん結婚したって本当?」
『え?』

 姉ちゃんは電話越しでも分かるくらいうろたえている。
 電話の向こうが急に賑やかになった。

『彩ちゃん、大丈夫?!』
『火傷しなかった?! おい、給湯室から雑巾!』

 どうやら温かい何かを溢してしまったようだ。

 姉ちゃんの傍にはいつも男がいる。
 職場に女が少ないのだと言うが、この世話好きそうな男達の中に姉ちゃんの相手がいるのだろうか?

『洋服は大丈夫?』
『あ、うん平気。ごめんね伊集院君』
『電話中でしょ? こっちはいいから話しなよ』
『あ、うん』

 この狼狽えようは母さんが言った事が本当だったという事だ。

『もしもし?』
「派手に狼狽えたね。で? 相手は? いくつで何の仕事してんの? 知り合って何年? 付き合ってどのくらい?」

 この数年、姉ちゃんに男はいなかった。
 姉ちゃんは前の男で酷い目に遭って男性不審に陥っていたからだ。

 それなのに結婚?
 素直に信じられるはずがない。

『あの、その話はちょっと外じゃ出来ないのよ』
「どういう事? 母さん達にだけ話して俺を除け者にして。俺に会わせられないようなとんでもない奴なの?」

 姉ちゃんはかなりの高給取りだ。
 男女平等とは言うけれど、給料面などではやっぱり男女に差がある。
 それなのに、姉ちゃんは俺以上の年収を貰っているのだ。
 仕事が出来るという意味では自慢の姉。

 でも、男を見る目はない。
 とにかく最悪だ。
 今までの男達を見ていれば分かる。
 だから心配なのだ。

 もしかして定職にも就いてないどうしようもない男とか?
 ヒモなんて認めないからな。

 母さん達は姉ちゃんが結婚してくれるだけで充分なのだろうが、俺は違う。
 姉ちゃんには幸せになってもらいたい。
 だから、姉ちゃんの旦那になる男にはそれなりの収入とそれなりの包容力を求める。
 結婚が姉ちゃんの足枷になるようなら即離婚させてやるつもりだ。

『あのね宇宙、あんたが心配するような人ではないと思うから』
「え?」
ちゃんと仕事もしてるし、私が仕事を続けても文句言わないし、私がやりたい事に反対したり妨害したりするような人ではないから

 何でそんなに小声?

「第3土曜日空けるようにって母さんから電話来たんだけど、どういう事?」
『あぁ……ん〜、どうしようか? 今日の帰りに時間があるなら新橋に寄ってく?』

 どうして姉ちゃんの新居じゃないんだ?

「姉ちゃんの新居ってどこ? そっちに寄る」
『え? それはちょっと……』
「何? 実はヒモとか言わないよな?」
『家は……え? 何?』

 電話中の姉ちゃんを誰かが呼んだらしい。
 こっちは大事な話をしてるってのに邪魔すんなよ。

『大久保さんの店に連れて行くよりも彩ちゃんの家の方が安全だと思うよ?』

 姉ちゃんと話している人物は姉ちゃんの旦那を知っているような口調だ。
 他人が知っているのに身内が知らないというのはやはり面白くない。

『そうよね……万が一騒がれたら大変な事になっちゃうかもね』
「姉ちゃん?」
『うん、分かった。じゃあ、そうね……7時頃には帰ってるから、今から言う住所に来て。インターホン押してくれたらエレベーターのところで待っとくから』

 何故待つ必要があるのだろう?
 姉ちゃんはもともと多くを語らないため、何を考えているのか分からない。
 しかし、今日は理解できない発言をしている。
 やっぱり分からない。

 姉ちゃんに言われた住所をメモして電話を切ったが、その住所が高級住宅街である事に気付いた俺はヒクヒクと顔を引き攣らせた。






      
2008年12月25日

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