大好きな彼女
― 13 ―






 彼女がシャワーを浴びに行ってから、俺はリビングで珈琲を淹れていた。

 1人の時間は退屈だ。
 暇を持て余し、テレビのリモコンを手にとった時、すぐ傍で彼女の携帯が鳴り出した。

 彼女はまだ出てこない。
 背面ディスプレイを見ると“井守 澄香”という文字。

 女友達か……。

 内心ほっとしながら携帯を眺める。
 少しの間鳴って、留守番電話に切り替わったらしく音が止まった。

 そういえば彼女から友達の話とか聞いた事ないな……。

 携帯を眺めながらそんな事を考えていたら再び携帯が鳴り出した。
 またも“井守 澄香”だ。

 急用なのか?

 俺は少し考えて、用件だけでも聞いておこうと彼女の電話の通話ボタンを押した。

『もしもし、彩?』

 女の声だ……って当然か。

「あ、ごめんね。彩さん今風呂に入ってて出れないんだ。2回も掛けてきたんだから急用だよね? 用件だけ聞いて伝えとくけど……?」
『え? あなた誰? コレ彩の携帯よね? 男いるなんて聞いてないんだけど?』

 男いるなんて聞いてない……?

 複雑な心境だ。

 彼女に恋人だと認められていない事は分かっている。
 分かっているけれど……。

『あなた、何君? 彩とはいつから付き合ってるの?』
「俺、海って言います。彩さんとは最近知り合ったばかりなんだけど……?」
『ねぇ、海君。そこどこ? ラブホ?』

 何……この人?

「彩さんの部屋だけど?」
『へぇ……珍しい。彩ってそう簡単に男を部屋に入れないんだけどなぁ……』

 え?
 初めて会った日だってあっさり入っちゃったよ、俺?

『彩から告白するわけないし、海君から告ったの?』

 何、質問攻め?

「うん、そう。俺の方が惚れて猛アタックしてる」
『進行形?』
「うん。信じてくれないんだよね彩さん」
『あの子カタイからねぇ』
「ずっと片想いしてて、偶然話す機会があったから勢いで家まで押しかけて襲っちゃったんだ」

 電話の向こうから大笑いが聞こえてきた。
 えらくテンションの高いオネエサンだ。

『襲っちゃったんだ?』
「うん。好きな人が目の前にいたら抑えなんか利かないでしょ?」
『海君は年下っぽいね?』
「そうだね、下だよ。でも関係ないでしょ?」
『海君は気にしてなくっても多分彩は気にしてると思う。あの子そういう子だから』

 そういう子ってどういう子さ?

『でも……安心した。海君は本気なんでしょ?』
「勿論本気だよ。信じてもらえなくても……さ」

 信じてもらえるまで告白し続けるつもりだ。

『海君、今度会おうよ。私海君に会ってみたい!』

 そっか……彼女が何も教えてくれないなら彼女の友達から聞き出せばいいのだ。

「うん、いいよ。都合が合えばいくらでも」
『本当? やった!』
「オネエサンも彩さんの話たくさん聞かせてね」
『それが目的かぁ』
「勿論。彩さんの友達に会ってみたいってのもあるけどね」
『私達は大親友よ。彩の恥ずかしい話も何でも訊きたい事教えてあげる♪』
「本当? 約束だよ?」

 井守 澄香サン……ね。
 覚えとかなきゃ。

 頬が緩んだ時、背後で物音がした。

 振り返るとそこには風呂上りの彼女が驚きながら立っている。

「ちょっ……!」

 あ、怒ってるっぽい……。

「あ、彩さんが来たから代わるね。彩さん、井守さんだって」
「勝手に電話に出ないでよ! 何考えてんの?!」
「1回目は出なかったんだけど、2回目が鳴ったから急用かなと思って」
「だからって……!」
「早く出てあげなよ」

 携帯を差し出すと思いっきり睨まれた。

 確かに勝手に出たのは悪いとは思うけれど……でも急用だと思ったからで……疚しい気持ちは微塵もなかったわけで……。
 井守さんと話したのがまずかったのかな?

 彼女はかなり動揺している。

「彩さん、怒ってる?」
「怒ってる」

 ……だよね。
 どう見ても怒ってるよね……。
 彼女を怒らせてばっかりだな……。
 なんでだろう、いつも上手くいかない。

「……もしもし? 何話してたのよ? ……そうよ」

 彼女は急に振り返り俺を睨んだ。

「彩さん怒らないでよぉ……」

 俺は背後から彼女の腰に手を回し、唇を彼女の頭に押し付けた。

 シャンプーの匂いがする……。

「はぁ?! ちょっとあんた勝手に会う約束したの?!」

 彼女が勢いよく顔を上げ、彼女の後頭部がまるで狙ったかのように俺の顎にヒットした。

 痛っ……!

「だって彩さんの友達に会ってみたいから……駄目?」
「駄目っていうか……自分の立場分かってるの?!」
「彩さんの友達なら安心でしょ? それとも信用できないような友達?」

 大親友って言ってたよ?

 彼女は器用に俺と澄香サンと会話してる。
 ……と言っても、俺との会話のほとんどは聞き流されてるみたいだけれど。

「ある種ヤバイ人種なのは否定しないわ……で? 用事って何だったの?」

 ヤバイ人種って何さ?
 何の話してるのさ?

 彼女達の会話は聞き取れない。
 でも、彼女が凄く困った顔をしている。

 こんな顔させたいわけじゃないんだけどな……。

「今晩? 何で? ……今日帰るんでしょ?」

 彼女が俺を見上げる。

「なんで? 帰らないよ?」
「準備は?」
「柴田さんがやってくれるから」

 彼女は顔を顰める。

「あんたって本当にお子様ね。自分の用意くらい自分でしなさいよ」

 そう言われても……。

「柴田さんがセンスないって言って服とか選ばせてくれないんだから仕方ないでしょ?」

 俺のせいじゃないよ……。
 俺だって自分でやってたけれど、柴田さんに全部却下されてやり直しになるんだもん。
 せっかく準備しても柴田さんのチェックが入って全部入れ直すから2度手間になっちゃうし……。
 それよりも、今日帰るのか訊いてきたのはなんでさ?

 あ……。

「彼女来るの?」

 早速澄香サンに会えるのかな?

 俺は彼女に尋ねた。

「澄香……今日は……だから今日は……!」

 彼女が慌てたと思ったら、また睨まれた。

「あんたが勝手な事言うから来る事になっちゃったじゃない!」

 来るんだ?

「駄目だった? 俺は知らない彩さんをもっと知りたいんだけど?」

 彼女は困った顔をしながら俺の腕からすり抜けてキッチンに向かった。

 だって貴女は何も教えてくれないじゃないか。
 もっともっと貴女の事を知りたいのに。
 貴女が教えてくれないんだから友達さんに教えてもらうしかないじゃないか……。

 キッチンに立つ彼女を見つめながら大きな溜め息を吐いた。

 ねぇ、どうしたら信じてくれるのさ?
 本当に……本当にどうしようもないくらい貴女が好きなのに……愛してるのに。





 午後3時過ぎ、俺達は遅い昼食を済ませて部屋で寛いでいた。

「彩さぁん、いい加減機嫌直してよぉ……」

 彼女のご機嫌斜めな状態は続いていた。

「嫌」

 俺に背を向け、テレビを見ながら彼女は珈琲を飲んでいる。

「彩さん、ごめん。でも、俺もっと彩さんの事知りたいんだ」

 俺は背後から彼女を包み込んだ。

「珈琲が零れる、放しなさい」
「嫌だ、彩さんが許してくれるまで放さない」

 彼女はさっきから視線さえ合わせてくれない。
 そんなに嫌だったのかな?

「あ、望月 海……」

 テレビ画面に俺の姿が映し出されていた。
 望月 海の仮面を被った俺……。
 デジタルビデオカメラのCMだ。

「本物がここにいるんだけど?」
「こっちの方がいい」

 彼女にとっては何気ない一言だったのかもしれない。

 だけど、その言葉だけは聞きたくなかった。
 たとえ冗談だったとしても。

 貴女も俺を見てくれないの?
 貴女だけには本物の俺を見て欲しいのに……。

「彩さんひどい……」

 笑って誤魔化そうとしたのに声が震えた。

 予想以上に辛い。
 刃物で胸を突き刺された気分だ。
 何ともないフリさえ出来ないなんて……。
 こんな俺の顔見ないで……。

 俺は彼女の耳朶を甘噛みした。

「あっ……」

 彼女の身体が小さく震える。

「彩さん……好きだよ、本当に大好き。彩さんも俺だけを見て?」

 彼女の手からカップを抜き取り、テーブルに置いた。
 そして後ろから彼女の顔を覗き込むように唇を塞ぐ。

「彩さん……」

 キスを繰り返し彼女を組み敷いた。

「彩さん、目の前の俺だけを見て……?」

 彼女の眼鏡を外し、唇を、彼女の瞼や鼻先、頬から首筋、鎖骨へと滑るように這わせる。

「もう……駄目っ……」

 彼女は弱い力で俺の身体を押し退けようとしていた。

 貴女の目の前にいる、今の俺が本物なんだよ。
 目の前の俺だけを見てよ。
 テレビの偽者なんかがいいなんて言わないでよ……。

 彼女の胸のボタンを外し始めると、続きを阻止するようにインターホンが鳴った。

「放してっ……澄香が……」

 彼女は俺の胸を押し離し、眼鏡を掛けてエントランスのロックを解除した。

「もう1時間位遅かったらよかったのに……」

 もう1時間遅かったら彼女と身体を重ねる事も出来たのに……。

 彼女はその意味を理解していたようで真っ赤な顔をしながら俺を睨み付けた。

「残念……」

 もう1時間遅かったらこの落ち込んだ気分もどうにかなったかもしれないのに。
 嫌な気分になる事は想定してたけれど、こんなにショックを受けるとは考えていなかった。
 それほどに彼女の“こっちの方がいい”という言葉が俺の心を抉
(えぐ)っていた。

「あんた……本当に会うの?」

 彼女が胸のボタンを嵌めながら確認するように尋ねる。

「うん、会いたい」

 気まぐれで会いたいと言ったわけではない。

「彩さん、好きだよ」

 好きだから会いたいんだ。
 知らない貴女を知る為に……。

 俺は彼女の髪を梳いて、項
(うなじ)に手を添えて唇を重ねた。

「こんなに愛しいと思った女
(ひと)は今までいなかった」

 彼女の眼をじっと見つめながら頬を撫でる。

「信じて……こんな気持ち、俺も初めてなんだ」

 彼女を抱きしめると、彼女が俺の背中に手を回してきた。
 ベッドの上以外では初めてだと思う。

「信じて……俺には彩さんだけだから……彩さん大好きだよ。ずっと俺の傍にいてよ」

 本当の俺を見てよ……。

 玄関のインターホンが鳴った。
 彼女は慌てて俺から離れ、玄関へと向かう。

 背中に彼女の手の感触が残っていた。

「あ、玄関から見えないところにいなさいよ?」

 彼女はいつものような素っ気なさでそう告げた。

「ん、分かった」

 彼女はいつも冷静だ。
 俺なんかに翻弄される事もないのだろう。

 芸能人だという事を忘れてくれない。
 ただの望月 海斗という男を見てはくれない……。
 芸能人である前に1人のつまらない男なのに。

 改めてそれを感じて小さな溜め息が漏れた。

「やっほーっ」

 彼女が玄関の扉を開けた瞬間、テンションの高い声が聞こえた。

 電話で聞いたあの声の人だ。
 井守 澄香サン……。

「あんた元気ね?」

 彼女の声は俺に話し掛ける時のように冷めた声だった。

「元気よ? 可愛い彼氏に会えるんだもん、楽しみで楽しみで♪ 手土産も大量に持ってきたから♪」

 お邪魔しますと言う言葉もなく、澄香サンは上がり込んで来た。
 そして……。

えぇぇえ?!

 俺の顔を見た瞬間、澄香サンは持っていたビニール袋を床に落とした。

 缶ビールが床に転がる。

 あぁ……暫く飲めないじゃん。
 開けたら大変な事になっちゃうよ、コレ?

「彩! こ……これっ望月 海?! どういう事?!」

 澄香サンも俺を知っているらしい。

「見ての通りよ、言ったでしょ? ある種ヤバイ人種だって」

 澄香サンは真っ赤な顔で俺を凝視していた。
 さすがにちょっと恥ずかしい……。

「挨拶しなさい、あんた会いたかったんでしょ?」

 彼女が呆れた顔で俺を見ていた。
 正しくは俺と澄香サンを見ていた、だろう。

 どうやら彼女は俺と同等の扱いを受けている人らしい。

「初めまして、望月 海です」

 軽く会釈して簡単に自己紹介をすると、真っ赤な顔をした澄香サンが彼女の背中をバシバシと叩いた。
 音だけでも充分に痛そうだ。

「い……痛いっ……!」

 やはりと言うかなんと言うか、予想を裏切らず痛みに顔を歪ませる彼女の手を引っ張って抱き締める。

「彩さんを苛めないでくれません?」

 彼女を叩く澄香サンに腹は立つけれど、彼女の親友なのだから怒る事も出来はしない。

「あ……ごっごめん! ちょっとっていうか、かなり動揺しちゃって……!」

 澄香サンが真っ赤な顔で手を振る。
 ブンブンと聞こえる音がその力の強さを物語っていた。

 絶対に叩かれたくない。

「ちょっと……離して。動けないでしょ?」

 迷惑そうな彼女の顔を見て渋々と解放し、床に腰を下ろす。

「澄香、あんたも挨拶位しなさいよ」

 床に転がった酒を掻き集め、彼女はキッチンに向かった。

「い……井守 澄香です。彩とは高校からの付き合いでもう15年友達やってます……」
「高校から? 15年も?」

 澄香サンは知らない彼女をたくさん知っているに違いない。

「高校生の彩さんってどんな感じだったの?」
「え? 彩は……今と大差ないかもね……」
「じゃ、昔から人気者だったの?」
「人気者ねぇ……う〜ん、まぁそうかも。彩の周りにはいっつもたくさん人がいたからなぁ……」

 澄香サンも彼女が好きなのだろう。
 昔を思い出す澄香サンの顔は楽しそうだ。

 俺は電話の時とは逆に澄香サンを質問攻めにした。

 知らない彼女をもっと知りたい。
 ただそれしか頭の中にはなかった。

 気が付けば陽はどっぷりと暮れ、時計を見れば午後9時を指していた。

「あんた明日仕事でしょ? さっさとお風呂行って寝なさい。肌荒れるわよ?」

 彼女が俺に視線を移す。
 澄香サンは酒に弱いのか、ただ飲み過ぎたのか分からないけれど……真っ赤な顔をして呂律も回っていない状態だ。
 機嫌がいいのは構わないけれど、口説こうとするのはやめて欲しい。
 酔っ払い相手だからと簡単にあしらってはいるものの、恐いものがある。
 気を抜いたら食われそうだ。

「澄香、あんたもそろそろ帰りなさい。また来ていいから」

 彼女が澄香サンの肩を叩くと凄い眼で彼女を睨む。
 さすがに彼女も狼狽えたようだ。

「海よ? もちうき 海! なんれ海があんらり惚れらのろ?!
(海よ? 望月 海! なんで海があんたに惚れたのよ?!)
「それ……私も疑問だし……」

 なんで疑問なのさ?

「彩さんだからだよ。つい何でも話しちゃうし、時々無性に会いたくなるし、見てるだけで安心しちゃう……彩さんの代わりなんて誰も出来ない。澄香サンだってそう思うでしょ?」

 それ以外に言い様がないのだ。

「海君はぁ、彩りぞっこんらろれ〜
(海君は彩にゾッコンなのね〜)
「そうだよ、俺の基準は全て彩さんだから」

 俺が彼女に視線を移すと思いっきり顔を逸らされた。

 なんでそんなに俺を拒絶するのさ?
 そんなに俺の事嫌がらないでよ……。

 俺は今日何度目か分からない小さな溜め息を密かに漏らした。






      
2007年11月11〜12日

背景画像 : Abundant Shine 様
MENUボタン : ウタノツバサ 様

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