大好きな彼女
― 15 ―






 俺は誕生日の夜、日本の地を踏んだ。

『成田に着いたよ。このまま彩さんちに直行してもいい?』

 飛行機から降りてすぐに彼女にメールを送った。
 誕生日なんて気にしていないけど……彼女に会いたかった。
 ただ、それだけだ。

 今日は金曜日。
 彼女はあの男達と祥平の店にいるはず。

「海、何してんのよ?」

 柴田さんが振り返る。

「彩さんにメールしただけだよ」

 どうせ返ってこないメールだけどさ。
 でも、やっぱり……今日だけは断られたくないなぁ。

 預けた荷物を受け取りに向かう途中、俺の携帯が鳴った。

 この音は……彼女だ。
 鳴ったという事は断りのメールだろうか?

 俺は溜め息を吐きながら携帯を開いた。

『了解』

 そのメールを見て顔が綻ぶ。
 たった一言だったけれど嬉しかった。

「まったく……なんて顔してんのよ」

 柴田さんは呆れた顔で俺を見ていた。

「彼女からメールが来るなんて思わなかったから嬉しくてさ。それも断りのメールじゃないんだよ? これを喜ばない男がいるわけないでしょ?」
「百面相も面白いけど、今のあんたを見てるとこっちが恥ずかしくなるわ」
「柴田さんだって今日会えるんでしょ?」

 柴田さんが珍しく真っ赤な顔をした。
 狼狽える柴田さんはレアだ。

「な……なんで知ってんのよ……?!」
「昨日電話してるの聞こえたからさ」

 今の柴田さんを見てるとこっちも恥ずかしくなるよ。
 俺は苦笑した。

 空港の係員に案内された出口には取材陣が押し寄せていた。

 俺は望月 海の仮面を被って取材陣の中に足を踏み出す。
 フラッシュの洪水……ファンの歓声。

 皆どうやって俺が帰国する日を調べてるんだろう?
 いっつも不思議なんだよね。
 取材陣は色んな方向から調べられるだろうけど……やっぱインターネットって凄いんだなぁ……。

 鬱陶しいと思っていた筈なのに小さく手を上げて歓声に応える。
 進む足取りは軽い。

 踏み出す一歩一歩が彼女に近付いていると思えるから。





 彼女のマンションの前で車が停まった。

「あら、今日飲みの日じゃなかった?」

 柴田さんが彼女の部屋を見上げて呟く。

「金曜だもんね」
「電気点いてるわよ」

 時計を見ると午後10時。

「こんなもんじゃない? 9時頃に退散したらいてもおかしくないよ」

 柴田さんはクスクスと笑った。
 意味不明だ。

「じゃ、明後日の14時に迎えに来るからね」
「え?!」

 明後日……?!

「ゆっくりさせてあげるって言ったじゃない」

 言ってたけど……。

「いいの?」
「仕事したい?」
「嫌だ」
「でしょ?」

 柴田さんは後部座席のロックを解除してスライドドアを開けた。

「ゆっくり身体を休めなさいよ」
「無理だと思う」

 柴田さんの溜め息が聞こえた。

「彼女に無理させない程度にね」
「保障できない。っていうか、柴田さんも腰痛に注意してね。柴田さんこそ無理しない方が……」
「海っ! 仕事させるわよ!」

 柴田さんが真っ赤になっているのは容易に想像できる。
 心当たりがあるだけに言い返せないのだ。
 俺はクスクス笑いながら助手席の窓から柴田さんの顔を覗いた。

 やっぱり……。
 柴田さんの顔は真っ赤だった。

「柴田さん、お疲れ様。ゆっくり休んでね」

 笑いながら柴田さんに手を振ると返ってきたのは鋭い視線だけだった。
 スライドドアが閉まり、柴田さんは逃げるように車を発進させる。

 ありがとう、柴田さん。

 柴田さんの乗ったア●ファードを微笑みながら見送り、曲がり角を曲がったのを確認してから彼女の部屋の鍵を取り出した。





 彼女が部屋で待っていてくれるのは初めてだ。
 嬉しさで進む足も早く、そして軽い。

 インターホンを鳴らしてから扉を開けた。

「ただいま、彩さん」

 玄関に出迎えに来てくれた彼女が俺をまじまじと見つめる。

……あ、焼けたからかな?

「随分焼けたのね」

 ……やっぱり。

「脱ぐと情けないんだよ、ブリーフ焼けで」

 彼女が噴き出す。
 想像したのだろうか?

 見たかった彼女の笑顔……。

「笑わないでよ……」

 わざと拗ねた顔をして彼女を見下ろす。

「お帰り」

 “お帰り” 

 この言葉を聞くのはどのくらいぶりだろう。
 彼女の声で聞けるなんて思わなかった。
 俺は彼女を抱きしめた。

 求めていた彼女のぬくもり。
 心も身体も満たされていく……。

「お風呂行ってきなさいよ。夕飯作っちゃうから」

 腕の中で彼女が言った。
 ご飯の炊ける匂いがしている。
 準備してくれていたんだと思うと嬉しかった。

「うん。で、一緒に飲もうよ。いっぱい話したい」

 彼女を解放してリビングに向かった。

 ソファの脇にボストンバッグを置き、その中から服と下着を取り出して浴室に向かう。
 キッチンからは彼女の操る包丁の音が聞こえていて心地よかった。

 いつかこれが当たり前になる日が来るのだろうか?
 ……そんな事、考えちゃいけないよね。
 そんな事を望んじゃいけないんだ……。

 お風呂に入った後、久しぶりに一緒に食事をしてビールを飲んで同じベッドに潜り込んだ。

「彩さんの体温を感じさせて」

 貴女に触れられない4週間は辛かった。

 声も聞けなかったら……きっと狂っていただろう。
 そのくらい身も心も彼女を求めていた。

「彩さん、俺の事だけ考えて……?」

 彼女の髪を梳いてそっと口付けた。

 あの男の事なんか考えないで……。

 俺達は1度身体を重ねた後、会えなかった1ヶ月間の話をした。
 出会った人、笑えるNG、スタッフの事、柴田さんの事……。

 でも、さやかサンの話はできなかった。
 多分言う必要もない。

「そういえば……考えてくれた?」
「何を?」

 彼女が顔を上げて俺を見た。

 忘れちゃったの?
 っていうか……聞いてなかった?

「引越しの話」

 彼女が視線を逸らす。
 その表情が冴えない。
 こんな話聞きたくなかったのかもしれない。

 あの男の事……気にしてるの?

「……まだ、嫌」

 拒絶された気分だった。
 心のどこかでは覚悟していたけれど、やっぱりショックだ。

 やっぱりあの男の事……。

「1年経っても私を想ってくれてたら……その時は一緒に住む」

 彼女の言葉に一瞬頭が真っ白になった。

 1年経っても想ってくれてたら?
 そんなの当然だ。
 俺の気持ちはそんなに簡単なものではないし、単純なものでもないし、いい加減なものでもない。

「なんだ……そんな事か。じゃ、来年の今日は引っ越し決定だね」

 自然と笑顔が零れた。
 一緒に住んでくれる。
 たとえ1年先でも、彼女は“OK”だと言ったのだ。

「俺は彩さんしか見えないから。彩さんが俺の気持ちを試したいなら試せばいい。それで彩さんの不安がなくなるならいくらでも試されるよ」

 そんなに簡単に変わるわけがない。
 彼女の顔を窺うと不安そうだった。

 それって……俺が心変わりするかもって思ってるの?
 不安になんかならないでよ。

 彼女は小さく頷いた。

 俺は貴女が好きだ……。
 いや、好きなんて簡単なものじゃない……愛してる。

 ……ん?
 でも……なんか変じゃない?

 俺の心の隅で小さな疑問が生まれた。

「俺には彩さんしかいない。傍に居るのは彩さんじゃなきゃ駄目なんだ。誰にも代われない、彩さんが待てって言うなら5年だって10年だって待つよ」

 20年だって待っていられる自信がある。

「もう2年半も彩さんだけを見てきたんだから今更焦ったりしないよ」
「に……2年半?!」

 彼女が跳ねるように俺を見上げる。

 なんでそんなに驚くのさ?

「そうだよ、言わなかったっけ?」

 姿を見るだけで……声を聞くだけで満足していた2年半。
 それ以上を望んだりしなかった2年半。

 貴女がこうして俺の傍にいてくれるのならば、何年でも待ってみせる。
 貴女の気持ちが他の誰かから俺に向くまで……。

「2年半の間ずっと彩さんだけを見てたよ……彩さんだけをずっと愛してる」

 俺は彼女を抱きしめた。

「私も……海が好きよ」

 腕の中で彼女の小さな声が聞こえた。
 気のせいではないだろう、多分。

「いっ……今、海って言った? す……好きって言った?!」

 初めて名前で呼んだ?!
 っていうか厳密には2度目なんだけど……海って言ったよね?!

 好きって言った?!
 イタリアで野郎じゃなくて俺を好きって言ったよね?!

 心拍数はMAXまでいったと思う。
 そして体温は高熱の域に達するくらい上昇しただろう。
 血液が沸騰するような音まで聞こえた。

 薄明かりの中でも分かるほどに真っ赤な顔をしていたに違いない。

「言った」

 彩さんが俺の腕の中で笑う。

 夢じゃない?
 俺は……今まで勘違いしてたの?

 確かに柴田さんはあの男の事何とも思ってないと言ったけれど……信用できなかった。
 自分に自信がなかったから。

 彩さんは俺を想ってくれていたの?
 本当にあの男は関係ないの?

 そりゃ……身持ちが悪いと思っていたわけではないけれど……。
 貴女はあの男と一緒だといつも笑顔だった。
 だからあの男が好きなのだと思い込んでいた。

 それが悔しくて……。
 嫉妬で彩さんの本心にさえ気付く事が出来なかったのかもしれない。

「すっごく嬉しいんだけど……寝不足にしていい?」
「嫌」

 即答……。

「せっかく海って呼んでくれたのに」
「どういう理屈よ?」

 いつも通りの彩さんだ。
 やっぱ信じられないかも……。

「好きって言ってくれたのに?」

 彩さんが顔を赤らめ言葉に詰まった。
 俺はそんな彩さんを強く抱きしめて、その額に唇を押し付ける。

「現実だって感じさせて?」

 彩さんの手が俺の背中にそっと回され、ほんわかと背中に彼女の体温を感じる。
 俺は初めて両想いの幸せというものを知った。

「彩さん……愛してるよ」

 俺は柴田さんの言葉も忘れ、何度も何度も彩さんを抱いた。
 彩さんの体力の限界まで求め続けた。





 気絶するように眠って、訪れた朝。

 腕の中で眠る彩さんの顔に纏わり付く髪をそっと除けて眺めていた。

 俺の傍だからこんなに安心して寝ていたの?

『私も……海が好きよ』

 夢じゃないんだよね……?

「彩さん、愛してるよ」

 そっと口付けると彩さんが目を覚ました。

「おはよう、彩さん」

 俺が微笑むと、彩さんも小さく微笑んだ。

「おはよう……海」

 23年間で1番幸せな朝だと思う。

 モノクロだった世界が色鮮やかに変わった。
 不安に押し潰されそうだった昨日、幸せ過ぎて心停止を起こしそうな今朝。

 彩さん、俺はずっとあなたが好きだよ。
 来年はもっと貴女を想ってる。
 再来年はもっともっと貴女を愛してる。
 貴女が俺を嫌っても俺は絶対に貴女を放さない。

 いつもは鬱陶しく感じる外の騒音も今日は感じない。
 聞こえてないわけではない。
 いつものように聞こえるクラクションや鳥の声さえも今朝は幸せな音楽に聞こえる。

 何も望まないと決めていたけれど……。
 貴女と添い遂げたいなんて夢を抱いてもいいだろうか……?
 さすがにまだ勇気はないけれど……いつか口に出して言ってもいいだろうか?

 ちょっとだけ欲張りになった朝、彩さんは俺の腕の中で極上の笑顔を見せてくれた。






― Fin ―





      
2007年11月14日


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