有名人な彼

― 武村の脳内暴走番外編 ―
単純な宇宙(そら)
<後編>






 姉ちゃんとの電話の後、部長に怒られたが正直何を言われたのか覚えてもいない。
 それほどに姉ちゃんの結婚は衝撃的だったのだ。

 姉ちゃんが住んでるマンションは、低層住宅専用地域の傍だから物凄く高層というわけではないだろう。

 しかし、高級住宅街の中にあるのは確かで。
 俺なんかが歩いていると不審者っぽくないだろうか?

 いくら姉ちゃんが俺より多く給料を貰っていても、こんな場所に住めるとは思えない。
 って事は男の方か。

 姉ちゃんもちゃんと働いてると言っていたし、それなりの収入はあるのかもしれない。
 あとは姉ちゃんを受け止めるだけの包容力があるかが問題だ。

 俺はメモに書かれたマンションの名称と目の前の建物の名称が同じ事を確認して足を踏み入れた。
 入口の管理人と視線がぶつかってしまったので何となく会釈した。

 すっげぇ場違いな気がする……。

 そう思いながら姉ちゃんが住んでいるだろう部屋番号を押してみる。

『早かったわね、迷わなかった?』

 俺が声を発するまでもなく姉ちゃんから声を掛けてくれた。
 やっぱり、姉ちゃんはここの住民なのだ。

 信じられない……。

 そう思いながら俺は開いた自動ドアを通ってエレベーターのボタンを押す。
 マンションのホールに犬用の足洗い場なんてものまで付いているし、ホテルのロビーのようにゆったりとした椅子やテーブルが置いてある。

 シャッターが下りている場所は何があるのだろう?
 店か?
 マンションの中だし、それはあり得ないか……。

 何よりも管理人の他にもエレベーター前に警備員って……。
 姉ちゃん、もっと普通の所に住んでくれ。
 俺、発狂しそうだ。

 じっと見られて落ち着かなかったが、ようやくエレベーターが到着し、俺は逃げるように中に入って姉ちゃんの住んでいる10階のボタンを押した。

 最上階かよ……。

 俺のような普通のサラリーマンがこんなマンションに足を踏み入れるのだから多少挙動不審でも勘弁して欲しい。
 エレベーター内の防犯カメラからも視線を感じてしまうのは、俺の意識が過敏になってるからではないだろう。
 おそらく、本当に見られている……。
 いや、見張られている。
 このマンション内にいるだけで胃に穴が開きそうだ。

 大きな溜め息を漏らすと同時に、ポーンと優しい音がしてエレベーターが開いた。
 目の前には姉ちゃん。
 その隣には……またしても警備員。

「何疲れた顔してんのよ? 仕事大変なの?」
「仕事よりも緊張」
「何に緊張してんのよ?」
「この贅沢なマンションに」

 姉ちゃんは楽しそうに笑った。
 警備員さんにも笑顔で頭を下げて俺の前を歩いて行く。
 堂々と。

 姉ちゃんって意外と図太いな……。

 姉ちゃんが足を止めたのは1番奥の部屋だった。

 おいおい、角部屋は高いんだぞ?
 最上階の角部屋っていったら間違いなく億ションだろ。

「まぁ緊張しないで入りなさいよ」

 姉ちゃんに促されて部屋に入るが……何とも男の匂いのしない部屋だった。
 姉ちゃんらしい木製家具と落ち着くナチュラルカラーの部屋。
 実家の姉ちゃんの部屋と大差はない。

 結婚したと母さんは言った。
 けれど、男の物と思われるようなものが何もない。
 おかしいだろ。

「姉ちゃん、結婚したんだよな?」
「あぁ、まぁそうね」
「男のものが全く目につかないのはなんで? ってか旦那はまだ帰ってないの?」

 姉ちゃんは苦笑しながら左手に嵌った結婚指輪だろう代物をクルクルと回した。

「まぁ座って。今珈琲淹れるから」

 俺は姉ちゃんの言葉に従ってカウンターに腰を下ろした。

「なんでそこに座るのよ? ソファの方がいいんじゃない?」
「こっちにいた方が話しやすいから」

 姉ちゃんは手際よく珈琲の準備をしている。
 しっかりと夕飯も同時進行。

「付き合ってどのくらいで結婚したの?」
「付き合って……2年?」

 なんで疑問形なんだよ?

「ここに住んでどのくらい?」
「ここは1年ちょっと。通勤に便利なの」

 ここが通勤に不便だと言うならば相当田舎に通勤している場合だけだろう。
 思いっきり都心部。
 不便なはずがない。

「あ」

 姉ちゃんが顔を上げた。
 そして何故かカップを3つ取って珈琲を注ぐ。

「旦那帰って来たの?」
「あ、うん。そうみたい」

 玄関の鍵が開いたわけでもない。
 外の声が聞こえてくるわけでもない。
 なのに、どうして分かるのだろう?

 俺は姉ちゃんを眺めながら首を傾げた。
 しかし、姉ちゃんの顔は少しだけ口元が笑っている。
 幸せそうな顔。
 こんな顔をさせられる男がいたんだと思うと俺も嬉しくなる。

「ただいま、彩さん」

 急に背後から声が聞こえて、俺は飛び跳ねるように振り返った。

 どこから入って来たんだ?!
 ってか……この男はっ!!

「望月 海?!」
「自己紹介の必要はなさそうだね」

 俳優の望月 海と言ったら日本の9割の人間が知っているはずだ。
 それがどうしてここに……?

「おかえり。珈琲淹れたわよ」
「ありがと」

 望月 海は俺の隣に腰を下ろすと姉ちゃんからカップを受け取った。
 当然のように。

 ……ってことは。

「姉ちゃんの結婚相手って、もしかして……?」
「うん、俺」

 嘘だろぉ?!

 望月 海がテレビでは見せない極上の笑顔を俺に向ける。

 俺が女だったら鼻血ものだ。
 カミさんが会ったら大騒ぎするだろう。

「彩さん、何も話してなかったの?」
「これから話そうとしたら海が帰って来たのよ」

 姉ちゃんは素っ気なく告げ背を向ける。
 そして、冷蔵庫から缶ビールを取り出して俺と望月 海の目の前に置いた。

「そんな所にいられると鬱陶しいから向こうで飲んでて」

 鬱陶しい?!
 望月 海にそれを言うのか?

 その手は何?!
 シッシッて……犬じゃないぞ?!

 恐るべし姉ちゃん。

「宇宙さんだっけ、ソファに移動して一緒に飲もうか?」
「え?」
「彩さん怒らせたくないからさ」
「海、摘み持って行って」
「はいはい♪」

 望月 海が姉ちゃんに使われてる。
 笑顔で。

「海! ちゃんと手を洗ってからにしなさい、宇宙も一緒に手を洗って来て」
「はいはい。宇宙さん、こっち」

 望月 海が俺と一緒に怒られてる……。

 俺の脳内はパニックを起こしていた。

 だって、姉ちゃんの旦那が望月 海って……ありえねぇ〜っ!
 こいつ幾つだよ?
 姉ちゃんとは……。

「宇宙さん、年齢の事は絶対に口に出さないでよね。彩さん、凄く気にしてるから」
「え? 俺、顔に出てた?」
「彩さんの弟だからそういう事考えてる気がしただけ」
「え?」
「なんで彩さんの家族って年齢から入るのさ? 元々男の寿命の方が短いんだし“年下だったら同じくらいに死ねるじゃん、ラッキー”くらいの考え方出来ない?」

 出来るわけねぇだろ。

「とにかく、年齢の事は禁句だよ。もし口にしたら即行追い出すからね」

 望月 海はドラマの中のような冷たい表情で俺を見下ろして洗面所を出て行った。

 もしかして姉ちゃんよりも望月 海の方が姉ちゃんに惚れてる……?
 ありえねぇ〜っ!!

 手を洗って洗面所を出ると小さな声が聞こえた。

「海、離れて」
「やだ。彩さんの温もり感じたい」
「宇宙がいるんだから、離れなさい」
「弟でしょ、いいじゃん。見せてやれば」
「出入り禁止にするわよ?」
「……分かった。我慢する」
「よろしい」

 2人のやり取りが親子のようで何だか笑えた。

「姉ちゃん2人の馴れ初め教えてよ。こんな俳優とどうやって知り合ったんだよ?」

 俺はリビングに戻りながら姉ちゃんに尋ねた。
 リビングに入ると慌てて離れる2人が見えて再び笑いが込み上げてくる。

 姉ちゃんが俺に黙ってたのは大騒ぎしそうだから、か。
 姉ちゃんの判断は正しかったと思う。

 マジでうちの家族は大騒ぎするだろう。
 カミさんも子供も望月 海の大ファンなのだから。
 さらに、もう既に話したくてうずうずしている俺がいる。

 父さんと母さんが姉ちゃんに同意したのも頷ける。
 さすが俺の両親。
 さすが俺の姉。

 
すっげぇ喋りてぇ〜っ!!

 俺は望月 海と姉ちゃんと3人で長い時間談笑させてもらった。
 贅沢な時間だ。
 雑誌取材だってこんなに長くないと聞いた。

 芸能界についても色々と教えてもらったりして。
 芸能人でもないのに芸能人のような気分になっていく自分がいた。

「宇宙、誰かに話したらあんたが困るって事忘れるんじゃないわよ?」

 帰り際に言われた姉ちゃんの言葉で興奮していた脳が落ち着きを取り戻していく。

 姉ちゃんの結婚相手が望月 海だとバレたら、実家にも人が来るのか?
 俺の家にも?
 子供達はどうなる?
 テレビで見てるように囲まれて怖い思いをするのか?
 それは避けなきゃいけない。

 真剣に考え込む俺の傍で2人が楽しそうに微笑んでいた事など……姉ちゃん達に上手い事乗せられていた事などその時は気付きもしなかった。

 バレたところで俺が困る事なんかたかが知れている。




 恥ずかしい事に、そう気が付いたのは数年後の事だった―――――。






― Fin ―









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