有名人な彼
第4話






 マンション前に停まっていた車は既になく、私はこの男を預かる破目になってしまったようだ。

 その辺に捨ててしまいたい……。

 しかし、そんな事出来るわけがない。
 コイツは一般人ではない、取り敢えず芸能人なのだ。
 何かあったら私の責任になってしまう。
 それは勘弁。

「迷惑なんだけど?」
「そう言わないでよ……」

 情けない顔……。
 無表情が多いテレビとは全く違う一面を見て私は微笑んだ。

「あ、彩さん笑った」

 男が私の顔を見て爽やかな笑顔を見せる。

「そりゃ笑う事もあるし怒る事だってあるわよ。人間だもの」

 リビングに行き、ソファベッドに鞄を投げてキッチンに向かう。

「何飲むの? ビール? 珈琲?」
「彩さんと一緒」
「じゃ、珈琲ね」
「え〜っ、ビールにしようよ」
「私と一緒って言ったじゃない」

 男は拗ねたような顔をしている。
 テレビでは無表情の二枚目役が多い。
 シリアスなドラマが多いせいかもしれないけれど。

 クールで無口な印象だったんだけれど、実際はこんなに表情が変わる男だなんて意外……。
 予想以上にガキだし。

 私は冷蔵庫からビールを2本取り出し、1本を男に手渡した。

「やっぱ彩さん優しいね」

 こんな笑顔を独り占めできたら幸せなんだろうなぁ……。

「ねぇ、普通芸能人って恋愛は事務所が許さないんじゃないの?」

 あくまで噂の話だけれど。

「普通はね。でも俺の場合はオッケーなの」
「なんでよ?」
「だって今までたっくさん迷惑掛けてるから。社長が真面目な人間と恋愛して、仕事をちゃんとやってくれるならいいよって言ってくれてるし」

 それで私……?
 ありえない。

「彩さん、好きだよ」

 さわやかな笑顔を向けるなよぉ……。
 なんかどうでも良くなっちゃうじゃない。
 それじゃ困るんだってば。

「で? 彩さん。さっきの話なんだけど、海外に行くってどういう事?」

 思い出したように男が訊いてきた。

「海外に研修に行かないかって上司に言われてるの」
「ずっと? 永住?」

 そんな捨て犬みたいな目で見ないでよ……。
 だいたい研修で永住ってありえないから。

「2週間くらいの予定」
「嫌だ、駄目」
「いつから彼氏になったのよ? 束縛する男は嫌いよ?」

 男は悔しそうに言葉を飲み込む。

「……彩さんは仕事好き?」
「好きよ? 楽しいもの」

 それは本当。
 やり甲斐もあるし、プレゼンが上手くいって契約……なんて事になったらもう最高!
 大口顧客で成約すれば表彰され金一封が部に舞い込む。
 そのお金でタダ酒を飲めた日にはまた頑張っちゃおうなんて思えちゃうしね。

「そっか……彩さんは仕事好きなんだ……」
「あんたはどうなのよ?」
「分かんない。中学の時スカウトされて、モデルやって……5年前からはドラマとか出てるけど、何か流されてるって感じで。正直好きとか嫌いとか考えた事ない」

 初めて見る、おそらく本当の困った顔。

「でも、撮影終わった時とか充実感みたいなのない?」
「多少はあるよ」
「大事なのはそういう気持ちじゃない? 頑張って成果を得ると気持ちいいと思うし、また頑張ろうって気にならない?」
「何となくは……」

 何となく……か。

「好き嫌いを考える暇もないくらい忙しいのね」
「まぁね……ここ半年1日丸々オフなんてないし……」

 そりゃ大変だ……。

 男が私を抱きしめる。

「彩さん……」

 駄目……流されちゃいそう……。

「放して。ほら、飲めないじゃない」
「彩さん珈琲の匂いがする、俺にもその匂い分けて……?」

 唇が重なり、私は男を拒絶できなくなってしまった。
 男のキスは今までの男達と比べて、誰よりも優しくて情熱的だった。





 翌朝、目を覚ますと隣にイケメン俳優。

 私をじっと見つめている。
 どうやらこの非現実的な出来事は現実のようだ。

「彩さん……好きだよ」

 いつから眺めていたのだろう?
 間抜けな寝顔をどれほどの時間見られていたのだろう?
 すっごく恥ずかしいんだけど……。

 男が私を抱き寄せた。
 お互い素肌で体温を直に感じる。
 男の胸に頭を預けると心地よい鼓動が聞こえた。
 やっぱり、この男の腕の中は居心地がいい。

「今日仕事は?」
「あるよ、10時から撮影で28時まで」
「28時って何……?」

 1日24時間なんだけど……?

「あぁ……翌日の朝4時までって事」

 ありえない……。
 芸能界って労働基準法とか関係ないんだっけ?
 それにしても過酷よね。

「私仕事行かなきゃならないんだけど?」

 同情よりも何よりも、さっさと迎えに来てもらわないと仕事に行けない。

「鍵ちょうだい。掛けて行くから」

 ……今、サラッと厚かましい台詞を吐かなかった?

「はい?」
「鍵ちょうだい。掛けて行くから」
「鍵渡したら出入り自由になっちゃうじゃない」
「駄目……?」

 またその目?
 ズルイなぁ……。
 怪しすぎる男なのに。
 なんでこんなに流されてるんだろ、私……。

「彩さん……俺、本気だよ? 彩さんが好きだ」

 重ねられる唇に私は抗う事も出来ない。

「……俺ずっと前から彩さんを見てたんだ。彩さんしか見えなかった。彩さんの笑顔を見て頑張れてたんだ。らしくもなく片想いしちゃってさ」

 男が若干顔を赤らめながら私の額に口付ける。

「大袈裟」
「本当だよ。だから、彩さん抱いてるなんて夢みたいだ」

 それは私も同じだ。
 テレビで眺めてた男が目の前にいる。
 それもお互い真っ裸。
 さらに……2度も、厳密に言えばもっとだけれど……食ってしまった。

「彩さん?」

 私は眼鏡を掛けてベッドから抜け出し、浴室に向かった。
 あの男にのめり込む前に何とかしなければと考えた。

 年齢も住む世界も違い過ぎる……。
 きっと私には手に負えない。

 だから……研修に参加する事を決めた。





「研修、行きます」

 朝一番に部長に告げた。
 部長は満面の笑み。

「そうか、彩ちゃん行ってくれるのか。分かった。じゃ、あとで詳細話すから」
「はい」

 私は自分のデスクに戻って仕事を始めた。
 何もなかったかのように、いつも通りに。

「断るかと思ったのにどうしたの?」

 昼休み、同僚の伊集院君に訊かれた。
 一緒に近所のお弁当屋さんに出掛けた時の事だ。

「昨日話してて、ちゃんと決めなきゃなぁって思ったの。せっかくのチャンスだし」

 私はいつものように笑顔で答えた。

「そっかぁ……じゃ、俺も申し込んどこう」
「なんで?」
「そりゃ、彩ちゃんが行くなら一緒に行って飲み歩きたいじゃん」
「飲む事しか考えてないの?」
「彩ちゃん独占できる以外の楽しみって言ったらそのくらいだよ」

 その後は馬鹿な話で盛り上がって昼休みが終わった。





 夕方、部長から会議室で日程等の細かい説明を受けてから帰路に着いた。

 仮初の恋はこれで終わる。
 それでいい。
 よく知らないうちに別れてしまえば傷は浅くて済む。
 お互いに。

 研修は来週から。
 この会社は数年に1度、社員旅行で海外に連れて行ってくれる。
 パスポートの有効期限は会社も把握していて、有効期限の3か月前になると更新するように通達が来るのだ。

 まぁ社員旅行とはいっても希望者だけで、代金はほとんどが毎月積み立ててる自分のお金なのだが。
 会社側は予算オーバーした分を出してくれるのだ。

 そのお蔭でパスポートの期限を心配する必要もなく、研修の締め切りもギリギリの10日前までだった。

 多分、繰り上げで研修に行く人間まで決まっていたのだろう。
 そうでなければおかしい。
 キャンセル代も馬鹿にならないし。

 部屋に帰ると、あいつのいた痕跡が至る所に残っていた。

 そりゃそうだ。
 私の方が先に部屋を出たのだから。

 私は男のいた痕跡を消すように掃除を始めた。
 ベッドカバーも取り替える。
 あいつの残り香を消すために。

 私はムキになっていたのだと思う。
 その理由は……分かっていたけれど認めたくなかった。

 全部の部屋を掃除して除菌消臭スプレーまで撒いてクリーンな空間を作り上げた。
 3時間半の大掃除。

 最後に、全部の部屋をチェックしてから冷蔵庫を開けてビールを取り出す。

「一仕事終えた後のビールって最高よね」

 1人呟き、プルトップを摘んで開けて缶を口に運ぶ。
 何故かいつものように美味しくは感じなかった。

 鞄の中で携帯が鳴る。
 取り出すと、背面ディスプレイにメールのアイコンと “望月 海” の文字。
 あいつはこまめにメールをしてくる。

『お疲れ様彩さん。俺はまだまだ仕事が終わりません。深夜ロケも続きます。でも、彩さんに充電してもらったから頑張るね!』

 メールを読んだ私の目から涙が零れた。
 着信拒否にしてしまおうとも考えたが手が動かなかった。

 手が着信拒否にする事を拒んだ。
 繋がっているものはコレしかない。
 私はそれを切り捨てるほど大人ではなかった。
 そんな勇気はなかった。

 たった2回しか会っていないのに。
 あいつに惹かれている自分を認めたくなかったのに……。

 テレビを点けると連ドラの時間だった。
 テレビの中にあいつがいる。

 この部屋では見せない仕事の顔。
 やっぱり芸能人なのだと痛感させられる。

 哀しい場面ではないのに涙が止まらなかった。

「海……」

 決してあいつの前では呼ばないと決めていた。

 綺麗な女優さんと抱き合い唇を重ねるあいつの姿を見て嫉妬する私がいる。
 もう手遅れなのかもしれない。

『彩さん』

 あいつの私を呼ぶ声が耳から離れない。
 いくら耳を塞いでもその声は頭の中に響いていた。

 私は冷蔵庫の中のビールを全て飲み干して泣いた。
 その日こそ本当に最悪な夜だった。






      
2007年10月04日

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