大好きな彼女
― 8 ―






 柴田さんはスゴイと思う。

 動揺する俺とは対照的に彼女の部屋から探し出した社名の入った封筒や書類から彼女の会社を調べ上げて電話を掛けていた。
 探偵でも出来そうな勘と行動力。

 俺はどうしていいのかも分からない。
 撮影中なのに、彼女の事が気になって演技に集中も出来ない。
 何度NGを出しただろう。
 それでも考えずにはいられない。

 彼女は今どこにいるのだろう……?
 危険な目に遭っていない?
 帰れない何かがあったの?

 昨晩は結局一睡も出来なかった。
 心配で寝るどころではなかった。

「五十嵐 彩の親戚で柴田と申します、そちらに……え? そうなんですか? ……いえ、ちっとも……えぇ、日程をお伺いしてもよろしいですか?」

 柴田さんは何やら長々とメモをしている。

「連絡を取りたかったので助かりました……えぇ、ありがとうございました。失礼します」

 柴田さんは携帯を切って振り返った。

「彩さん、海外にいるわ」

 海外……?

「なんでさ?」
「研修ですって」

 あ……いつだったか言ってたやつ?
 でも、なんで黙って行っちゃうのさ……。

「どこにいるのさ?」
「今はフランス。もうすぐイタリアに移動するみたいだけど。ま、事故や事件に巻き込まれたわけじゃなくて良かったじゃない」

 柴田さんもほっとしたようだ。

「ね、柴田さん。スケジュール見せて」

 彩さんに会いたい。
 そして訊きたい。
 どうしてで黙って行ってしまったのか。

 俺が来ないと思った?
 俺が心配しないと思った?

 彩さん、俺は本当に彩さんが好きなんだよ。
 黙っていなくならないでよ……。

「柴田さん、このCM撮影イタリアで出来ないかな?」
「はぁ?」
「撮影をイタリアでやりたいって言ってんの」
「あんた何考えてんのよ?」
「柴田さんなら分かるでしょ?」

 俺はもう彼女の事しか考えられなかった。

 彼女が何を考えてるのか分からない。
 だから本人に訊いてやる……。

「柴田さんなら出来るよね? 敏腕マネージャーだもん」
「覚悟しときなさいよ。休みなんかやらないし、長時間労働させてやるから」

 柴田さんは俺が言い出したら聞かない事を知っている。

「ありがとう」
「女に振り回されるなんて本当信じられないわ」

 柴田さんは電話を掛け撒くって撮影を終えるまでの間に調整してくれた。
 やっぱりスゴイ人だ。

「暫く1日オフないからね」
「柴田さん大好き」

 俺は呆れる柴田さんに微笑んだ。





 3日後。
 俺と柴田さんは撮影クルーと共にイタリアにやって来た。

 ヴェネツィアの運河に面したテラスレストランで撮影は行われた。
 モニターチェックをしながら映像の美しさに溜め息を漏らす。

「海君綺麗だね」

 スタッフの言葉に俺は苦笑した。

「俺じゃなくて背景が、じゃないんですか?」
「勿論背景も綺麗だけど、負けないくらい綺麗だよ。イタリアまで来た甲斐があったなぁ」

 監督は満足げに微笑んだ。

「ゴンドラとか乗ってみたいですね。他にもイタリアの象徴みたいなところでも撮ってみたいな」

 俺の言葉にスタッフも頷く。
 どうせ何パターンも作るのだから徹底したい。

「イタリアを観光して歩くのもいいかもしれないね。早速打ち合わせと撮影許可の確認!」

 監督とスタッフは話し合いを始めた。

「海、彩さんに会う気?」
「うん」

 柴田さんは分かっている筈だ。
 俺が何故イタリアロケをしたいと言ったのか。

 言い訳なんかいくらだってできる。

 いい画を撮りたいと言えばスタッフだって動く。
 もともと俺は画に拘る奴だと言われているからおかしな事ではない。
 監督とも何度も仕事をしているので俺の言いたい事は分かってくれるし、俺以上に画に拘る人だからいいものが出来れば文句もない。

「止めはしないけど、迷惑がられると思う」

 俺は柴田さんの言葉を軽く聞き流していた。





 日暮れまで撮影をして、今日の撮影を終わらせた。

 柴田さんは彼女と同じホテルに予約を入れていたらしい。
 本当に抜け目のない女(ひと)だ。

「取り敢えず食事にしましょ。時間はあるんだから」

 俺達は部屋に荷物を置き、ホテルの中のレストランに向かった。
 どこかに彼女がいるのではないかと思うと落ち着かない。

「落ち着きなさい。みっともない」

 柴田さんが俺を見て溜め息を吐いた。

「帰ってくるまで待てば良かったのに」
「待てなかったんだもん」

 彼女が何を考えてるのか分からない。
 どうして黙って研修に出掛けたのさ?
 確かに俺は彼氏というポジションにはまだいないみたいだけれど……黙って行く事はないだろう、あんまりだ。
 あの日、メールした時にも言えた筈だ。

 ……わざと?
 なんで?

 どうして? なんで? ばかりが膨らんでいく。
 答えは彼女の中にしかない。
 彼女に訊かなければ分からない。
 他の誰が答えても小さな可能性というだけで正解ではない。

「海……取り敢えず食べなさい」

 柴田さんは呆れた顔で俺を見ていた。

「呆れられてばっかだね」
「呆れるような事ばかりしてるからじゃない」

 確かに……。

「ね、柴田さん。ここってバーか何かあったよね?」
「えぇ、飲みたいの?」
「彩さんが……いるかもしれない。彼女お酒好きみたいだし……」

 柴田さんは溜め息を吐いた。

「なんでそこまで惚れちゃったのかしらね。女に振り回される海を見てるのは面白いけど、こっちまで振り回されるのは勘弁だわ。せっかく夫婦の時間を楽しもうとしてたのに」

 柴田さんの旦那さんは有名人だ。
 何度か柴田さんの家に行った時に旦那さんと話をしたが、気さくで話しやすくて驚いた。
 ハリウッド俳優というのはもっと気難しいしと思い込んでいたから。

 ただ、柴田さんを振り回す事だけは注意された。

 “多少の我が儘は構わないけど、僕の大事な人を過労で倒れさすような真似だけはしないでくれよ”

 柴田さんが席を外した時にそう言われた。

 分かっているけれど……申し訳ないとは思っているけれど……ごめんなさい。

「明日も早朝からロケが始まるんだからさっさと寝なきゃ駄目よ? 夜には飛行機に乗るんだからね」

 弾丸ロケとは言ったものだ。
 今日到着したばかりなのに明日には帰国しなければならない。
 まぁ、ドラマの撮影がある事を分かっていて無理やり来たのだから仕方がないのだが。

 俺は柴田さんの言葉に小さく頷いて食事を済ませた。
 やはり本場のパスタは美味い。





 イタリア時間で午後8時。

 俺はバーに来ていた。
 イタリア語の喋れる男性スタッフと一緒に。
 単身では注文すら出来ないと思ったからだ。

 英語も通じるようだが、自分の英語が通じるのか自信がなかった。
 柴田さんはやはり来なかった。
 やはりこの雰囲気は好きではないらしい。

 日本の居酒屋とは違っていい雰囲気なんだけどな……。
 外人ばかりで落ち着かないってのは分かるけどさ。

 暫く飲んでいると何人かの女性に声を掛けられた。
 勿論イタリア語なので何を言っているのかは分からない。

 通訳しなくていいと言ったので男性スタッフも黙っていた。
 暫く分からない言葉で迫ってきた女性も、こっちにその気がない事を悟ったのか諦めて帰って行く。

 俺はただ彼女に会いたいだけだ。

 仕事の話をしながら時間を潰していると、聞き慣れた声が聞こえた。

「だっ……だからいないってば……!」

 彼女だ。

 彼女が珍しく声を荒らげている。

「そんな顔で“いない”なんて言っても誰も信じないよ」

 何の話?

 あの男……いつも彼女と飲んでる奴だ。
 俺は堪らず立ち上がった。

「ごめん、用事思い出した。好きなだけ飲んでいいから代金は柴田さんに請求してくれる?」
「了解」

 男性スタッフはグラスを持ち上げながら笑顔で答える。
 俺はそのまま2人の席へと向かった。

「でも……もし、本当にいないなら俺と付き合わない?」

 ここでも彼女を口説こうとしているのか?
 駄目だよ、彩さんだけは絶対に渡さない。
 渡せない……。

 彼女はきょとんとした顔をしている。
 本気だとは思ってないようだ。

「だから、俺と付き合わない?」
「付き合わせない」

 お前なんかにやらない。
 彩さんは俺のだから。
 俺だけの大事な女
(ひと)だから……。

 2人は俺の顔を見て硬直した。

「俺のだから口説かないでくれる?」

 こんな奴に口説かれないでよ。
 どうしてそんなに隙だらけなのさ?

「な……何してんのよ?」

 彼女がやっと言葉を発した。

「CM撮影」
「柴田さんは?」
「いるよ、仕事だって言ったでしょ?」

 どうして男と2人で飲んでんのさ?
 それもこんな男と。
 ガード甘過ぎ。
 警戒心ゼロ?

 さすがに腹が立つ。

「望月……海?」

 一緒にいた男が信じられないような顔で俺を見ている。

「伊集院君……あの、これは誤解……っ!」

 なんで言い訳しようとしてるのさ?
 この男の事が好きなの?

「何が誤解? 黙ってこんなとこに来て俺が心配しなかったとでも思ってるの? なんで何も言わなかったのさ? ちゃんと答えてよね、彩さん」

 呆然とする男を放置して俺は彼女の腕を掴んでバーを出た。
 無言でエレベーターに乗り込んで、俺と柴田さんの部屋が並んだフロアのボタンを押す。
 彼女はチラチラと俺の顔を窺いながら話し掛けるタイミングでも探っているようだ。

 俺の部屋に連れ込んで彼女を壁に押さえ付けると、彼女はようやく口を開いた。

「ちょっ……なんでここにいるの?!」
「なんで黙ってたのさ?」

 なんで勝手に海外研修なんかに参加したのさ?
 いくらだって話すチャンスはあった筈だ。

 そんなに俺に話したくなかった?
 話す必要ないとでも思った?
 その程度の存在でしかない?

「仕事だもの……」

 彼女は俯いたまま答える。

「研修は日程だって決まってたでしょ? なんで教えてくれなかったのさ?」
「なんで教えなきゃならないのよ? これは仕事なの、あんたこそ何やってんのよ?」
「俺も仕事だよ」
「海外ロケなんて聞いてない」

 予定にはなかったから当然だよ。

「急遽そうしたから」

 貴女のせいだよ……。
 急にいなくなって心配だったからだよ。

「彩さんズルイよ、俺の予定は把握してるくせに彩さんは教えてくれない。なんでさ?」

 俺はその程度の存在なの?
 やっぱり俺の事なんて何とも思ってない?

 貴女がいなくて、俺がどれだけ心配したと思う?
 無事だって分かってどれだけ安堵したか……。
 貴女にとっては何て事なかったのかもしれない。

 だけど、俺は人生が終わるかもしれないって思うくらい怖かった。
 突然、何の前触れもなく愛しい人を失うのかと思った。
 そんなの耐えられない。

 彼女が俺の手を乱暴に振り払った。

「彼氏面して仕事の邪魔をしないで……!」

 泣き出しそうな顔をして彼女は部屋を飛び出した。

「彩さん……!」

 仕事の、邪魔……?
 俺……邪魔しちゃった?
 迷惑だった……?

 俺は心配だっただけだ……。
 無事だって分かればそれでよかったはずなのに……。
 なのに……欲張りな自分が彼女を困らせた。

 確か柴田さんが言っていた気がする。

 “止めはしないけど、迷惑がられると思う”

 本当だ……。
 柴田さんの方が彼女の事を分かってるのかもしれない。

 俺は拳を強く握り締め、壁に叩き付けた。

 嫌われたに違いない。
 そんなつもりではなかった……。

 あんな顔をさせたかったわけではないのに……。
 困らせたかったわけではない。
 迷惑を掛けたかったわけでもない。
 仕事の邪魔などするつもりもなかった。

 俺は……最低だ―――――――。





「だぁから言ったじゃない」

 翌朝、俺の顔を見た柴田さんの第一声だった。

「仕事で来てるんだから当然でしょ? あんただって撮影現場まで追い掛けて来られたら嫌じゃない? それと同じ事だと思うけど?」

 柴田さんは呆れていた。
 当然だろう。

「でも、まぁ良かったんじゃない?」

 何が?

 俺は柴田さんを睨んだ。

「あんたに話しても多分分からないからいいわ」

 柴田さんは怯むどころか微笑んだ。

 意味が分からないんだけど……?

「さて、荷物持って行くわよ」

 柴田さんは落ち込む俺の背中を強く叩いて部屋のドアを開けた。

 撮影は順調に進み、予定の飛行機にも充分に間に合った。
 いい画は撮れたと思う。

 でも、俺の心は沈んだまま浮上できずにいた。

 もう彼女は会ってくれないかもしれない。
 嫌われてしまったかもしれない。

 そう思うと哀しかった。

 涙が零れてしまいそうで、俺は目頭を強く押さえた。







      
2007年11月07日

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