大好きな彼女 続編
その後の2人
第1話






 俺が彩さんと出会ってもう1年になる。
 彼女を見つけてから既に3年。

 昨年、一緒に暮らそうと言ってみたが彼女が1年後なら……と言うので今まで保留となっていた。

 でも、もうすぐその1年を迎える。
 今年に入ってからその日が待ち遠しかった。

 偶然かもしれないけれど、約束したのは俺の誕生日だった。
 だから当然、鍵を受け取ってもらうのも俺の誕生日。
 受け取ってもらえる事が何よりのプレゼントだと思った。

 鍵を受け取るという事は住んでくれるという事。
 俺は隣の部屋のマスターキーを握り締めた。

「あら、その鍵なぁに?」

 柴田さんは目聡く俺の掌の鍵を見つけた。

「これ?  隣の部屋の鍵だよ」
「何でそんな物持ってんのよ?」

 柴田さんにはまだ話していなかった。

「実はさ……去年、彩さんに一緒に暮らそうって言ったんだ」

 柴田さんの顔が曇る。
 当然かもしれない。

「またあんたは勝手な事を……」
「でもさ、1年待てって言われた」
「1年?」
「うん、今度の俺の誕生日がちょうどその日なんだ」

 柴田さんは頬に手を当てながら何かを考え始めた。

「隣の鍵って事は厳密には隣同士って事でしょ?」
「うん、柴田さんの真似しようと思って」

 柴田さんの顔が火を噴きそうなほど真っ赤になった。

 柴田さんと俳優の猪俣さんは夫婦だけれど公には公表されていない。
 俺と同じマンションの7階に隣同士で住んでいるのだが、部屋の中はぶち抜いてあって2部屋は完全に繋がっている。
 猪俣さんがリフォームさせてしまったらしい。
 窓は遮光カーテンにして明かりを漏らさないようにしてると言っていた。
 2部屋の明かりが同時に点くと怪しまれるからだろう。

 何だかんだ言っていても憧れの夫婦だ、柴田さんと猪俣さんは。
 結婚して20年以上経つらしいけれど未だラブラブで、お互いを凄く信頼し合っていて。
 仕事上、離れている時間は長いけれど心は常に繋がっている感じだ。

 猪俣さんの話をする柴田さんは凄く綺麗だ。
 好きな人の話で輝く女性は素敵だと思う。

 彼女も……彩さんもそうだと嬉しいんだけどな。

 もう彼女なしの生活なんて考えられない。
 考えたくない。
 ありえない。





 俺は彩さんの事をあまり知らない。

 知らないけれど、今の彩さんがどんな女性なのかはこの3年で分かっているつもりだ。
 ずっと見つめてきたから。

 あんな空気を纏った女性は初めてだった。
 同じ空間にいるだけで癒される。

「海、今日の帰宅先はどっち?」

 撮影の合間の空き時間、控え室で寛ぐ俺に柴田さんが尋ねた。

「彩さんに訊いてみるから帰りまで待って」
「分かったわ」

 壁に掛かった時計を見上げてセカンドバッグに手を伸ばす。
 今の時間は昼休みだと言っていた気がしたからだ。

 携帯を取り出してアドレス帳を開き、カーソルを移動させる。
 ふと、彼女の名前の下の文字に目が留まった。

 井守 澄香。
 彩さんの高校時代からの親友……。

 彩さんが引っ越してきてくれたら渡したい物があった。
 彼女なら……澄香サンなら色々知っているかもしれない。

 俺は澄香サンの名前までカーソルを移動させて通話ボタンを押した。

『もしもし』

 すぐに聞こえてきた澄香サンの声。

「もしもし、海だけど……分かる?」
『か……海って海君でしょ……?!』

 相変わらず澄香サンの声はデカイ。
 思わず携帯電話から耳を離してしまった。
 電話に耳を付けなくても声が充分に聞き取れる。
 おそらく柴田さんにも聞こえているだろう大きな声。

「う……うん、そう」
『何? どうしちゃったの? 彩と間違えた?』

 確かにすぐ上に彩さんの名前があるけれど、そんなわけないでしょ……。

「訊きたい事があってさ」
『何? 今まで付き合った男の話とか?』

 そんなもの聞きたくないよ。

「彩さんの左手薬指のサイズ知らない?」
『知らないわよ、そんなもん。いくら親友でもスリーサイズとか指のサイズなんて把握してるわけないでしょ』

 即答だった。

 やっぱそうかぁ……。

『知りたいの?』
「うん」
『分かった、調べてあげる。彩のためなら協力するって約束したもんね』
「ありがとう澄香サン」
『ただ、今日・明日ってのは無理よ? せめて半月時間頂戴』

 半月か……。
 間に合うよね……?

「分かった。澄香サンにもお礼考えとくね」
『お菓子の詰め合わせでもいいわよ。じゃあね、仕事中だから切るよ?』

 澄香サンはそう言って笑いながら電話を切った。

 彩さんはいろんな人にあの話してるのかな?
 彼女の周りの人は皆知っている気がする。

 俺は苦笑しながら電話を畳んだ。

「……あ、彩さんに連絡しなきゃ」

 セカンドバッグに入れそうになった携帯を再度引き寄せて俺は彼女に電話を掛けた。

『もしもし?』
「あ、彩さん? 海だけど、今日行ってもいい?」
『別に構わないけど……時間は? 夕飯どうするの?』

 何故か彼女の声は小さい。
 すぐ傍にイタリア野郎がいるのかかもしれない。
 あの男はいつだって彩さんの傍にいるのだから。

 そう思うと無性に悔しくなる。

「多分10時頃になると思う。夕飯は彩さんが食べたいな」
『なっ……』

 真っ赤になった彩さんが容易に想像できる。

「俺食欲旺盛だからおかわりしちゃうと思うけどいい?」
『彩ちゃんどうしたの? 顔真っ赤だよ?』

 イタリア野郎の声がした。
 やっぱりすぐ傍にいたのだ。

「そこにイタリア野郎がいるって事は一緒に食事してるんだ?」
『そうよ、悪い?』

 あ、怒ってる……?
 でも、俺だって面白くないもんね。

「夜、覚悟しといてよね」

 寝かせてあげないから。
 見えるところに印つけちゃうもんね。

「あ、撮影始まるみたい。じゃ夜楽しみにしてるからね。愛してるよ彩さん」

 俺はそう言って電話を切った。

「まだ誰も呼びに来てない筈だけど?」

 控え室の扉に寄り掛かった柴田さんが顔を引き攣らせている。

「なんでそんなに恐い顔してるのさ? 美人台無しだよ?」

 俺は首を傾げながら携帯をセカンドバッグに突っ込んだ。
 そして、鏡の前にある台本に手を伸ばして意味もなく捲る。
 台詞は既に暗記しているので読もうとは思わない。

「もう少し外では気を使って話しなさいよ。誰かに聞かれたらどうするのよ?」
「だって彩さん、あのイタリア野郎と食事してるんだよ? 俺は彩さん一筋だって言うのにさ」

 面白くなくて当然じゃないか。
 自分以外の男との方が一緒にいる時間が長いなんて。

「あのね、海。それは私と海が食事してるのと同じだと思うんだけど?」
「違うよ、全然違う。イタリア野郎は彩さんが好きなんだ。いつも隙を狙ってる」
「嫉妬?」
「悪い? 柴田さんだって若かりし頃はそういう感情持ってたでしょ?」

 そう言った直後、背筋が寒くなった。
 殺気を感じた俺は柴田さんに振り返る。

「若かりし頃ですって……? 私は今でも若いのよ……っ!」

 柴田さんの握り締めた拳が俺の頭を挟むように蟀谷
(こめかみ)に押し付けられた。

「しっ……柴田さん痛いよっ! 暴力反対っ!」

 グリグリと押し付けられ、更に多少捻りを加えた柴田さんの指の骨が俺の蟀谷を攻撃する。
 遠慮など絶対にしないのが柴田さんだ。
 当然俺の頭には激痛が奔る。

「ごっ……ごめんなさいっ! もう言わないからやめて下さいっ!」

 フンッという荒い鼻息と共に蟀谷から柴田さんの手が離れた。
 投げられるように手が離れ、俺は畳の上を転がりながら頭を抑えて唸る。

 柴田さんに年齢の話は禁句だったらしい。
 そういえば昔も向こう脛をヒールで蹴られて苦悶した記憶が……。
 今後は年齢の話は避けよう。

 女性というのは本当に面倒な生き物だと思う。

「望月さん、スタンバイお願いしま……どうしたんですか……?」

 扉を開けたADさんが俺を見て顔を引き攣らせた。
 当然かもしれない。

「あぁ、ちょっと頭痛みたい。さっき薬飲ませたから大丈夫だと思うわ」

 柴田さん、貴女は大物女優だよ……。





「ただいまぁ」

 俺は彩さんの部屋の鍵を開けて部屋に入った。

「あんたの部屋じゃないでしょ」

 何故か不機嫌な彼女。

 お帰りって言ってよ……。

「彩さん、ただいま」
「だから……」
「ただいま」
「……ご飯出来てるわよ」
「ただいま」
「何なのよ?」
「ただいま」
「……お帰り」

 やった、勝った。

「お腹すいたぁ、彩さんちょ〜だい♪」

 俺は彩さんを抱きしめて唇を塞いだ。

「んっ……海、ご飯っ……!」
「やだ、彩さんが先」
「駄目っ……片付けあるんだから……っ」

 首筋に唇を這わすと彼女の身体がビクンと震えた。

「片付け俺がやるからいい?」
「嫌、冷めちゃう」

 彩さんは相変わらず頑固だ。

「……分かった、食べる」

 その代わり覚悟してよね。
 俺は彩さんを解放して微笑んだ。

「な……何よ?」
「おかわりするって言っといたもんね」

 彩さんの顔が引き攣る。

「常識の範囲内で……」
「俺の常識の範囲で、ね。明日会社休みでしょ? 遠慮しないから」

 彩さんは会社がある時はあまりさせてくれないし。
 俺もスケジュールの都合で週末にはあまり来れないし……今日の昼の事もあるし。

「今日だけは泣いても気絶しても許さないからね」

 彩さんは逃げるように風呂に向かった。
 俺はその間にさっさと食事を平らげて片付けまで済ませる。

 お互いに仕事をしている身。
 できる事は自分でやるべきだろう。
 そうでなくとも彩さんは部屋の掃除をして俺の夕飯まで準備してくれた。
 料理に関しては天才的に音痴な俺は手伝えないし、邪魔になる事が分かっているので手伝おうとも思わない。
 それならば、片付けくらいはするべきだと思うのだ。

 湯上りの彩さんがキッチンに入ってきたので準備していた珈琲を差し出した。

「よく分かったわね?」
「帰宅直後と寝起きと風呂上りと寝る前に必ず飲むじゃん」

 飲みのシメも珈琲だし。

 彩さんはカップを受け取るとカウンターの椅子に腰を下ろした。
 穏やかな顔で珈琲の香を吸い込んでカップを口に運ぶ。
 幸せそうだ。

「俺もお風呂行って来るね」
「うん」

 彩さんはテレビのリモコンに手を伸ばしながら答える。
 いつもこんな調子だ。
 俺が芸能人でもその辺のサラリーマンでもきっと彼女の態度は変わらない。
 俺を特別扱いしない。
 そんな彼女の態度に喜んでいるなんて、きっと彼女は気付いていない。

 一歩外に出れば芸能人としてマスコミに追い掛けられる日々。
 どこにいても人の目がある場所では俳優でしかない。
 誰も俺をただの男としては見てくれない。

 だからこそ彼女の態度が嬉しいし、俺をリラックスさせてくれる。
 こき使われても幸せだと思うのは、きっと俺が普通の生活に憧れていたからなのだろう。





 風呂を出てリビングに戻ると、何故か彩さんの機嫌が悪い。
 先程までは悪くなかったはずなのに。

「彩さん、どうしたのさ?」

 彼女は黙ってテレビを指差す。
 テレビの画面には俺の出てる連ドラが流れている。

「これ……ビデオだよね?」

 この放送は9時からなので今の時間やっているわけがない。
 現在午後11時。

「飲み会で見れないから毎回録画してんのよ」

 で?
 それと不機嫌とどんな関係があるのさ?

「なんで不機嫌なのさ?」
「別に……不機嫌なんかじゃないわよ」

 いや、間違いなく不機嫌です。

 俺はテレビを眺めながら暫く考えた。

 この回は確か……あ。

「彩さん……もしかして妬いてくれてる?」

 彼女の顔が真っ赤になった。

「そ……そんなわけないでしょっ!」

 か……可愛い。

「本当にシてるわけないでしょ? 夢の中でだってこの3年間、彩さんしか抱いてないよ」

 俺は彩さんを後ろから抱きしめた。

「だから違うってばっ」
「今から嫌ってくらい分からせてあげる」

 俺は彩さんを押し倒して微笑んだ。

「……海?」
「なぁに彩さん?」
「分かったから別に……」
「分かってないよ、昼間俺がどんな気持ちだったか分かる? イタリア野郎と一緒にご飯食べてるの知って俺が喜ぶわけないでしょ?」
「だって……っ」

 俺はその場で彩さんを抱き、更にベッドで何度も何度も抱いた。
 俺の体力の限界まで……。

 仕方ないじゃないか。
 あいつとは年齢も同じだし、住んでる世界も同じで共通の話題もあって……俺があのイタリア野郎に嫉妬するのは当然じゃないか。
 時々、彩さんはわざとやってるんじゃないかって思う事がある。

 彼女が天然なのは分かっているつもりだけれど……。
 でも、やっぱり嫌だ。
 あんまり俺を不安にさせないでよ……。






      
2008年02月26日

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