大好きな彼女
― 11 ―
俺はいつものように裏口から店内に入った。
「お、来たな」
祥平は俺の顔を見て微笑んだ。
いつも笑顔で迎えてくれるけれど、祥平にも迷惑を掛けまくってるなぁ。
大抵この店に来る時は落ち込んでいるし、気を遣わせちゃってるんじゃないかな?
そんな気がしてならない。
祥平の背中を見ながら溜め息を吐いた。
「何、溜め息なんか吐いてんだよ」
座敷の襖を開けて祥平が振り返る。
「俺が来るの、迷惑じゃない?」
座敷に上がってから俺は祥平に尋ねた。
「何言ってんの?」
祥平が顔を顰める。
その顔は若干怒りを含んでいるようにも思えた。
「迷惑なら最初から来いなんて言わないし、来るって言われたら断る。俺、そういうの遠慮しないし」
確かに。
座布団の上に腰を下ろして、帽子と眼鏡を外した。
「ごめん、忘れて」
「忘れた」
祥平は笑顔で俺の頭をクシャクシャと撫でた。
「何か言われたのか?」
「ううん、俺が浮かれてるから釘刺されただけ」
「ま、彩ちゃん見て元気出せよ。いつものでいいな?」
「うん」
祥平はいつものように微笑んで座敷を出て行った。
顔を上げると、彼女の姿が見えた。
でも……いつもと違う。
なんで2人なのさ?
他の奴等は?
どうしてよりによってその男と2人っきりなのさ?
名前なんか覚えてないけれど、あの顔は覚えている。
イタリアで彼女を口説いていた男だ。
「ほい、ビール」
祥平がビールを持って来た。
「あ、機嫌悪くなってる」
祥平が苦笑した。
どうして不機嫌なのかも分かっているらしい。
「祥平、あの2人ちょっと呼んでくれない?」
「はぁ?」
「呼んで来てよ」
彼女も彼女だ。
俺の事は警戒するくせに、どうしてあいつには警戒心ゼロなわけ?
納得できない。
祥平は大きな溜め息を吐いて座敷を後にした。
男は何が楽しいのか大爆笑している。
会話は聞こえなかったので内容など分からないが、彼女が楽しそうなのだけは確かだ。
どうしてそんな奴に笑顔を向けるのさ?
俺といる時はいつも不機嫌そうなのに。
やっぱりそいつの事……好きなの?
「特製春巻きと麻婆豆腐お待たせしました」
祥平が2人のところに料理を運んで行った。
小声で話してるらしく、祥平の声は聞こえない。
男は不思議そうに彼女と顔を見合わせた。
見つめ合わないでよっ!
俺は握っていた割り箸を折って男を睨んだ。
そして2人は鞄を持って祥平と一緒に座敷にやって来た。
「彩さん、なんで2人で飲んでんのさ?」
俺を見た彼女は呆れた顔をしていた。
「嫉妬か坊や?」
男が彼女の肩を抱く。
「彩さんに触んないでよ」
「羨ましいだろ?」
返す言葉もないほどに図星。
男は俺を見下すように微笑んだ。
俺のものとでも言いたいわけ?
「何で2人っきりなのさ?」
「デートだから」
デ……デート?!
そんなの受けたの?!
「伊集院君」
彼女が男を睨んで肩に回した手を払った。
「まったく……皆遅れて来るだけよ」
溜め息を吐きながら彼女が答える。
その顔は呆れ気味。
柴田さんみたいだ。
「結構余裕ないんだな、お菓子野郎」
お菓子野郎って何さ?
男が思い出したように笑い出す。
「彩さん、この人イカレてるの?」
こんなののどこがいいのさ?
不気味じゃん……。
「普通ありえないでしょ、お菓子の詰め合わせなんて」
お菓子の詰め合わせ……?
それ……って。
「なんで知ってんのさ?」
「彩ちゃんから聞いたからに決まってるだろ?」
そりゃそうだ……。
でも、なんで話すのさ?
どこで話したのさ?
俺の顔を見ながら男は更に笑う。
絶対おかしいよこいつ……。
「彩ちゃん、席戻ろう。春巻き冷えちゃうよ」
「あ、うん」
男は彼女の手を掴んで席に戻って行った。
手なんか繋がないでよっ!
なんで嫌がらないのさ?!
俺は苛々しながら彼女の携帯にメールを送った。
彼女はすぐに気が付いて携帯を開いた。
表情は髪の毛が邪魔で見えない。
「彼から?」
「え? あっ……いや……」
なんで否定すんのさ?
彼じゃないって?
そんな細かい事否定しなくたっていいじゃん。
適当に流しなよ。
それともソイツには勘違いされたくないの?
「結構ショックだったりして」
「え?」
「そんな顔されると凹むよ」
「なんで?」
「俺マジだから」
あぁぁぁああ!! ムカつく……っ!
俺は彼女の携帯を鳴らした。
『もしもし?』
「何口説かれてんのさ?」
気付いてないなんて言わないでよね。
『は?』
……マジっすか?
「鈍いよ彩さん、鈍過ぎ。その目の前の男に代わって」
彼女が顔を上げて男の顔を見た。
何で困ってんのさ?
『代われって……』
『俺? もしもし?』
こんなやり取りだけでも腹が立つ。
「あんた何考えてんのさ? 彩さんは俺のだって言ったじゃん」
『は?』
「口説かないでって言ってんの」
『あぁ聞こえてたの?』
「あんた男がいる女が好きなの?」
なんで彼女なのさ?
あんたみたいな男なら女の5人や6人いたっておかしくないでしょ。
『そういう環境の方が燃えるよ。実際、会社にも君以上の強敵がいるからね』
「強敵? 強敵って誰さ?」
『さぁ?』
こいつ性格悪っ……!
「彩さんだけは譲らないよ」
『でも、結局は彼女次第でしょ?』
捨て台詞のような言葉を吐いて男は一方的に電話を切った。
ムカつく〜!
俺は男をミラー越しに睨み付けた。
男が身体を乗り出し、彼女の傍で何かを囁いている。
途端に彼女の顔が真っ赤になった。
口説くなって言ってんのに……!
あいつ、わざとだ。
絶対俺に見せ付けている。
根性悪!
俺は柴田さんに電話して、初めて店の正面から出た。
会計はいつものように祥平に頼んだけれど、どうしてもあの男に一言言ってから帰りたかった。
だから、あいつの背後でわざと小銭を落としてしゃがみ込んだ。
彼女が“何してんのよ?”と言うような目をしていたけれど。
「これ以上口説くなら彩さんに会社辞めてもらう事も考えるから」
通路側に座る男に小さな声で言った。
「君にそこまでの権限はないんじゃない?」
男は見下すように微笑んでそう言い返してきた。
何、その勝ち誇ったような顔!
本当ムカつく……!
「あんた性格悪過ぎ。あんたみたいな奴大嫌い」
「君に好かれたいなんて思ってないよ」
男はすぐ傍にあった100円玉を俺の掌に乗せて微笑んだ。
「安心してよ、一生好きになんかならないから」
どうして彼女がこんな奴を好きなのか分からない。
俺は苛々しながら柴田さんの待つ駅前に向かった。
「随分機嫌悪いじゃない」
車に乗り込んだ俺に柴田さんが言った。
サイドミラーで見てたのかもしれない。
「ムカつく奴に会っちゃったからね」
溜め息を吐きながら背凭れに身体を預けた。
楽しそうな彼女の顔を思い出し、一層気分が滅入っていく。
「なんで彩さんはあんな男が好きなんだろ……」
車が走り出して暫くしてから独り言のように呟いた。
「海……今なんて言った?」
聞こえたの?
こんな事確認して欲しくないんだけど?
「彩さんはなんであんな男が好きなのかな? って思っただけだよ」
口にするだけで腹が立つ。
「あんな男って?」
「会社の男だよ。彩さんはいつもあいつの前で笑ってる。今日だって真っ赤な顔しちゃってさ」
彼女が分からない……。
俺の事何とも思っていないならはっきりと言って欲しい。
あんなのを見せ付けられるのは結構キツイ。
「海……大きな勘違いしてるわよ」
勘違い……?
「何さ、それ?」
「彩さんその男の事何とも思ってないわよ」
「なんで分かるのさ?」
どうして言い切れるのさ?
彩さんでもないくせに。
「う〜ん……言わないでおこうと思ったんだけどなぁ……」
柴田さんはそう言いながら流していたラジオを止めた。
「私、彼女が研修から帰って来た日に会ってるのよ」
初耳だ。
「何それ?」
「あんた落ち込んで使い物にならないし、女同士で話したかったし」
「何を話したのさ?」
「それは教えないわよ。聞きたきゃ本人に訊きなさい。とにかく、誰だか知らないけど彼女がその男に惚れてるなんて事はないわよ」
「ズルイ」
「女にも色々と事情があんのよ」
事情って何さ?
「面白くない」
「私は面白いわ」
柴田さんがこういう言い方をした時は何を言っても、酔わせても口を割らない。
俺は膨れっ面のまま目を閉じて短い間眠った。
「海、着いたわよ」
彼女のマンションの前に車を停め、柴田さんが俺を起こした。
仮眠しても気分はすっきりしないままだ。
「海、前に“彼女はあんたを嫌ってない”って言ったの覚えてる?」
スライドドアを開けた時、柴田さんが尋ねてきた。
「うん……覚えてるよ」
それがどうしたのさ?
車から降りて助手席の窓から車内を覗き込む。
柴田さんは助手席の窓を開けて微笑んだ。
「可能性はあるんじゃない?」
何を根拠に?
「その自信、どこからくるのさ?」
「あんたの倍生きてるんだから経験上からくるに決まってるでしょ?」
当てにならないじゃん……。
「もういいよ」
俺は車に背を向け、エントランスに向かった。
「彼女から聞いたのよ」
柴田さんは呆れたように言った。
「それ……本当?」
彼女がそう言ったの?
俺……嫌われてない?
「まったく……面倒臭い子ね」
柴田さんはそれだけ言い残して車を発進させた。
俺は真っ赤な顔で柴田さんの乗った車を見送った。
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