大好きな彼女
― 10 ―






 目を覚ますと、薄暗い部屋の中にいた。

 ここは……どこだっけ?

 部屋の中を見渡して気付く。

 彼女の部屋だ……。
 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 掛けられている毛布を見て俺は苦笑した。

 優し過ぎるよ……彩さん。
 そういう優しさに付け込んじゃうよ、俺?

 身体を起こして彼女の眠る寝室へと向う。

 ベッドで気持ちよさそうに眠る彼女。
 少しの間だけ彼女の寝顔を眺めていた。

「彩さん……好きだよ。会えない間……本当に苦しかったんだ」

 彼女の寝顔に囁く。

 彼女はどうだったのだろう?
 少しくらい寂しかった?
 それとも清々していた?

 彼女に触れたい……。

 俺は彼女の身体に跨るよな恰好で彼女を見下ろした。

「……重い」

 彼女が顔を顰める。

 そんな顔しなくたっていいじゃないか……。

「なんで起こしてくれなかったのさ?」

 眠そうな目をした彼女は一瞬だけ俺を見上げた。

「気持ち良さそうに寝てたから」

 欠伸しながら答えないでよ。
 シッシッって俺、犬じゃないよ。

「彩さんといられる貴重な時間なんだよ? 分かってる?」
「分かってない。おやすみ」

 布団に包まって彼女が背を向ける。

 実力行使決定……!

 俺はベッドに潜り込んだ。

「あっちで寝なさい」
「嫌だ。彩さん、パワーちょうだい?」
「嫌。眠いの」

 意味分かったんだ?
 断ったところで無駄だよ。

 俺の手は既に彼女のパジャマの下から進入していた。

「いい子に寝なさ……あっ……!」

 彼女は俺の腕の中で乱れて疲れ果て、気を失うように眠ってしまった。
 俺も彼女を抱きしめて眠りに就いた。

 久しぶりに爆睡した気がする。





「起きなさい、柴田さん6時に来るんでしょ? 朝ごはん作ったから食べて行きなさいよ」

 俺は彼女の声で目を覚ました。

「おはよ、彩さん……ってなんでそんなに離れてるのさ?」

 警戒してる……?
 あの男には警戒心なんてゼロなのに。

 何故か彼女は寝室の入口に凭れ掛かっていた。

「さっさと準備しなさい」

 そう言い残して消えた。
 やっぱり今日も素っ気ない。

「彩さぁん……お目覚めのキスはぁ?」

 当然のように返事はない。
 別に何かを求めているわけではない。
 彼女がいてくれるだけで俺はこんなに元気になれる。

 それを改めて感じていた。

 ボクサーブリーフを穿き、床に落ちているシャツを羽織ってリビングに向かった。
 いい匂いがしている。

 そして……何故か凝視されている。
 落ち着かない……。

「そんなにじっと見ないでよ……」

 さすがに恥ずかしい。

「何言ってんの? 見せ慣れてるでしょ?」

 何か嫌な言い方。
 確かに脱ぐ事は多いけれど……あれも仕事なのだから仕方ない。

 俺は彼女の隣に腰を下ろして抱き寄せた。

「コラ」
「彩さんの匂いだ……」

 不思議だけど彼女の傍にいると癒される。
 ただいるだけなのに……。
 好きな人の傍ってこんなに落ち着くものなんだね。
 離れたくないよ……。

「さっさと食べてシャワー浴びなさい」
「嫌だ。彩さんの匂い洗い流したくない」

 勿体ないじゃないか。

「馬鹿言わないの。仕事に行くんだからちゃんとしなさい」

 お母さんって多分こんな感じなんだろうな……。
 でも、俺は“お母さん”じゃなくて“彩さん”がいい。

「じゃあシャワー浴びたらキスしていい?」
「はいはい、どうぞ」

 彼女は流すように適当に答えて食事を開始した。

 いいって言ったね?
 本当にしちゃうからね?

 俺は携帯でスケジュールを確認しながらパンを齧った。
 来週の予定を見て、携帯の画面をスクロールする指が止まる。

 また会えないのか……。

「彩さん」
「ん?」
「俺……来週から海外ロケ」
「行ってらっしゃい」

 それだけ?
 もっとないの?

「……週末来てもいい?」
「どういう理屈よ?」
「充電させて?」

 心なしか彼女の顔が赤みを帯びた。
 意味が分かったらしい。

「週末云々よりもさっさと食べて行く用意しなさい」

 赤い顔してるのに俺の話を流すんだ?
 でも……駄目って言わなかったから来ちゃうもんね。
 明後日、明後日♪





 テレビが午前6時を知らせた瞬間インターホンが鳴った。
 相変わらず時報のような人だ。

「柴田さん来たわよ」

 彼女が洗面所にいる俺に声を掛ける。

「彩さん、約束は?」
「何か約束した?」

 ……え?

 彼女は平然と訊き返してきた。

「風呂上りのキス。まだしてもらってないんだけど?」
「記憶にないわ」

 マジで?
 いいって言ったのに。
 ズルイよ……。

「おはようございます」

 柴田さんはインターホンを押す事なく部屋に上がり込んで来た。

「預かり物は洗面所にありますよ」

 預かり物って……俺は荷物?

 柴田さんと彼女がなにやら小声で会話をしている。
 悔しいけれど聞こえない。

「海。早くしなさい、時間ないわよ」

 洗面所に顔を出した柴田さんが開いたままの扉をノックしながら笑顔で言った。

「分かってる、焦らせないでよ」

 髭剃ってるのに……顔怪我したら困るじゃん。

「早く早く早く早く!」
「柴田さぁん?!」

 楽しんでるでしょ……?!

 柴田さんは何だかご機嫌だ。
 昨日旦那さんに会えたのかな?

「昨日は旦那さんと水入らず? アレ喜んでくれた?」

 柴田さんはニッコリと微笑んだ。

「馬鹿笑いしてたわよ」

 旦那さんの話をする時の柴田さんは本当に綺麗だ。
 恋する女は綺麗だ、って誰かが言っていたけど……本当にそうなんだなぁって柴田さんを見ていると実感する。

 俺はリビングに戻って鞄を抱えた。

「じゃ、また明後日来るね。キャンセルは聞かないから」

 柴田さんが玄関に向かったのを確認して俺は彼女の腕を掴んで引き寄せ、唇を重ねた。

「約束だもんね」
「……馬鹿。柴田さんに見られたらどうすんのよ?」

 彼女が真っ赤な顔で睨みながら小声で言った。

「別に……? 見られちゃ駄目なの?」
「恥ずかしいじゃない」
「俺がここにいる時点でそれ以上の事してるってバレバレなんだけど?」

 彼女の鉄拳が鳩尾に入った。

「さっさと出て行け!」

 柴田さんが驚いて振り返った。

「海……?」
「今行く……」

 俺は腹を押さえながら柴田さんを追い掛けた。
 最近柴田さんに呆れられてる事が多いような気がする。

 ほら、今も呆れ顔だ……。





 彼女に会ったお蔭で3日間の撮影は快調。

 俺ってどれだけ単純なのさ?

 “可能性はゼロじゃない”
 たったそれだけでこんなに喜んでいる。

 でも、それだけ好きだという事なのだ。
 だから俺は今の単純な自分を恥ずかしいだなんて思わない。

「海、ニヤけ過ぎ」

 柴田さんが苦笑していた。
 正面に座ってるインタビュアーは不思議そうに俺を見ている。

「何かいい事あったんですか?」
「単なる思い出し笑いです」

 俺は仕事モードに切り替え小さく微笑んだ。
 正面にいるインタビュアーが俺の微笑みに気付いたのかは分からないけれど。

「“思い出し笑いはスケベな証拠”って昔聞いた事ありますよ」
「男は皆スケベですよ」

 柴田さんが背後で呆れていた。

 今日は彼女に会える。
 そう思うと顔は緩みっぱなし。
 このインタビューが終わればあの店に行ける……。

 俺は周囲が驚くほどにレアだと言われる微笑を振り撒いていた。





 祥平にメールを入れて俺は携帯をジャケットのポケットに突っ込んだ。

「海、怪し過ぎ」

 柴田さんが車に乗り込もうとした俺の後頭部を車のキーの先端で鬱陶しいくらいに突いてきた。

「仕方ないじゃん」
「何が仕方ないよ? 週刊誌に撮られるわよ」

 撮られる?

「あんたがあんなにニヤニヤしてたら怪しいと思うのは当然でしょ? ちゃんと望月 海の仮面被っておかないと彼女巻き込むわよ?」

 浮かれ過ぎていた俺は柴田さんの言葉に動揺した。

 彼女を……巻き込む?
 それだけは避けなければいけない。

「気合入れろって言ってんのよ、早く乗りなさい」

 柴田さんが固まっている俺のケツを蹴った。

 いくらパンツスーツだからって……。
 それ以前に俺俳優なんだけど?
 高級商品の俺にこんな扱いが許されるわけ?

 柴田さんを睨んだが、彼女は全く動じる事なく車のスライドドアを閉めた。
 危うく挟まれそうになった俺は慌てて中へと移動する。

「俺の事こういう扱い方すんの柴田さんだけだよね」

 運転席に乗り込んだ柴田さんはフフッと笑った。

「お尻突き出したまま固まってるあんたが悪いのよ。大体あんたは甘やかされ過ぎよ。私や彩さんみたいな扱いされるのもいいんじゃない?」
「嬉しくないけどね」
「嬉しいくせに」

 柴田さんはクスクスと笑いながら車を発進させた。

 俺、Mじゃないよ……。
 何か勘違いしてない?







      
2007年11月09日

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